第99話 スルメの冒険・その4


 ひたすら水に浸かり続ける。ただただ寒い。全員、唇を真っ青にして疾患のように震えていた。それが四時間。手を握って仲間の鼓動を感じていなければ気を失っていただろう。なんでこんなことをするのか、意味がわからねえ。いやまじで。


 気の遠くなるような、永遠とも感じられる時間が少しずつ過ぎていく。途中、意識を失わないように何度も叫び、仲間の安否を確認した。あのエイミーですら、何か声を荒げて意識を保とうとしている。

 体が限界まで冷え切り、全員がたがたと震えて唇を真っ青にした。意識が朦朧としてきたところで、アメリアさんの声がかかり、水面から出る許可をもらった。


 すぐさま“ファイア”で体を温めようと魔力を練る。

 考えは一緒だったのか、全員ほぼ同時に“ファイア”を唱えて暖を取った。


 その後、一時間の仮眠だ…。


 ってたった一時間だぞ!? どうなってんだよ! 全員死んだような目になってやがる。つーか誰も逃げ出さねえのが不思議でしょうがねえ。いや、みんながみんな、そう思っているのかもしれねえな。どうして誰も逃げ出さないのか、なぜこんなきつい訓練に耐えられるのだ、と。


 次は魔法を三十メートル先の的に当てる訓練だ。全員で千個の的をぶっ壊す。

 時間内にできなければ、ボートを対岸までまた運ぶという罰ゲーム付きだ。オレたちは死にもの狂いで的を壊しまくった。この時点で意識は朦朧とし、魔力枯渇寸前の極限状態になった。



 美人なエリィの姉ちゃん、エイミーはひたすらに呟く。

「わたしはエリィに会いに行く…」


 グレイフナー魔法学校首席のサツキが目をギラギラさせて杖を振りかぶる。

「これは試練。そう、試練だ…」


 ガルガインのクソヒゲは終始無言で、ときおり声を漏らす。

「強く……なる……」


 写真家テンメイは悪魔に魅せられたような笑顔で笑う。

「愛と憂鬱と羞恥の狭間が目の前に見えるぅ! 見えるぞぉ」


 オレは細けえことが苦手だから、叫ぶ。

「全員でぶっこわせぇぇええええぇぇえええ!」



 なんとか時間内に的を壊したオレたちは、森で狩猟をし、鹿を解体して食べた。もちろん魔力循環は切らさない。

 なんかもう、すべてがどうでもよく思えてくる。

 思考が泥のように停滞し、目を開けているのがやっとだ。いま倒れたら、死んだように眠るだろう。体が自分の体じゃねえみたいに鈍重で、意識を限界のところでつなぎ止めていなければ、動けなくなってぶっ倒れるのは明白だ。


「では、この森を三キロ走ってもらいます。走りきったらご褒美として一時間の睡眠時間を与えます。さらに、一位には睡眠時間が一時間追加され、最下位は一時間減るわよ」


 おいおい、ビリは睡眠なしじゃねーかよ!


「では、スタート!」


 急に始まった競争に、全員あっけに取られたが、睡眠がゼロになる恐怖が背中を押すのか、一気に走り出した。


 当然、魔力循環を忘れてはいけない。


 テンメイとガルガインは早速“爆発エクスプロージョン”をぶっ放され、もんどりうって引っくり返った。


 さすがにサツキは速く、もう三十メートルほどの距離ができている。エイミーは魔力循環が得意だが、体力不足でオレより遅い。ここは一気に距離を開けるぜ。


 二キロほど進んだものの、サツキとの距離は縮まらず、後ろの三人とも距離が開かない。もはや疲労が濃すぎて全員たいしたスピードが出せないためだ。ランニング、というよりはウォーキングだな。みんな、ハァハァひいひい言いながら、森を抜けようと必死こいて足を動かしている。


「テンメイ君!」


 エイミーの叫びが聞こえた。振り返ると五十メートルほど後方でテンメイが仰向けにぶっ倒れていた。限界だったのだろう。

 正直なところ、テンメイがここまでついてこられた事が不思議だった。あいつはこの中では実力が一番下だ。

 お世辞にも魔法の才能があるとは思えねえ。


 全身が痺れるほど疲労し、睡眠不足に魔力枯渇、今にも逃げたしたいほど追い詰められている。他人事のように薄ぼんやりとテンメイがぶっ倒れている様を観察していたら、エイミーがふらふらとテンメイの元へ足を向けた。


 あいつ助ける気か? 一人でどうやってずんぐりむっくりのテンメイを運ぶつもりなんだ。いまは訓練中だから魔法は唱えられねえぞ。魔法を唱えるために魔力循環を切らすと、その瞬間にアメリアさんから“爆発エクスプロージョン”がぶっ放される。


