第17話 外出とイケメンエリート③


 町中で落雷魔法を使ったらとてつもない騒ぎになることは明白だ。それに人間相手に使ったらタダで済まないだろう。よくて大やけど、悪くて感電死だ。エリィを殺人犯にするわけにはいかない。


 ここは我慢するしかないな…。


「こいつ…杖なしで…?」

「まぐれよ」


 気を取り直したのかスカーレットが制服で埃を叩きながら顔の前までやってきて、見下ろした。

 ウインドがぴたっと停止する。


「で、私がボブ様を好きで、何がいけないの?」

「…ボブはあなたのことなんかこれっぽっちも好きじゃないわ」

「……へえ。じゃああんたは知ってるの? あの人の好きな人」

「わたしの姉様よ」


 スカーレットは反応ができないのか、無言でこっちを見下ろしている。


「ボブの分際で姉様に懸想するなんて…呆れて物が言えないわ。あなたといい、ボブといい、バカはバカ同士でくっついた方がいいのにね…」


 俺は息も絶え絶えになるべく精神ダメージが大きそうなことを言った。


「そんなにウインドが欲しいのね」


 スカーレットが号令を掛けると、一斉にウインドが放たれた。

 今度のウインドには、サンドストーンという石つぶて魔法が混じっていて、小石が雨あられのように、バチバチと風に乗って地面に降り注ぐ。


 身体に、勢いがついた大量の石つぶてがぶつかる。

 頭にあたると、殴られたような衝撃が走り、痛くて涙が出そうになる。攻撃がやむまで、俺は土を握りしめて、漏れそうになるうめき声を口の中で殺す。弱気なところを見せれば向こうが調子に乗るだけだ。


 口のなかに変な味が広がった。頭から血が出て口の中に入ったみたいだった。


「ふん、デブだから脂肪にガードされてるみたいね」


 距離を取っていたスカーレットがまた俺の背中を踏みつけた。


「それ以上ボブ様を悪く言うならこれを毎日やってさしあげますわ。ウインドの的、サンドウォールの練習台。汚い練習台ですけどね」


 けたけたと小悪党のように取り巻き連中が笑う。


 何も考えないように精神を統一させる。今の俺じゃこいつらに勝てない。

 使える魔法は少ない。

 

 光の初級「ライト」これはただ光で周囲を照らすだけの魔法。

 光の中級「ライトアロー」攻撃魔法ではあるが死霊やアンデッド系に有効なものなので人間への効果が薄い。

 風の初級「ウインド」練習不足なのでせいぜい尻餅をつかせるのが限界。


 悔しいけど勝てない。力で屈服させられる。


 切り札の落雷サンダーボルトは使うことができない。


 くそッ! 


「スカーレット様。このピッグーを黙らせます」


 おさげ頭が、忌々しいと言わんばかりに杖を振り上げた。

 サンドウォールの魔法が発動する瞬間、この裏路地に気づいた通行人が、大声で人を呼んだ。


「あそこで人がもめているぞ!」


 それを聞いたスカーレット達の行動は早かった。

 俺を置き去りにして、通りとは逆側へと走り去っていく。


 その途中で俺のポケットに入っている紙袋に気づいたおさげ頭が、紙袋を逆さまにして中身を地面に出した。


 出てきた『神聖の泥水』を一瞥すると、おさげ頭は拾い投げ、わざと見えるようにして地面に叩きつけた。瓶は割れ、『神聖の泥水』は無残にも乾いた土に吸い込まれていった。


「ゾーイ、早く来なさい!」


 スカーレットの取り巻きの一人がおさげ頭に向かって叫ぶ。

 ゾーイと呼ばれたおさげ頭は満足げに俺を見下ろすと、俺の背中を踏み台にして走り出した。


 しばらくすると、警邏隊専用の制服とハンチングを身に纏った二人組が走ってきた。


「おい君! 大丈夫か!」

「ええ、大丈夫……です」


 優しげな警邏隊のひとりがハンカチで俺の顔を拭いてくれる。


治癒ヒール


 光魔法の中級、回復魔法の初歩だ。

 体の痛みが和らぎ、頭か流れていた血が止まった。


 警邏隊は俺を介抱しながら事情聴取を行った。俺は死角からやられて犯人を見ていない、と言った。使われた魔法に関しては嘘なく答える。


 ここで犯人を言っても証拠がない。

 それにやはりこの借りは自分で返さないと気が済まない。

 怒りよりも、悔しさが先行している。


 こうなるかもしれないということは容易に想像できたはずだ。ではなぜ対人戦闘の練習をしなかったのか。


 ……異世界を甘く見ていた。

 いつもだったらこんなミスをするまえにリスクを考え対策をしてきたじゃないか。どうしてそれができていない。


 まったく……入社したての新人みたいじゃねえか。


 スカーレットよりも自分自身に腹が立つ。


 警邏隊への挨拶もそこそこに家に帰った。制服が汚れているので馬車で送っていこう、という提案はやんわり断った。警邏隊の馬車で家に帰ったら家族を心配させるだろう。


 太い足を動かして早歩きで向かうと、十五分ほどで家が見えてくる。自分の家を見てこんなにほっとしたのは初めてだ。思っていたより精神的にやられているらしい。仕事でいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたものの、肉体的に追い詰められることはなかった。日本であんなことしたら犯罪だからな。


