第3話 洋服とイケメンエリート①
朝の六時、うきうきと鼻歌を歌うクラリスに叩き起こされて、パジャマ姿のままゴールデン家秘密特訓場にやってきた。
病院から馬車で三十分ほどの林の中にある空き地にあり、訓練を覗かれないように十メートルの高い塀が設けられている。広さは野球場ほどで、ところどころに木が生えており、三分の二が平らな地面、残りは岩場と水場がある。様々な訓練を想定されて造られているようだ。
「なぜこんなに厳重なの?」
秘密特訓場といってもこの塀はやりすぎじゃねえか?
「他家に手の内がバレては大変なことになります」
クラリスはこれでも秘密度が足りないとでも言わんばかりの解答をした。
「バレたら大変なの?」
「もちろんでございます。魔闘会の勝敗に響きます」
「その魔闘会にはクラリスも出るの?」
まさかと思って聞いた。
そしたらオバハンメイドはツボに入ったのか、オホホホホ、オホホホホ、オホホッホホ、と笑いはじめた。
「お、お嬢様! わたくしのような弱っちい魔法しかできない人間が出れるわけございません。そりゃわたくしも一般参加の部で若い頃何度か挑戦しましたが一回戦で敗退でございます。若気の至りでございますね。オホホ-」
そこからクラリスの魔闘会マシンガントークがはじまった。
魔闘会とやらは年に一回、一般の部と貴族の部、二つが開催される。貴族にとってはとてつもなく大きな意味があるそうだ。
なんと、貴族の部で勝てば領地が増え、負ければ領地が減る。
要するにバトル式の陣取り合戦だ。
花形は一騎打ちの魔法勝負で、勝てば負けた側の領地を奪える。
「一騎打ち」「団体戦」「個人技」の三種目が魔闘会で競われる。国を挙げての一大興業なので、連日たいへんなお祭り騒ぎになるそうだ。そして毎年、語り継がれる逸話と魔闘会の英雄が誕生するらしい。
確かに自家の領地がかかるとなると、入る熱も否応なしに高くなるだろう。
現代風にいったら給与年俸の取り合いみたいなもんだ。
興奮するな。というか、どんな手を使っても勝ちたい。
ちなみに伝説級美女のエイミー姉さんは「個人技」で十位に入賞したそうだ。伝説級美人で優しくて魔法が使えてスタイルがいい。もはやオーバースペック、チートと言える。
そんな話をしている間にもクラリスは俺の横に長机を設置し、うきうきした足取りで病室にあった書物を両手に抱えて持ってきた。
てきぱきと病室に置いてあった配置を寸分違わず再現し、落として地面で本が汚れないようにシーツを引く細かさと気配り、そして作業の素早さ。ひょっとしてクラリスはめっちゃ優秀なメイドなんじゃねえか?
「どんな研究でもできるようにアシストすることがメイドの勤めでございます」
「さ、お嬢様、気兼ねなくやってください」
「うわっ!」
音もなくクラリスの隣に現れたのは、真っ白のズボンとシャツとエプロンを身に纏ったコック姿の男だった。
見た目は初老で、頬に深い傷があり、眼光が鋭く、ただ者ではない空気を発している。白いコック姿よりもブラックスーツとグラサンが似合いそうな風体だ。
「お嬢様申し訳ございません。夫がどうしても同行したいと駄々をこねたので仕方なく連れて参りました。お嫌であればすぐに帰らせます」
旦那かッ。
「何を言うかクラリス。私は駄々なぞこねていないぞ」
ぎろりとクラリスを睨むコックヤクザ……もとい、クラリスの旦那。
「俺も行く! 連れて行かなければここを動かん! と言って玄関であぐらをかいていたのはどこの誰よ」
「うっ……」
「なぜあんたは魔法のことになると怪盗ゼゼメーリみたいに目端が利くようになるんだよ」
「お前があんなにうきうきして俺に弁当を頼むからだろう! 何かあると誰だって気づく!」
「私はうきうきなんてしていません」
「へたくそな鼻歌まで歌ってどの口がそれを言うんだ」
「行くったら行くぞ! 行くったら行く! とわめいたあんたは子どもみたいだったわよ! 普段は偉そうに俺は世界一のコック、バリー・ダミアンとか言って! 世界一でもないくせに!」
「なにを!」
「おやめなさい二人とも」
言い合いをする二人の間に割って入った。
いや、正確に言うならば割って入ったというよりは太い身体をねじ込んで吹き飛ばした。
「これ以上言い争うなら二人とも出て行ってもらうからね」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
シュン、と二人は俯いた。
子どもか。
「クラリス、ええっと、バリーに例の話はしたの?」
クラリスの旦那は会話から察するにバリーという名前みたいだな。
昔から人の名前を覚えるのが得意だ。
名前を瞬時に憶えて呼ぶことは営業マンにとって非常に重要だ。それができなくて嘆いている同僚や後輩が数多くいたのでコツを教えてやったが、できるようになったのはほんの数人だった。
「お嬢様との約束でございますから話しておりません」
落雷魔法を知っている人間は少ないほうがいい。
どこから情報が漏れるか分からんからな。
腕を組んで考えていると、
