第220話 『妖精はそう言い残し』

「ふふっ。これで後は指輪があれば、私は貴方のお嫁さんになれるわ」


「指輪? 指輪ってなに? それが必要なの?」


「指輪っていうのは、薬指にはめる輪っかで、小さいけれどすごく綺麗な石が付いているの」


「綺麗な石の付いた輪っか? それが必要なんだね」


「うん。お母さんの指輪には、エメラルドという緑色の綺麗な石が付いているのよ」


「その、エメラルドと輪っかが必要なんだね」


「待って、レイルン。指輪の石は綺麗なだけじゃあなくて、そのお嫁さんが好きな石じゃあないと駄目なのよ」


「そうなんだ……。それじゃあ、君はどんな石が好きなの?」


「あのね、レイルン。私は……あのお星さまみたいな石がいいわ」


「お星さまのような石?」


「うん。あんなふうに、綺麗で優しく光る石が欲しいの」


「……そうか。うん、わかったよ! 君をお嫁さんにするために、僕は必ずあの星の光を宝石にして君に贈るよ」


「えっ? 本当? そんな事ができるなんて、レイルンてすごい! さすが私のお婿さんね!」


「少しだけ待っていて。そのためには、『鏡』が必要なんだ。それに、父さんの許可も……」


「わかったわ。待っているから。だから必ず私を貴方のお嫁さんにしてね」


「うん。大好きだよ、レミィ」

「ええ。私も大好きよ、レイルン」




 ◇




 頭に、幼い少女とレイルンのやり取りが流れ込んできた。

 レイルンの感情の爆発が大きすぎて、まだ魔法によって繋がっているメルエーナの脳裏にその時の光景が浮かんできてしまったのだろうと、メルエーナは推測する。


 幼かった頃のレミィ……レミリアとレイルンのやり取りは神聖で真剣な約束だったに違いないと思う。けれど、あの時と今では状況が違いすぎる。


 レミリアはもうキレースの妻であり、フレリアの母なのだ。

 あの頃と何も変わらないレイルンとは……。


 レイルンが手にしている優しく輝く宝石がどれほど大掛かりな魔法を行使して作られたものであろうかは、その知識が殆どないメルエーナにも察することができる程だ。

 でも、レイルンにそれを差し出されたレミリアは、顔を覆いながら涙を流し、「ごめんなさい、レイルン。ごめんなさい……」と繰り返し続ける。


 妖精が村に現れて、大掛かりな魔法の儀式のような事柄が行われたことに驚いていた村人たちも、せっかく妖精が差し出してくれている光の前で涙を流すレミリアを訝しみ始めてきたのが感じられた。


「どうして妖精様が、キレースの嫁さんに話しかけているんだ? それも親しげに……」

「そうだな。まるで妖精様の知己かなにかのように……」


 そんな無責任な言葉が聞こえてきて、メルエーナはどうしたものかと思ったが、未だに体に力が完全に戻らず、ジェノに体を預けた状態のまま動けないので、何も対応することが出来ない。

 視線を上にやると、ジェノもどうしたものかと思案しているようだった。


 けれど、そんな空気は、レイルンが口を開いたことで一変する。


「泣かないで、レミィ。僕は、君を苦しめるためにこの石を作ったのではないんだから」

「……レイルン……。でも、でも、私は……。貴方の気持ちに応えられない。……あんな幼い頃の約束を、貴方は守ってくれたのに……」

 そう言ってレミリアは再び顔を俯ける。


「それは、君のせいじゃあないよ。キレースさんから聞いたよ。君も僕との約束を覚えていて、待ってくれていたんだって。でも、僕が待たせすぎてしまったから……。君を傷つけてしまった」

「レイルン……」

「ごめんね。辛い思いをさせて……」

 レイルンは再び顔を上げたレミリアに、そう言いながらも微笑んだ。


「ねぇ、レミィ。キレースさんからも聞いたけれど、僕は君の口から聴きたい。君は今、幸せなのかな?」

 笑顔を崩さず、レイルンは尋ねる。


「ごめんなさい。でも、私は幸せよ、レイルン……」

 レミリアがそう答えると、レイルンは一層笑みを強めた。


「……よかった。これで、僕は心から喜んでこれを贈ることができる」

 レイルンはそう言うと、手にしていた、優しく光り輝く石をレミリアにもう一度差し出す。


「遅くなってしまったけれど、結婚おめでとう、レミィ。僕では君を幸せに出来なかったけれど、君が幸せであることが何よりも嬉しい。でも、約束だけは果たさせてほしいんだ」

「約束を? でも、私は……」

「心配しないで。僕は君をこれ以上望まない。その資格が無いから。でも、祈らせて欲しい。君のこれからの将来が明るいものでありますようにと。その想いをこの石に込めて、君に贈りたい。どうか、受け取ってくれないかな?」


 レイルンは笑顔だった。 

 ポロポロと大粒の涙をこぼしながらも、彼は笑顔だった。 


 そして、レイルンの気持ちを悟ったレミリアは、その行いを無為にしないために、レイルンの差し出した宝石を静かに両手で受け取る。


「レイルン……。ありがとう。私の大好きだった妖精さん……」

「うん。僕も大好き……だったよ……」

 レイルンはそう言うと、涙を袖で拭って微笑む。


「それじゃあ、お別れだ、レミィ」

「レイルン……。ありがとう、本当に……」

 レミリアの言葉に、レイルンはにっこり微笑んだ。


 そして、一瞬姿が消えたかと思うと、彼はレミリアの前に移動し、彼女の唇に口づけをする。


「なっ、レイルン!」

 驚くレミリアに悪戯っぽく微笑むレイルンは、目ざとくキレースを見つけると、勝ち誇った笑みを浮かべて、べぇーと舌を出した。


「こら、キレース! 僕は仕方なくレミィを譲ってあげるんだからな! レミィを悲しませたら、なんとしても人間界に戻ってきて、こてんぱんにしてやるから覚悟しろ!」

 レイルンはそう言いたいことを言い、空に舞い上がりながら消えていった。


 それに続くように、他の妖精たちも姿が消えていく。

 それからまもなく、湖の周りには村人たちの手にした明かりと、レミリアの手にした宝石の優しい輝きだけになった。


 村人たちは一体この騒ぎは何だったのだと、レミリアと彼女を庇うように立つキレースに向けられる。

 だから、気が付かれなかった。レイルンがまだ完全には消えていなかったことを。


(お姉さん、ここまで僕のために頑張ってくれてありがとう。これは、少しだけれど、お礼だよ)


「レイルン君!」

 聞こえた声に慌てて名を呼ぶメルエーナだったが、返事は返ってこなかった。


 そして、


「あっ、これは……」

 メルエーナのいつも身につけている首飾りの二つの断面に、それぞれ半分ずつ、優しく光る小さな石がついていた。レミリアの石とは違うようだが、手近なランプの明かりで見ても様々な色に変化する綺麗な石だった。


「……レイルンからか?」

 言葉は聞こえなかっただろうが、聡いジェノが訪ねてくる。


「はい。お礼だそうです……」

 メルエーナはそう言いながら、目の端に涙を浮かべる。

 

 果たしてこれで良かったのだろうか?


 そう考えないといえば嘘になる。

 けれど、レイルンは、ありがとうと言ってくれた。


 だから、きっとこの件はこれで良かったのだと、メルエーナは自分を納得させることにした。

 レミリアさんと同じように、本来はあり得ざる妖精との出会いと別れを経験した、もう一人の人間として、そう考えることにしたのだった。

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