BLIZZARD! 短編集

青色魚

短編001『春と杏』

短編『春と杏』  1/6

 その出来事が起こったきっかけは、後に『キラ騒動』と呼ばれることになる騒動の前、フィルヒナーがアンリに向けて発した他愛もない一言であった。


「そういえばアンリ、あなたちゃんと友達は作っていますか?」


「ふぇぇ?」


 その質問に、白衣の少女──アンリが気の抜けた声でそう返事をしたのを見て、金髪碧眼の女──フィルヒナーはため息交じりに言った。


「まったく……。どうしてあなたは人に興味を持とうとしないのですか。あなたくらいの年頃の女の子は普通、友達の一人や二人いるものですよ」


 そうして話すフィルヒナーの言葉など気に留めず、アンリはぼんやりとその手に持った自らの発明品を眺めていた。そのアンリの様子にフィルヒナーがまたため息を吐いてから黙り込むと、その研究室には静かに時計の秒針の音のみが鳴り響いていた。


 先のフィルヒナーの言葉は、普通の人にとっては至極尤もなものであった。フィルヒナーの話に興味がなさそうに髪をいじくっているアンリは今、十歳やそこらの少女である。それほどの年齢の少女に友達がいないというのは、世間一般的には憂慮すべきことであろう。


 その事実は、二人がそうして会話しているのがスルガ基地──猛吹雪の世界にぽつんと立つ閉鎖空間であったとしてもそう変わりはなかった。二人がそうして話しているその時代の二十五年前、突如地球に襲来した『氷の女王』という存在に地球の環境はいとも容易く塗り替えられた。今や基地の外には特殊な有毒ガスが渦巻いているため人間は屋外で長時間活動できず、加えてその『氷の女王』と共に飛来した隕石の持つ放射線により生態系も変化、さながら氷河期のようにマンモスやサーベルタイガーが跋扈する世界となっていた。


 そうした環境の中では、当然人々は基地に閉じこもり、その閉鎖空間で日々を過ごすことになる。勿論その中にも例外は存在する。基地にある食料は無限ではなく、それの補給のために遠征隊と呼ばれる集団は定期的に基地の外に赴いている。彼らは『氷の女王』が襲来してから人間に新たに目覚めた『身体から冷気を発する』力──凍気フリーガスを使い基地の外の獣たちと日々戦っている。


 とはいえ、そういった例外的な存在を除けば基地に住む人間は基地の中で生活のすべてを過ごすことになる。そのため、基地に住む子供が友達を作るとなれば、同じく基地に住む子供に限られる。加えて、今や基地に住んでいる──すなわち、猛吹雪の世界で生き残っている人の数は元の世界のものとは比べ物にならないほど少ない。つまり、今基地に住む子供は友達を作る機会に恵まれていないだけではなく、そもそも友達となりえる同い年の存在すら少ないのだ。


「……ってことを考えると、私に友達がいないのも仕方ないことじゃないですかね~?」


「あなたの場合は作ろうともしていないでしょう。まったく……」


 そうして弁明をしようとするアンリに、フィルヒナーは冷静にそう返す。そうしてフィルヒナーが呆れたようにため息を吐くのを見て、アンリは口を尖らせながら言った。


「私が友達を作ろうともしてない、ってとこには反論しませんケド、ヒナも口うるさくないですか? 今日、なんかあったんですか?」


 アンリにそう鋭い言葉を投げかけられながらも、フィルヒナーはその表情を崩さずに答えた。


「別に何も。ただアンリが心配だから言っているだけですよ」


 しかしそのフィルヒナーの様子を見て、アンリはきっぱりと言った。


「──嘘、ですね」


「────っ!」


 いともたやすく自らの嘘を看破されたフィルヒナーは思わず息を呑む。そうして息をするようにその嘘を見破る超推理を成し得たアンリは、そののことを考えても、やはり天才少女と称するのにふさわしい知能の持ち主であった。


 そのフィルヒナーの様子を見て自分の推測が正しかったことを確認してから、アンリは口を尖らせながら言った。


「今日はこれから遠征ですし、その前にカケルさんとバッタリ会って、そこでなんか失礼なことを言われたとかですかね? カケルさんが不躾なのは分かりますケド、その鬱憤を私にぶつけないでもらえませんかね~?」