「お嬢様。私は料理を作るしか能のない男です。どんな練習をされていようと、秘密は厳守致します。たとえ拷問をされようとも口を割ることはありません。どうか、お気になさらず訓練を行ってください」
一瞬、仁義を切られたのかと思って驚いたが、バリーの目は真剣そのものだった。
クラリスを見ると、彼女もそこは信用ができるのか、大丈夫でございますと一礼した。
「わかったわバリー。但し、絶対に他人に言っては駄目よ。クラリスと二人でいるときも落雷魔法のことは話してはいけない。いいわね?」
「かしこまりました」バリーはコック帽を手にとって胸に当て、頭を下げた。「契りの神ディアゴイスに誓って約束をお守り致します」
「よろしい」
契りの神が何者かは知ったこっちゃないが、それが違えてはいけない宣言であり、バリーが約束を破るようには見えなかったので、空気を察してうなずいた。
クラリスの用意した椅子に座り、日記の最終ページを開いて「
朝のやわらかい陽射しが日記を照らす。
クラリスは素早く日傘を差して、傍らに立った。
「
やがて出逢う二人を分かつ
空の怒りが天空から舞い降り
すべての感情を夢へと変え
閃光と共に大地をあるべき姿に戻し
美しき箱庭に真実をもたらさん」
またあの感覚に襲われるのかと思うと、どうも緊張してくる。
緊張なんてほとんどしない質だが、未知の体験に胸の高鳴りと不安をおぼえた。
絶妙のタイミングでバリーが紅茶を差し出した。
ほんのり温かく温度調整されている。
ありがたく飲み干し、立ち上がった。
「いくわよ」
意を決し、あの全身から力が噴き出そうとする感覚を想像して、精神を統一した。
「あの……お嬢様、杖は?」
「いらない」
さらに集中して、息を、吸って、吐いて、吸って、吐いて、呪文を唱えた。
「やがて出逢う二人を分かつ――」
昨日とは違う感覚になった。制御が非常に簡単だ。
へその下から力が湧き出て、全身をゆっくりと覆っていく。これなら詠唱の途中で、魔法を唱えることも可能だろう。
瞬時に理解して詠唱を途中でやめ、三十メートルぐらい先の地面に雷が落ちるイメージをし、
バリバリバリッ――
ドォン!
轟音と共に
「どうやら呪文は最後まで唱えなくてもいいらしいわ」
どうよ、とクラリスを見ると、バリーと一緒にわなわなと体を震わせていた。
「おおおおおお…」
二人は戦慄した表情から、信仰している神を見たような感動した表情で膝をつき、這いつくばってこっちに来ると、俺のパジャマのズボンをつかんだ。
「お、お、お嬢様……なんと……」クラリスが呟く。
「お嬢様! お嬢様ッ!」バリーが叫ぶ。
顔を上げた二人は顔面をぐしゃぐしゃにして涙を流していた。
「落雷魔法……なんて神々しい…」
「おどうだば! おどうだば!」
クラリスとバリーは顔中から出るであろう体液を全部出さん勢いで号泣している。バリーは鼻水とよだれまで垂らしており、抗争に敗れたヤクザが死んだ仲間を思い悔しがっているようにしか見えない。
二人とも我を忘れてパジャマズボンを引っ張ってきた。
パンツが出そうな五秒前だよっ!
離してくれっ。
「しかも…杖なしでぇ!」
「づえなじ!? おどうだば!」
「ズボン! ちょっとズボン!」
ぐいぐいと引っ張って二人は号泣をやめない。
「杖なし! 落雷! お嬢様あぁぁ!」
「ぶひょうずう゛ぉあ!」
「やめ! ちょ!」
二人は全体重をパジャマズボンにかけて腕をぴんと伸ばした。
くっ! パジャマ破けそうっ!
「おじょうざば…わたぐじは……わだぐじは!」
「べじょうぞう゛ぉあぁぁ!」
「こらッ! やめなさい! あっ!」
ついにパジャマズボンはズリ下ろされた。
二人はズボンに顔をうずめるように感極まってうわんうわん泣く。バリーに至っては何を言っているかわからない。
デブの少女がパンツ丸出しでオバハンメイドと強面の料理人を這いつくばらせて泣かせている。
端から見たら恐ろしい光景だ。
「クラリス! バリー! 手を離して!」
「離しませんお嬢様!」
「じゅぼうずびぃ!」
ズリ下ろされたズボンを取り戻そうと、じたばたもがいていたら、太っているせいか尻餅をついてしまった。それでも二人は両手でしっかりとズボンを握りしめて離そうとしない。
やめてちょうだい、とふたりの頭をげしげし蹴飛ばすこと五分、ようやくクラリスとバリーは正気に戻ってくれた。
「二人ともそこに座りなさい」
パンツ丸出しのまま両手を腰に当て、地面に正座をした魔法バカのオバハンメイドと強面コックを叱った。二人は取り乱したことに対して大変反省したが、落雷魔法をその目で見た興奮は醒めないようで、叱られても目を輝かせていた。
次やったらバリーに
チュンチュン――
秘密特訓場には爽やかな朝の風がそよぎ、小鳥達が楽しげにパンツの脇を飛んでいく。
地面に正座するオバハンとおっさんの前で小鳥が求婚のダンスをし、どこかへ去っていく。
「とにかく
「イエスマム!」
正座したままなぜか敬礼する二人。
「で、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
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