第2話 目覚め②


 気づいたら寝てしまっていた。

 何はともあれ生きている。


 そろそろ会社に連絡をいれないとまずいだろう。一日寝ていたとすれば、日曜日になっているはずだ。症状を医者に聞いて、最悪休みをもらわないといけない。

 くそっ、でかい商談の前日だっていうのに、最悪だ。


「エリィお嬢様!」


 ドアが開いたかと思うと、誰かがベッドに飛びついてきた。


「やっと目を覚まされたのですね。わたくし心配で夜も眠れませんでした……」


 誰だこのオバハンは?

 外人だな。


 様々な苦労を乗り越えてここまで生きてきたのであろうと思わせる、苦労人の雰囲気を醸し出していた。泣きはらした茶色の瞳。その横には優しげな小皺が刻まれ、整った美貌には少し陰りが差しているものの、かえってそれが女性的な魅力を感じさせる。


 古い海外映画の使用人みたいだ。

 というか格好も使用人だった。


 黒地の膨らみのあるワンピースに白いエプロンを掛けている。作業を色々やり終えてからこの部屋に来たのか、エプロンはところどころ汚れていた。


「なぜあのようなことを……。いえ、あのような場所に行かれたのですか?」


 彼女は涙を拭おうともせず、しゃくりあげている。


「旦那様や奥様、お嬢様方、皆様、エリィお嬢様がご乱心されたと……わたくしはそのようなこと一切信じておりません。エリィお嬢様のお立場を分かっている方など、誰もおりません……」


 すんごい悲しいシリアスな展開のところ申し訳ないんだが……。


 エリィって誰よ?


 オバハンメイドは、ハッとした表情になってこちらの顔を覗き込んだ。


「申し訳ございません。まだお体が本調子ではないのですね……」


 やべ、声が出ねえ声が!

 どうすんだよ。明日の商談、俺がプレゼンしないと絶対に取れないぞ。


「お体をお拭きしますね」


 彼女は優しくうなずくと、タオルをしぼって、大事な壊れ物を扱うかのように俺の顔を拭いていった。


 心の中は明日の仕事のことで非常に焦っている。

 それでも、首筋や腕を拭いてもらうのは気持ちがよかった。


「いつ見てもエリィお嬢様はお肌が綺麗ですこと……」


 そう言ってオバハンメイドは俺の腕をそっと持ち上げた。

 つーか、エリィって誰だよ。


 はあっ!?

 持ち上げられた自分の腕を見て驚愕した。


 心の中で叫び声を上げるぐらいぶったまげた。

 声が出てたら「なんじゃこりゃあ!」と叫んでいただろう。


 俺の腕は、白く、ぷよっと、太くなっていた。

 あの、黒く、がちっと、ジムで鍛えた筋肉は、どこにいったんだ?


「大丈夫ですよ、エリィお嬢様。すぐお体はよくなりますから……」


 いやだから、エリィって誰よ?



      ○



 ――どうなってんだこれ。


 なんとか動くようになった両腕を顔の前にかざした。

 そこには自分の腕じゃない、自分の腕があった。


 なんともだらしなく脂肪のついた太い腕。異常、といっていいほど白い肌。毛なんかは一本も生えていない。よく見ると毛根すらないぐらい、つるっとしている。


 手のひらなんかは、もっとひどい。

 自分の手はもっと男臭くて、ジムでかなりトレーニングしていたので血管が浮き出ていた。それがどうよ、この手は!


 ぷよぷよして関節が脂肪で埋まってやがる。

 デブだな。これはデブだ。


 人間ってこんなにすぐ太れるのか?

 結果にコミットするトレーニングジムの逆バージョン?

 いや……何なのコレ?