 そんなオレの疑問なんかはお構いなしなのか、エイミーがテンメイの腕を引っ張って運ぼうとする。

 あいつの細腕じゃ、ゴールまで辿り着くのは一年後になっちまう。



 ……しゃーねえな。



 無理矢理に自分を鼓舞し、テンメイの救出を手伝った。


 そのときは結局、オレ、エイミー、サツキ、ガルガイン、四人全員でクッソ重いテンメイの体を一キロ先のゴールまで引きずって運んだ。ほんと死ぬかと思ったぞ。魔力循環を切らしちゃいけねえし、まじでしんどかった。


 なぜかご褒美として全員に一時間の睡眠ボーナスが付いたときは泣くほど嬉しかったものの、喜びを分かち合う余裕もなく、野宿の準備をして昏倒するように寝た。


 さらに、着衣水泳、綱のぼり、魔法相殺訓練、闘杖術訓練、など過酷な訓練が数十種類。一週間の合計睡眠時間は六時間もないだろう。思い出すだけでケツの穴がひりつくほどきつかった。逃げだそうと何度思ったかわからねえ。もう二度とやりたくねえ、というのがオレ、ガルガイン、テンメイ、エイミー、サツキ、満場一致の意見だ。


 励まし合いながら、なんとか『戦いの神パリオポテスの一週間』を乗り切ったオレたちは、以前より肝が据わったような気がし、団結力が生まれた。この一週間を境に、全員がお互いを名前で気軽に呼ぶようになり、強烈なチーム意識が芽生えた。できないことがあれば仲間が助け、できることをできる奴がする。

 前までは自分の魔力量や魔法の種類にのみ気を遣っていたが、今じゃ仲間全員の状態や魔力残量まで考慮に入れて行動するようになっている。



『戦いの神パリオポテスの一週間』の訓練後、全員が“身体強化”を成功させた。



 いやまじで嬉しかった。だってあの“身体強化”だぞ。

 グレイフナー魔法学校の生徒ですら使用者が数えるほどしかいない、魔力循環技術だ。今後、冒険者で未開の地を目指し、魔闘会へ出場するなら必須の技術だ。

 オヤジですら身体強化ができるようになったのが六年生の頃って聞いていたからな、ガルガインのボケチンと柄にもなく抱き合って喜んじまったぜ。


 その後、身体強化をしたままのランニングへと訓練は移行し、新しい魔法や運用方法などのレクチャーがあって、数週間が経過した。


 今現在、オレは全身強化“下の中”を十五分。“下の下”なら一時間維持が可能だ。

 帰ったら使用人たちに自慢してやろう。


 ちなみに、ガルガインが全身強化“下の中”を十分維持が可能。

 テンメイが“下の下”を三十分で“下の中”は使用できない。

 エイミーが“下の上”を三分、“下の中”を三十分。

 サツキは“下の上”を十分、“下の中”なら一時間の維持が可能。


 やっぱサツキがつええ。

 六年生と三年生の違いはあるが、ぜってーいつか勝ってみせる。



   ○



 朝食を食べ終わったオレたち五人は、秘密特訓場で整列していた。

 季節は冬。息を吐くと白い湯気が上がる。さみい。


「エリィ救出隊、点呼」


 リーダーを任命されたサツキが、さらりとした黒髪を冬の冷たい風になびかせながら、一歩前に出た。


「エイミー・ゴールデン!」

「はいっ!」

「スルメッ!」

「おう!」

「ガルガイン・ガガ!」

「うっす!」

「テンメイ・カニヨーン!」

「はい!」

「エリィ救出隊、点呼終了です」


 サツキが、キリッとした顔でアメリアさんに言う。

 アメリアさんは渋面のまま、うなずいた。


 オレだけずっとあだ名なのはもう何を言っても直らねえ。つーかアメリアさんが、エリィがそう呼んでいたんだから私たちもスルメと呼ぶ、と言って聞かない。この人にそこまで言われたら逆らえねえ。

 もうめんどくせえから抗議は後回しにすることにした。

 あとで盛大な猛抗議だ。


 にしても今日はどんな訓練なんだ。

 昨日やった、下半身を氷漬けにされ、身体強化のみで脱出するってやつか。それとも、部位ごとに身体強化をして魔法を防御する訓練か。まあ何にせよどんなことでもやってやるがな。


「エリィ救出隊」


 アメリアさんは静かに言葉を発し、おもむろに鳥を模した仮面をはずした。仮面の下から、眉の引き締まった綺麗な顔が現れる。子供を四人産んだとは思えねえほど、若え。さすがエイミーの母ちゃんだ。

 てか、エリィ・ゴールデンも血を引いているんだよな……あいつ太っちょだから面影が微塵もねえ。それを言ったら絶対怒るんだろうなーまじで。まあ言わねえけど。


 にしてもなんだろう。いつもと雰囲気が違うぞ。

 またやばい訓練か!?


「ご苦労様でした。本日付けでこの特訓を終了にします。この二ヶ月半の訓練であなた達は、自分自身が辛いときこそ、仲間を思いやれる素晴らしい心を身につけました。その心は自信をもたらし、窮地に陥ったときの救いとなることでしょう。自分を信じ、仲間を信じなさい。それが強くなる何よりの秘訣です」

「はっ……?」


 オレはアメリアさんが何を言っているのか理解できなかった。

 この訓練が終わり?