 そうしてアンリが飄々とするのを見て、フィルヒナーは気を取り直すようにメガネの位置を直してから言った。


「……ともかく、私がアンリを心配しているのは本当ですよ。私がさっき嘘を吐いたのも事実ですが、あなたにまだ一人も友達がいないことも事実でしょう」


 そのフィルヒナーの反論に、アンリは少し不機嫌そうに眉をひそめながら口を開いた。


「……ヒナ、何度も言ってるように私は友達がんじゃないの、の。そしてもっと正確に言えばの。私に同年代の友達を作るだなんて暇、あるわけないじゃないですか?」


 そうして文句を垂れるアンリの手は、今も靴のような発明品に何らかの処置を施していた。アンリの基地での役割はそういった発明品の作成であり、それの一部が遠征隊の役に立っていることを鑑みるとその彼女の仕事は馬鹿にできないものであった。


 それに加えて、アンリにはもう一つの大事な仕事があったのだった。それはすなわち、彼女のが遺した白衣、そこに記された遺言の解読であった。その二足の草鞋を履いている以上、アンリの生活にそれほど時間的余裕があるわけではなかった。


「あなたが忙しいのは分かりますが、それでも全く無いという訳でもないでしょう。どうでしょう? 今から娯楽室にでも行って、少し年の近い子と遊んでみませんか?」


 しかし、その日フィルヒナーはなおも食い下がった。そのフィルヒナーの言葉を聞いて、アンリはとうとう大きくため息を吐いて、苛立ちを含んだ声で言った。


「……だから、ストレス発散に小言言うのやめてもらっていいですかね? それともなんですか、『アンリのことを心配して』なんて台詞セリフをまだ吐くつもりですか?」


「────っ!」


 そのアンリの辛辣な言葉に、思わずフィルヒナーは言葉を失う。その様子を横目で見ながら、アンリはその作業机を離れ、先ほどまでいじっていた靴のような発明品を持ってその研究室の扉を出た。


「──っ! アンリ、どこへ行くんですか!?」


 そのアンリの行動に、慌ててフィルヒナーはそう声をかける。そのフィルヒナーの言葉に、アンリは尚も機嫌が悪そうに答えた。


「どこって……。遠征隊のところですよ。さっき作ったをカケルさんに届けに行くんです」


 そうしてアンリは自らが改造した雪靴──後に雪兎シュネーハーゼと称されることとなるそれを指差した。そのアンリの返答にホッとしつつも、フィルヒナーは必死にアンリに笑いかけながら言った。


「わ、私も一緒に行きましょうか? アンリ一人ですと何かとかもしれませんし……」


 そのフィルヒナーのアンリを心配する態度に、アンリはとうとう小さく舌打ちをしてから答えた。


「要らないですよそんなの。一人で行けますって」


 そうきっぱりと申し出を断ってから、アンリは研究室の扉を強く閉じた。


「……少し、言い過ぎちゃいましたかね」


 そして小さくそう呟いてから、アンリはゆっくりと目的の場所へと歩き始めた。その最中、自分の母親のことをぼんやりと思い出しながら。


 アンリが先のいさかいに多少平静を失っていたのは、他でもないアンリが発したその言葉のせいであった。


 ──『母親気取り』……ですか。咄嗟に出ちゃった言葉ですけど、我ながら手酷いもんですね。


 そう自省するアンリの母親は、勿論先ほどのフィルヒナーなどではない。彼女の母親の名前は朝比奈アサヒナハル──基地の人間から『救世主』などと呼ばれている人間であった。アンリの母親がそのような大仰な異名を得た理由は至極単純、彼女の成した功績が並々ならぬものであったからだった。


 まず彼女はアンリやフィルヒナー、その他大人数が今も住んでいるその基地を建てた人間である。加えて『氷の女王』が襲来したその日、彼女は自分の危険を顧みず基地の外の人間の救助に尽力した。また、基地を建てると同時にその基地の中の設備も『氷の女王』襲来以前に整えており、そのことを考えると『朝比奈アサヒナハルが居たから今基地に住む人間は生きている』と言っても過言ではなかった。


 しかし、そんな『救世主』は十年前──愛娘のアンリを産み落としてからすぐに基地から姿を消した。彼女は未だ見つかっておらず、屋外そとに蔓延したガスを防ぐためのマスクもなしに一人基地を出たという目撃証言も相まって、基地では実質的に朝比奈アサヒナハルは死亡したという扱いになっていた。


 ──ま、私にとっては顔も知らない母親ってだけですけどね。あんな薄情な人を母親って言うなら、それこそまだヒナの方が母親らしいです。


 そういった業績のことは知りながらも、アンリは朝比奈アサヒナハルのことを母親とは思っていなかった。むしろ顔も知らない、会った記憶すらない女のことを母親と思うほうが難しいであろう。そんな形だけの母親よりも、真摯にアンリと向き合い、その生活の世話をしてくれているフィルヒナーの方が母親らしいのは間違いなかった。そのため、先のアンリの発した言葉は自分が口にしたものであるにもかかわらずアンリを苦しめていた。