 どんだけトレーニングしたと思ってるんだ。

 仕事の合間を縫ってジムに行って、食事制限までしてたんたぞ。


 俺は完璧主義だ。ぶよぶよのおっさんとか格好悪いだろ。来年で三十だから健康には人一倍気を使ってきたんだ。それに営業は見た目が大事だ。精悍な体つきのほうが信頼度も高くなる。


 しっかし、どうしたもんか。

 声は出ないし、身体は腕と頭しか動かない。


「失礼します、エリィお嬢様、エイミーお嬢様がお見舞いに来られました」


 そういうオバハンメイドの声とともに、ドアが静かに開いた。


「エリィ!」


 入ってきた人物はオバハンメイドと同じように俺に飛びついた。そして顔を上げると、はらりと悲しげに涙を流した。


 どアップになった、金髪の美女がそこにいた。


 金色の髪にブルーの瞳、桜を散らしたような薄いくちびるは、嗚咽をこらえて揺れている。輪郭もほどよく丸く、垂れ目なのがどこか保護欲をそそる。鼻梁は作り物のようにまっすぐ伸び、白い肌は誰もが羨むほど綺麗できめ細かい。まぼろしでも見ているかのような伝説級の美人であった。


 俺は何を隠そう女好きだ。追加してイケメンで営業力はトップクラス、趣味も多くて友達も多い。身長は一八〇センチに少し届かないぐらい。最近でいうところの、リア充の完全体みたいな人間だ。まあ冷静に第三者の目で自分を分析しても、他人からかなり羨ましがられる容姿をしている。


 それもあり、女性経験は普通の男より遙かに多いと自負している。

 その俺が伝説級というのだ。間違いなく伝説級の美女だ。そして伝説級にいい匂いがする。


 とりあえず色々考えるのをやめて深呼吸した。

 肺の隅々まで伝説がいきわたるように、思い切り空気を吸い込んだ。


「どれだけ心配させれば気が済むの……。あなたは私以上に繊細で引っ込み思案で臆病で……」


 ぽかり、と美女が俺の肩を叩いた。

 ぷよん、と肩の脂肪が伝説級美女の手を柔らかく弾く。


「エイミーお嬢様」

「ごめんなさい、クラリス。病人に私ったらなんてことを……」


 オバハンメイドに咎められた美女は叩いた肩にそっとくちづけした。

 叩いたところにくちづけ?


 くせえ。映画でしか見ねえぐらい、くせえ行動だ。行動も伝説級とは……すげえ悔しいんだけど、そこはかとなく嬉しい。


「エリィ、今度こんなことをしたら私、もうあなたとは二度と口をきかないからね。嫌いになっちゃうからね」


 そう言って美女はまた涙を流した。


 オバハンメイドが、ハンカチを出してそっと美女の涙を拭こうとする。

 それを美女は押しとどめてハンカチを受けとり、自分でハンカチの角っこを使って涙を吸い取った。


 仕草までも伝説級だった。

 こんな所作ができる女は銀座の一見さんお断りのとある店ぐらいでしか見たことがない。その店にも負けてない。いやむしろ、見た目補正が入って余裕で勝っている。


 しばらくの間、エイミーと呼ばれる美女は俺のぷよぷよになった手を握っていた。


 よほど心配だったらしい。オバハンメイドともろくに口をきかず、ベッドの脇にひざまずいたまま、かれこれ三十分ほどそうしていた。


「早く元気になってね、エリィ。あなたの部屋にあったものは、クラリスに持ってこさせるから。何か必要なものはある?」


 そうだな、とりあえずスマホ、持ってきて。


「あら、まだ声が出ないのね……よほどショックだったんでしょう」


 そうして美女は俺のぷよっぷよの手を握り直して、十分ほど自分の胸に抱いた。


 やわらかい感触を楽しみつつ、嫌な予感を身体で感じた。


 見ず知らずの伝説級美女が、飲みすぎて車に轢かれた男を、なぜこんなに心配しているのか分からない。陰謀に巻き込まれた、と冗談ながらも半分本気で推測する。そこまで重要な個人情報や会社の機密は取り扱っていないが、営業力を目当てに引き抜きにくる輩は他社に多数いる。まさかこの美女を使ってヘッドハンティングするつもりだろうか。


 こんな美女を雇って引き抜くメリット、費用対効果が俺にあるのか?