 ボディビルダーのような屈強な門番が俺を見つけると、血相を変えて走ってきた。

 こちらの安否を確認し、すぐ家に飛び込んでいく。


 ……結局、大事になりそうだ。


 門番は治癒ができるエイミーを真っ先に呼びに行ったらしかった。

 玄関からエントランスに入ると、エイミーが美しい顔を悲しみでいっぱいにして階段を駆け下りてくる。


「エリィ!」


 エイミーは俺を抱きしめると、すぐに癒発光キュアライトを唱えた。

 警邏隊にかけられた治癒魔法より遙かに温かく安らぎを感じる。腕や、足の擦り傷がみるみるうちに消えていった。文字通り、消えていくのだ。しばらく俺はその効果に驚いて観察し、無言になってしまった。


「おじょうすぅわむあぁーーーーーッ!」

「クラリス?!」


 クラリスがエントランスの踊り場から飛び降りてきた。

 オバハンメイドがハリウッド映画のようなアクションをかますのはシュール以外の何物でもない。


「大丈夫で……大丈夫でございますか!?」

「エリィ、いったいどうしてこんな事になったの?」

 

 魔法が終わったエイミーが聞いてくる。


「そうでございます! 一体誰がお嬢様にこんなことを……!」


 クラリスは今にも玄関から飛び出しそうな勢いだ。


 余計ないざこざが起きないようにこう答えた。


「ちょっと転んだだけよ」


 二人はつらそうに下を向いた。

 そしてすぐに顔を上げる。


「エリィ…。あなたは優しい子ね。でも今回ばかりは黙っていられないわ。教えてちょうだい。どこで、どんな奴にやられたの?」

「あの切り傷はウインドブレイクによるものでしょう。そこそこに魔法が使える者が犯人でございます」


 そう言ってクラリスは奥の部屋へ消えた。


癒発光キュアライトかけてくれてありがとう」

「ううん。当たり前よ。自分の妹が怪我をしたんだもの」

「姉様、聞きたいことがあるの」

「なあに?」

「ゴールデン家で一番強いのは姉様?」

「…どうしてそんなことを?」


 エイミーはなぜこんなときに強さを聞くのかわからないみたいだ。


「私、強くなりたいの。姉様、私に魔法を教えて」

「エリィ……」

「その必要はございませんお嬢様」


 振り返るとクラリスが俺たちの前に立っていた。


「ちょ……クラリスそれは何?」


 黒いコートに黒頭巾をかぶり、中国映画でよく見る青竜刀のようなものを左右の腰に差し、肩には特大のハンマーを背負い、コートの裏地には魔法の杖が二十本ほど、いつでも取り出せるように縫い付けてあった。


「犯人の目星はついております。ここでお待ち頂ければ敵の首級を上げて参ります」


 クラリスが本気だ。

 これはやべえやつだ。

 目が狂気と殺気でぎらぎらしている。


「首級ってあんた……」


 ついツッコミを入れてしまう。

 止めなければガチで特攻するだろう。


「ええ。ぶっ殺して参ります」


 にこりと笑うクラリス。


 こわい!

 このオバハンメイドこわいよ!

 エイミーの顔が恐怖で引き攣ってるよ!


「お嬢様ご安心を。このバリー、お嬢様のためなら命も惜しくありません」

「ひいっ!」


 声のする方を向いたら、茶髪の角刈りで眼光の鋭い頬に傷のあるおっさんがこちらを睨んでいた。悲鳴を上げるなと言われても絶対に無理だ。


「バリー近いわ! 顔が怖いわ! あと顔が怖いわ! それから顔が怖いわ!」

「お嬢様に仇なす下衆な輩は確実に我々夫婦が仕留めて参ります」


 何をしでかすかわからない不敵な顔をしている。


「どうするつもりなの?」


 念のため確認してみる。


「どこのどいつだか知りませんが脳天をぶちまけるのは間違いありませんね」

「恐ろしいことを言わないでちょうだい!」

「今回ばかりは堪忍袋の緒がぶっちぶちのびっりびりに切れました。いえ、キレました」

「姉様ふたりを止めてよ!」


 エイミーはバリーの格好を見てぽかんと口を開けている。

 

