第98話 スルメの冒険・その3


 訓練が過酷過ぎて、日にちの感覚がなくなった。訓練開始から一ヶ月半経ったのか二ヶ月経ったのか、アメリアさんが情報を遮断しているため判断材料がなく、さっぱり分からねえ。ガルガインのボケナスが二十四日目までは数えていたから、少なくとも三週間は経っている。だが、あいつも訓練が辛すぎて日にちを憶えている余裕がなくなり、日数のカウントがでたらめになった。


「エリィ救出隊、起きなさい」


 アメリアさんの底冷えする声が、オレとガルガインとテンメイが寝ている、ゴールデン家秘密特訓場の仮眠室に響く。入り口を見ると、額から鼻までを覆う、鳥のくちばしを模した仮面をしているアメリアさんが立っていた。なぜかアメリアさんは訓練の際、いつもこの仮面をつけている。パッと見、鳥獣人みたいでまじでこええ。


 彼女の声はまさしく神の声であり、絶対に逆らえない号令だ。


 『エリィ救出隊』というのがオレたち全体への呼称で、これにはエイミー・ゴールデンとサツキ・ヤナギハラも含まれる。


 オレたち三人は、疲労のこびりついた体をベッドから引きはがし、無言で訓練の準備を始めた。クッソ眠い。


 動きやすい服に着替え、食堂に行くと、笑顔など全くないエイミーとサツキが席に着いて朝食を摂っていた。グレイフナー魔法学校じゃ人気の二人組だ。ファンクラブもあるぐらい憧れの的になっている二人は、エイミーが金髪の垂れ目のクッソ美人、サツキが黒髪のキリッとした美女で、朝食の姿を公開するだけで男達が集まりそうだった。


 二人の横にオレ達三人も座り、バリーという強面のオールバックコックが運んできた朝食を無心で食べる。


 うめえ。


 うめえし、美人が真横に二人もいるが、それどころじゃねえ。

 ここで魔力循環を切らすと、連帯責任で一周五百メートルのランニングが二周追加になる。初日はこのせいで、ランニング三百五十周をくらった。全員、魔力循環が下手くそだったせいだ。当然、百七十五キロなんてアホみてえな距離を一日で走れるわけもなく、全員ぶっ倒れた。


 こんな緊張感のある訓練を受けるのは初めてだ。

 というより、これ以上シビアな訓練があんのか?

 あるなら知りてえ。



   ○



 初日から延々と走らされた。ぶっ倒れたらアメリアさんから“癒発光キュアライト”をかけられ、ゾンビのようにランニングを再開する、という拷問に近い行進が一週間ほど続いた。走っているときも魔力循環を絶やしちゃいけねえ。


 魔力循環を切らすと、至近距離で怪我しない程度に調整された“爆発エクスプロージョン”がぶっ放される。まじで洒落にならねえ。目の前に突然、高熱と爆音が現れてみろよ。ちびるぜ。

 エイミーなんて怖くて泣きながらランニングしていた。そのくせこいつは魔力循環を切らさねえから、すげえんだかすごくねえんだか分からねえ。ガルガインのスカタンと、写真家のテンメイは至近距離“爆発エクスプロージョン”を初日で百発ぐらい食らっている。よく逃げださねえもんだ。


 走る、魔力循環をする、食う、寝る、を繰り返した。


 人間ってのはまじで不思議なもんで、段々と体が環境に慣れてくる。初めて目の前で“爆発エクスプロージョン”をぶっ放されたときは、ムカついてアメリアさんに反撃しようかと思ったが、今じゃ、当たり前の事として受け入れている。これは罰じゃねえ、ただの訓練だ。

 よく見りゃ“爆発エクスプロージョン”を連発しているアメリアさんも大変だ。時折、魔力ポーションを飲んでいる姿を見かける。上位魔法の中級派生“爆発エクスプロージョン”は規模が小さくても魔力の消費は大きいだろう。しかも、五人の魔力循環をつぶさに観察している必要がある。疲労はオレ達の比じゃないだろうよ。


 三週間ほどすると、魔力循環を切らさず、安定したランニングができるようになった。テンメイがたまに“爆発エクスプロージョン”を食らっていたが、他のメンバーはまったく問題ない。オレとガルガインは軽口を叩けるぐらいまでになり、元から魔力循環が得意なエイミーとサツキは楽勝といった感じだ。


 それを見たアメリアさんは、別の訓練を開始すると言って、オレ達『エリィ救出隊』を馬車で半日かけて私有地の池へ連れて行った。


 宮廷の風景画に出てきそうな、のどかな場所だ。小鳥がさえずり、池は十メートル先の水底が見えるほど澄んでいる。



 そんな観光地みてえな場所での一週間が、やべえぐらいの地獄だった。



「一週間、この場所で特別訓練をします。グレイフナー王国最強魔法騎士団『シールド』の入隊試験と全く同じの内容、通称『戦いの神パリオポテスの一週間』と呼ばれている訓練法です」