 去年、派手に他社の契約を全部うちのモノにしたおかげで、ライバル営業から露骨な牽制をくらった。他社のライバルからなら構わないだろうと、睨まれた営業の担当場所を狙って契約を正規の方法でぶんどった。それ以上はやるなと会社から釘を刺されたぐらいだ。


 普段じゃ拝めないほどの、特別賞与をもらった。ちょっと同僚には話せないレベルだ。


 その年の年収は過去最高だったな。今年の税金も最高だったが。

 まあ、この営業力なら他社に行っても相応の成果は出せるだろう。ヘッドハンティング説は、あるかもしれない。


 そうこうしているうちに、クラリスというオバハンメイドが、部屋に女物の荷物を次々に運んできた。


 それと一緒に、夫婦と思わしき男女と、目のくらむような美女が二人、入ってきた。


「クラリス。エリィは全快したの?」


 部屋に入るなり、美人ではあるが性格がキツそうな女性が声を上げた。見た目は二十代後半に見えるが、修羅場をくぐってきたかのような隙のない雰囲気のせいで、年齢不詳に見受けられる。大きな釣り目を細め、視線をクラリスに投げた。


 厳しい目にも何ら臆することなく、クラリスはメイドらしく一礼した。


「いいえ、奥様。まだお声が出ないご様子でございます」

「そう」


 奥様と呼ばれた女性は俺のぷよっとした右手を取った。


「あなたって子は本当に心配ばかりかけるわね……」

「まったくだ……」


 女性の旦那らしき、垂れ目のイケメンが慈しむように頭を撫でる。

 いや、男に撫でられる趣味とかないから、やめてくれ。と思っても、振り払うほどの力が出ない。


「生きていてよかったわ」


 そして、身長が一七五センチほどはありそうな、エイミーと呼ばれた伝説級美女と似ている女性が、俺の左手を取った。


 男を窒息させるほどの色気が漏れている。大きな垂れ目にくびれた腰。目尻にある泣きぼくろが何とも艶めかしい。歳は二十代前半だろうか。


「エリィはいつもみんなに心配かけるのね。だから普段から、しゃんとなさい、と言っているでしょう?」


 その後ろから、怒っているような悲しいような、どちらともいえない表情をした女性が、ゴージャスな金髪をかき上げて注意してきた。奥様と呼ばれた女性とよく似た釣り目をしている。伝説級美女とお色気美女と容姿が似ているため、三人が姉妹ではないかと推測できた。


 なるほど。最初に病室へ入ってきた男女が父と母で、伝説級美女、お色気泣きぼくろ美女、釣り目ゴージャス美女が三姉妹、ということか。しかも全員が巨乳。遺伝子ってすげえな。


 うん、よく分かった。

 とりあえず、全員がとてつもなくイケてる家族だってことは分かった。

 で、何なのコレ?


 なぜ俺のところに来るんだよ。意味が分からない。ひょっとしたら身体がぷよぷよになっていることと何か関係があるのか?


 これからエリィをどうする、という話を全員でし始め、しばらくすると会話が終わったらしく、四人は出て行った。


「エリィ、できる限りのことはするから、何でも言ってね。学校が終わったらまた見に来るからね」


 エイミーと呼ばれていた伝説級の美女がいなくなると、メイドオバハンも姿を消した。


 くそ、声が出ればあれこれ聞けるものを。


 会社に連絡ができないのは心配だが、まずは身体を治すことに専念しよう。なぜ外人メイドが世話をしてくれるのか、なぜイケてる家族が来たのか、なぜ自分が太っているのか、めちゃくちゃ疑問点はあるものの、現状では何もできない。こういうときは図太く立ち回るのが俺流だ。


 ちらりとテーブルを見た。

 外人オバハンメイドが持ってきた物が整理されて置かれている。


 花柄の可愛らしいポーチ、化粧道具が入っているであろうこれまた可愛らしい両手大の箱、手鏡、雑多な本、ピンクとか白とか男の俺からしたら絶対着ないであろう女用の服がいくつか。あと、皿の上に甘そうなお菓子類。


 ギリギリ手の届く場所にあった手鏡を持った。

 そして、なにげなく覗き込んだ。


 ファッ!?!?!?!?!?


 そう、何気なく覗き込んだのだ。


 フェッ!?!?!?!?!?!?!?!?


 そうなのだ、何気なく覗き――ヒィィィィィィィィィィィィッ!


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