 バリーは日本刀に酷似した剣を二本腰に差し、『必殺』と書かれたハチマキを巻いて、そのハチマキには蝋燭が左右にぶっ刺してある。さらに防弾チョッキに似た革の鎧をつけ、腰のベルトには魔法の杖が乱雑に十本ほどねじ込んであった。ヤのつく人々の仁義なき戦いそのものだった。これはダメなやつだ。人に見せたらあかんやつだ。


「うちの旦那はこうみえて元冒険者。相当な奥地まで探索した猛者でございます」

「左様でございます。魔法使いのひとりやふたり、何ら遅れは取りません」

「首級はこちらにお持ちした方が?」

「いらない! 生首なんていらない! てゆうか行かないでちょうだい!」


 必死に止めた。


「料理長ーっ!」


 するとキッチンから、あわてた様子でコック姿の若い男、四人が走ってきた。


「料理ほっぽり出してどうしたんすか?!」

「早く戻ってください!」

「もう食事の時間過ぎてます!」


 口々に叫んだ後、料理長であるバリーの顔を見て、コック四人の動きは止まった。


「何事ですか?」

「討ち入りだ」


 短く答えるバリー。人物の見た目は西洋風なのにヤクザ映画を観ている気分になっているのは俺だけだろう。


 さらに家のそこかしこからメイド服を着た侍女が六名、スカートの裾をからげてエントランスに駆け込んでくる。


「メイド長!」

「そのような格好でどうされたのです?!」

「一体何が!?」


 メイド達はバリーも武装している様子を見て息を飲んだ。


「どうされたのです?」


 メイドの中で一番年かさの女が、ゆっくりと息を吸ってから口を開いた。


「何があったんですか?」


 バリーは説明しろという目線をクラリスに送った。

 クラリスがゆっくりうなずいた。


「エリィお嬢様が何者かに襲われたのよ」

「なんですって!?!?」


 コック達、メイド達は信じられないと目を見開いた。

 まず俺のやぶれた衣服や泥だらけの腕と足を確認し、無言でお互いを見つめると、こっくりと首を縦に振った。視線だけで通じ合ったらしい。


 全員同時のタイミングでこう言った。


「ぶっ殺しましょう」

「ぶっ殺しましょう」

「ぶっ殺しましょう」


 綺麗なハミングだった。


 すると食堂の方から父、母、長女、次女がやってきた。


「もうとっくに夕食の時間ですわよ!」


 ちょっぴりヒステリックな母がバリーに叫ぶ。が、エントランスに集合したゴールデン家の使用人達、俺、エイミーを見て、怒りの顔がすぐに訝しげな表情へ変わった。


「何事だ!」


 垂れ目でイケメンの父親が似つかわしくない怒鳴り声を上げる。


 すぐさまクラリスとバリーが恭しく頭を下げると、使用人の面々も帽子かぶっている者は取って礼をし、手にぞうきんやら道具を持っているものは床に置いて礼を取った。


「お父様、エリィが誰かに襲われたの…」


 エイミーが泣きそうな顔で俺を抱きしめたまま言った。


「なんだとッ!?」


 それを聞いた長女エドウィーナと次女エリザベスが、こちらに駆け寄ってひざまずいて俺を抱きしめた。「大丈夫?」「怪我はない?」など優しい言葉が頭上から落ちてくる。美女三人に囲まれ、いい匂いに包まれる。これは悪くない。うむ、悪くないぞ。


「旦那様、どうか討ち入りの許可を」

「下衆の脳漿をぶちまけて参ります」


 クラリスとバリーがこわい。


「おだまりッ!」


 母が底冷えする金切り声で一喝した。


 場にいた全員が全身を硬直させ母を見つめた。


「あなた」

「ああ」


 母と父はうなずいてエントランスを上がっていった。そして一分もしないうちに、完全武装して、出てきた。


「タダじゃおかないわよ」

「ああ」


 なんだろう。すごく冷静なところが返って怖い。恐ろしい。

 特に母の目は野生の鷹のようにくわっと開かれ、らんらんと獲物を探している。

 マミーが一番怖いッ!


 ゴールデン家に冗談は通じない、ということが今日よくわかった。


 クラリスとバリーが、静かに父と母の背後に付き従った。気づけばコックとメイド達も各々、槍やらバスターソードやらメリケンサックを装備して列に加わった。


「四人は家で待っていなさい」


 母は俺たち四姉妹に厳命すると、キッと前方を睨んで、杖を振り上げた。


「爆炎のアメリアと呼ばれたわたくしを怒らせたらどうなるか、身を持ってわからせてあげるわ」


 すべて理解した。


 ゴールデン家で一番強いのは母だと。


 間違いなく母が最強だと。


 その後、討ち入りしようとする母と父、クラリスとバリーを説得するのに小一時間を要した。

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