 今このときをもって終了?

 え? まじで? まじで終わり?


「終わりって……終わりってことですか?」


 普段はクールで自信家のサツキが、めずらしく狼狽えて質問する。


「ええ。本日をもってエリィ救出隊特別訓練を終了します」

「しゅう……りょう…」


 サツキがオレ達の顔をぐるっと見回す。

 全員、呆然とした顔をしていた。

 信じられねえ……。

 まじで終わり? 終わっていいの?


「お母様…訓練は終わりなんですよね? ほんとに?」

「何度も言わせないでちょうだい。本日で終了です」



―――まじか!!?



「まじで…」

「本当に…」

「終わりなの?」

「おわり…?」

「なんということだ…」


 オレ、ガルガイン、サツキ、エイミー、テンメイの五人は顔を見合わせて、お互いを何度も確認し合った。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 オレは叫んだ。

 あまりの喜びに、胸がちぎれるほど雄叫びを上げ天空へバスタードソードを突き上げる。

 横ではガルガインがアイアンハンマーを投げ捨てて「よっしゃああああああ!」と絶叫していた。


「えいえいおーッ! えいえいおーッ!」


 エイミーが涙ながらに意味不明なかけ声で拳を上げる。とりあえずよくわかんねえけど美人で可愛い。


「ははは、夢じゃないんだ! ああ偽りの神ワシャシールよ! これが嘘だというのなら俺はお前を差し違えてでも倒しにいくだろう! サツキ嬢! 夢じゃないことを確かめたい! 俺を思い切り殴ってくれ!」

「テンメイ君! 夢じゃないよ!」


 写真家テンメイがいつも通り、なんちゃらの神がどうだこうだとピーチクパーチク言って、サツキに思い切り腹パンされ、笑顔のまま地べたを転げ回る。

 気色わりいよ! おもしれえけど!


 最後に全員で抱き合って、本気で泣いた。

 子どもでもねえのに号泣だ。


 アメリアさんが訓練開始当日に言った「つらいわよ」という言葉に対し、そんな大したことねーだろと高を括っていたが、実際はまじで大したことあったな…。やばかった。クッソきつかった。死ぬかと思ったのは軽く十回を超えている。思い返せば思い返すほど、地獄の訓練だったな。

 でもおかげで身体強化をできるようになったし、魔法の発動が二ヶ月前に比べて三倍は速くなっている。


「ではこれから冒険者協会定期試験を受けに行くわよ。事前に登録は済ませてあるから安心しなさい。Cランク未満の場合は戦力外とみなし、オアシス・ジェラへの同行は許しません。気合いを入れて試験を受けなさい」


 喜びが一変、またしても緊張感が場を包んだ。


 冒険者協会定期試験だと?

 年に一回ある、大冒険者ユキムラ・セキノの仲間が考案したっていう、あの試験?

 つーか今日とかぶっつけ本番過ぎんだろ! 大丈夫なのか?!


 しかもCランクって結構つええ冒険者だぞ。

 最低でも下位上級が連続詠唱できないとCランクにはなれないって、オヤジが言ってた気がするな。つーかオヤジも今年の試験受けんじゃなかったっけ?

 確か五年に一度試験を受けないと、自動的に冒険者証明書が剥奪されるルールだった気がする。


 まあ何にせよ受けるしかねえんだろ。

 細けえことは苦手だ。

 受けて、受かりゃいいだけの話、簡単だ。


「おいガルガイン」

「なんだ?」

「点数の低かったほうが酒をおごるってのでどうだ」

「おもしれえ。ドワーフ代表として受けて立つ」

「決まりだな」

「ああ」


 ガルガインのスカタンと約束を交わし、にやりと笑い合って拳を突き合わせる。ドワーフの武骨なゲンコツがオレの拳に触れて鈍い音が鳴った。

 そのとき、この訓練が本当に終わったことをオレは実感した。


 テンメイ、サツキ、エイミーが笑い合って訓練の終了を喜んでいる。

 仲間っつーのはなかなかいいもんだな。


 なんだかこの場にエリィ・ゴールデンがいるような錯覚をおぼえたが、いるわけがねえと首を振る。まあ早く合流してエイミーと会わせてやろう。


 オレも、あいつに会って色々話してえしな。なーんかあいつとは気軽に話ができんだよな。女はめんどくせえといつも思ってたが、あいつに会って考えが変わったぜ。仕草は完璧なお嬢様のくせに中身が妙に男らしいなんて面白しれえ奴、どこを探したっていねえ。


 そうか……女というより、あいつの性別はエリィ・ゴールデン、なんだな。そう言ったほうがしっくりくるぜ。

 だからか。

 だから話しやすいのか。


 ――――やべ、なんかうけるな。


 そう結論づけると、笑いがこみあげてきた。


 よっしゃ! 冒険者協会定期試験、待っていやがれ!

 必ずCランクになってやるよ!

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