「まじッすか?!」


 オレの素っ頓狂な声に、アメリアさんは黙ってうなずいた。

 いや、やべえよコレ。

 あの『シールド』を受験できるほどの猛者が、半分脱走すると言われている訓練法だ。内容は知らねえが、絶対にやべえ。


「この訓練法は優秀と言われていた魔法使いが何人もトラウマになるほど辛く厳しいものです。その代わり、対価も大きい。やるかやらないかはあなた達が決めなさい。ただし、不参加の場合はオアシス・ジェラへのパーティーに入れることはできません」


 鳥を模した仮面をつけたまま、アメリアさんがオレ達を睨む。

 どんな内容なのかは聞いても教えてくれないんだろうな。受講者は全員、訓練内容について口をつぐむと言っていたが、その風聞は嘘じゃねえんだろう。

 ま、今更断るなんてありえねえな。それこそまじでめんどくせえ。


「やるぜ」


 一歩前に出て、アメリアさんに宣言する。

 彼女はゆっくりとうなずいた。


「私もやるわ。ヤナギハラ家に生まれた者として、撤退は恥よ」


 気の強いサツキが当然と言った表情でオレの隣に並び、ちらりとこちらを見る。悔しいが、こいつは強い。グレイフナー魔法学校首席の名は伊達じゃねえ。セブンの魔法使いで、使用可能魔法は下位が「火」「土」「水」「風」「光」、上位が「氷」「空」だ。

 戯れのつもりで『偽りの神ワシャシールの決闘法』を挑んだが、わずか五カウントで負けた。魔法の発動が上手く、威力もかなりある。さすがは名門ヤナギハラ家といったところか。ガルガインに至っては二カウントで負けたな。


 つーか、サツキは眉毛がキリッとしていて目元が涼しげに伸び、高くはないが鼻筋がはっきりと通り、口元が自信ありげに上がっている。長い黒髪は定規で線を引いたみてえに真っ直ぐで美しく、見ているだけでうめえ酒が飲めそうないい女だ。

 まじでオレのタイプだ。しかも話してみると、グレイフナー竹を割ったみてえにスカッとしていてオレと合う。口説きてえところだが、自分より女が強いのは癪に障るんだよな。まずはこいつより強くなるぜ。口説くのはそっからだな。


 一刻も早くエリィ・ゴールデンに会って、恋愛の指南を受けてえところだ。

 強くなっても、女に好かれなきゃ意味がねえ。

 いや違うな。強いだけじゃ意味がねえ、ってところか。


「俺もやるぜ」

「同じく。契りの神ディアゴイスに誓って『戦いの神パリオポテスの一週間』への参加を表明します」


 ガルガインのタコナスと、写真家のテンメイも一歩前に出た。


「私もやります、お母様。エリィのために」


 エイミーが最後に一歩踏み出した。

 アメリアさんの仮面の下の表情が微妙に変わったと思ったのは、気のせいじゃないだろう。自分の娘が王国随一のきつい訓練を受けるってんだ。複雑な思いだろうな。


「分かりました。では、まず全員これをつけてもらいます」


 そう言うと、美人メイドのハイジが鞄から縄を取り出し、手際よく、オレの両手と両足を縛り上げた。

 手伝いで来ているコックのバリーも他の連中に縄をつける。

 やべええええええ、嫌な予感しかしねえッ!!!


「まずはこの状態で二十分間水に浮いてもらいます。じゃあスルメ君から。“浮遊レビテーション”」

「ちょ、ちょちょちょっと待っ、あーーーーーーッ!!」


 体が浮いたかと思うと、池に叩き込まれた。

 縄のせいで両手両足が自由にできねえ!

 澄んだ水のせいで底が見えることが、恐怖心を煽る。服が水分を吸って重くなり、体がどんどん沈んでいく。

 やば! 落ち着け! 落ち着け!


 魔力循環の要領で精神を統一させ、芋虫のようにくねくね頭と足を動かして推進力を得て、一気に水面へと上昇する。息がもたねえ!


「ぶっはぁ!」


 水面から顔を出すと、水が頭から流れ落ちる。思い切り空気を吸い込んだ。

 空気うまっ! まじうまっ!