 ──これをカケルさんに渡して、また研究室に戻って。それでもそこにまだヒナが居たら、ちゃんと謝りますかね。


 そうしてアンリがその結論に至ったその時、ようやくアンリの目的の人物が目に留まった。


「あ、いたいたカケルさ~ん」


 アンリが目的の人物にそう呼びかけると、その青年はそれに反応してこちらを睨みつけてきた。しかしそんなことは知らん顔しながら、アンリは話し始めた。


「直前になっちゃってすいませんが、例のカケルさん専用の武器ですよ~」


 そうしてアンリは翔にその雪靴を渡し、その場を後にした。


 その靴を渡した翔が、その直後の遠征で氷塊に埋まった少年を見つけることなどつゆ知らず。








「さて、目的は果たしましたし帰りますかね」


 遠征隊がその後巻き込まれる波乱の物語のことなど知る由もないアンリは、のんきに伸びをしてからそう呟いて研究室へ帰り始めた。その道中、帰路も半ばといったところでアンリはふと視界の端にあるものを見つけた。


 ──泣いてる……女の子? 年は私と同じくらいですかね。えらく幼くも見えますけど。


 そうしてアンリはその泣いている少女の存在に気付きつつも、その一秒後にはその場を通り過ぎようとしていた。


 ──やだやだ、面倒ごとには巻き込まれたくないですからね~。ここは早めに立ち去って……。


 アンリがその少女を見過ごし、気にしないふりをしたのは単純に彼女がそれを面倒だと思ったからであった。アンリは元より、興味のない人間との会話コミュニケーションは好きでも得意でもない。ましてやシクシクと泣いている同い年ほどの存在を慰めるなど、アンリには到底信じられない行動であった。


 しかし、そうしてアンリがその場を立ち去ろうとしたその瞬間、その脳裏にフィルヒナーの言葉が蘇った。



『まったく……。どうしてあなたは人に興味を持とうとしないのですか。あなたくらいの年頃の女の子は普通、友達の一人や二人いるものですよ』



 そうして先ほどフィルヒナーに言われたその言葉を思い出してしまったアンリは、大きくため息を吐いてその足を止めた。


「……チョット。何メソメソ泣いてるんですか?」


 そうしてぶっきらぼうにアンリがそう声をかけると、その少女はゆっくりと顔を上げ、アンリの方を見た。しかし……


「……! ひっどい顔ですね!?」


「……ふぇぇ?」


 その少女の顔は、アンリが想像していた以上に涙でぐちゃぐちゃになっていた。その顔の酷さにアンリがオーバーリアクションしてみせるが、少女は尚もきょとんとしている。そのどんくさい様子にため息を吐いてから、アンリはポッケに入れていた手拭ハンカチを取り出してその子供の顔を拭いてみせた。


 そうして涙塗れの顔を奇麗にされたその少女は、にっこりとアンリに笑いかけて言った。


「ありがとう! ……えーと、誰だっけ?」


「……アンリと呼んでください。上の名前は、ちょっと秘密で」


 その少女に名を尋ねられたアンリは、ため息交じりにそう返した。アンリが自分の姓、朝比奈を人に明かさないようにしているのは面倒ごとを避けるためであった。基地に住む人間には『朝比奈アサヒナハルには子供がいた』ということは伝わっていたが、それがアンリであるということは一部の人間を除いて秘密にされている。もし『救世主』の娘がアンリであるということが知れ渡ったならば、アンリは必ずその母親の関係の面倒ごとに巻き込まれるであろうと思っていた。


 そうして自分が朝比奈遥の娘であることを秘密にしたまま自己紹介を済ましたアンリに、少女はその満面の笑みを崩さずに言った。


「そっか、アンリちゃんか。よろしくねぇ」


「はい、まぁ……。というか、人に名乗らせたんだったらそっちの名前も教えてくれませんかね?」


 そうして純朴な笑顔を向けられたことに多少戸惑いつつも、アンリはそう質問を返す。そのアンリの言葉に、「そっか、ごめんね」と返してから少女は言った。



「私はコハル。サクラギコハルよ。よろしくね、アンリちゃん」



 そうしてその少女──コハルは、片手をアンリの方に差し出しながらそう笑ったのだった。

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