「あんたオレを殺す気かッッ!!!」


 アメリアさんと言えど、さすがに抗議を入れざるを得ねえ。

 しかし彼女はどこ吹く風といった様子でサツキ、エイミー、ガルガイン、テンメイに向き直った。


「という感じでやれば、浮いていられるわ」

「なるほど」

「ふむふむ」

「素晴らしいスルメ君! エェェェクセレントッ!」

「さすがスルメ。しゃくれてるだけあるな」

「おいこらクソドワーフ! オレがしゃくれてんのは関係ねえだろ!」


 そうこうしている間に、次々と池へ叩き込まれる。

 なんとか全員水面に浮くことができた。常に動いていないと沈んでしまうので、泳ぎが得意でないガルガインのボケナスはきつそうだ。


 ボウフラみてえに全員でくねくねしながら二十分を耐え凌ぐ。

 いやまじできつい。

 両手両足を動かせないから焦りが生まれる。これが一番まずい。精神的にやられると、集中が切れて一気に沈む。


「では次」


 そう言って、アメリアさんは仮面らしき物を池に放り投げた。どぽん、という音と共に仮面が沈んでいく。


「一人一つ、仮面を拾いなさい。全員が拾ったら池から上がっていいわ」


 おいおいどんな拷問だよ……。

 浮いてるのもつれえんだぞ。


 つっても時間が経てば経つほど体力がなくなっていくからな。細けえこと考えるのはめんどくせえ。一気に行くぜ。


「おらよぉ!」


 大きく息を吸って水中へ潜る。

 強引に体を反転させ逆さになり、ドルフィンキックで潜水する。ドルフィーンとかいう魔物の動きから、両足を同時に動かして水中を進むことをドルフィンキックと言うらしいが、そんなことはどうでもいい。つーか色々考えると息が苦しくなる。なんも考えるな、オレ。


 水深五メートルほどのところに仮面が五つ落ちている。場所を確認して、オレは手近な仮面を引っつかんで反転し、急上昇した。息がやべえ。死ねるわこれ。


「ぶっはあっ!」


 新鮮な空気を肺いっぱいに入れる。


「取ったぜ」


 重りのついた仮面を、両手が縛られた手で掲げる。焦らずに潜水すれば、問題なく取ることができるな。浮いているだけできつそうなガルガインとエイミーにはちょっと難しいかもしれねえ。


 そのあと、サツキとテンメイが仮面を取ることに成功したが、ガルガインのスカタンとエイミーは十回ほど潜水して失敗し、息も絶え絶えに水面へ浮上する。見れば浮いていることすら限界のようで、次に失敗すればまじで溺れかねない。


 水面を移動し、ガルガインのトンチキを手伝うことにする。


「アメリアさんは協力してはいけない、とは言ってねえ。オレがてめえを引っ張って水底まで連れてってやる。仮面をつかんだらソッコーで水面にあがれ」

「ペッ……わりいな」

「池でツバ吐くなよ。きたねえな」

「癖だ。気にするな」


 せーので水中に潜り、縛られた両手でガルガインの胸ぐらを掴んで池底へと引っ張る。慣れねえドルフィンキックはまじで疲れる。やはり、ガルガインは泳ぎが下手くそで、こいつ一人じゃろくに進むことができねえ。

 透きとおる水の美しさなんか楽しむ暇も余裕もなく、必死にボケドワーフを引っ張って仮面を拾わせ、急上昇した。息がまじで続かねえ。


「ぶっはあ!」

「ぼはあ!」


 オレとガルガインは一気に空気を肺へと送りこむ。

 隣ではサツキが溺れそうになるエイミーを助け、仮面を取ることに成功していた。


 水から上がることを許され、暴風雨で浜辺に打ち上げられた魚みてえに池のほとりへ寝転んだ。すぐ縛られた縄は解かれたが、二十分の休憩後、また同じように縛られて同じように仮面を取りに行かされた。何この訓練…。まじつれえんだけど。


 これを三回やらされて、やっと次の訓練へと移った。


 次の訓練は、四人乗りボートを五人で肩に担いで池の浅瀬づたいに対岸へ運ぶという凶悪なもので、沼地みてえに足が取られて何度もこけた。その間の休憩なんかは一切ねえ。少しでも魔力循環を切らしたり、休もうとすれば“爆発エクスプロージョン”がぶっ放される。


 息を合わせて進まないとボートがずり落ちる。落ちると、沼地みてえにどろっとしている地面に刺さってなかなか取れない。引き上げるのに体力を相当使っちまう。

 エイミーとサツキの女二人をかばうようにして、オレとガルガイン、テンメイが中心になってボートを運ぶ。

 二時間運んだ時点で気づいたのが、何も五人で必ず運ばなくてはいけないわけじゃねえってことだ。一人がボートを担がずに休憩して、残りのメンツで運ぶローテーション方式に変更したら、進みが随分よくなった。


 疲労困憊の状態で、ようやく対岸まで辿り着いた。


 全員ずぶ濡れの泥だらけで、エイミーとサツキは美人の面影が一切ねえ。さすがに女子にボート運びはきつかったのか、しばらく二人は起き上がれなかった。体力に自信があるガルガインとオレはまだマシだ。テンメイは頭がイッちまったのか「ああ、妖精が見える…」とか、よくわかんねえフレーズをぶつぶつと呟いている。


 さらに休まず、アメリアさんは夜の池のほとりに寝転がるように指示を出し、全員の手をつながせた。


 は? 意味がわかんねえ。何なのこれ。両隣がエイミーとサツキなのは嬉しいけど、クッソ寒い。胸のあたりまで体が水に浸かってるんだけど。


「ではこの姿勢で四時間。魔力循環を忘れずに」

「……」


 オレ達は言葉を失った。

 バカなんじゃねえのか? 

 冬の池に四時間何もせずにただ浸かっていろって?

 冗談も休み休み言ってくれ。


 と思っていたら、どうやらまじらしい。

 アメリアさんはメイドが用意した椅子に座り、離れた所からこちらを観察している。



   ○


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