第210話 『罪悪感』

「お父さん! お母さん! こっちこっち!」

「こらっ、フレリア。そんな風に後ろ向きで歩いているところんでしまうよ」

夫のキレースが注意しても、先頭を歩く元気でやんちゃ盛りの娘は、こちらを向きながら歩くのをやめない。


 私も夫と一緒に注意をするが、娘はニッコニコで笑っている。

 仕事で忙しいお父さんと久しぶりに遊べるのが嬉しくて仕方がないのだろう。


 夫は本当に仕事が、遺跡の調査が大好きだ。

 子供の頃に化石を自分で発見して以来、夫は過去の歴史を解き明かすことに魅入られてしまったらしい。


 けれど、そのおかげで私は彼に会えたのだから、彼の趣味には感謝している。

 


 ……今でもあのときのことは忘れられない。


 外部からこの村の洞窟を調査に人が来るということで、村長達は歓迎の宴を開催した。

 調査は十年以上はかかると言われていて、その間、村には協力金の支給がある。村長もこの村のますますの発展のためにも、決して話を潰される訳にはいかないとみんなに檄を飛ばしていた。


 調査員が若い未婚の男性が数名ということで、村の綺麗所の女性が集められた。その中に私も居たのだが、正直気乗りはしていなかった。


 村長の立場も分からないではないが、こんなやり方で気を引こうとするのは間違っていると思う。

 調査員の学者さんがどんな人かもわからないのに、こちらが下手に出すぎても良いことはないと思うのだ。


 年若いということは、駆け出しの調査員が仕方なくやってくるのかもしれない。ただ出世すをるためだけに仕方なく上司の命令でいやいやこの村に来るのかもしれない。


 この村には素晴らしい自然がある。

 古くは『妖精の踊り場』と呼ばれていたレセリア湖を始めとして、美しい風景が広がっているのだ。


 その素晴らしさを理解した上で、この地が妖精に愛された土地であり、人は彼らと仲良くすることでこの村を作っていったという伝承を信じて、妖精を祀ってきたこの土地の文化。

 それを理解しない人であったら大変なことになってしまうだろう。


 目先の欲に囚われてはいけない。

 長い時間が経って、人々の妖精信仰が薄まってきているとしても、私は、私だけは知っているのだ。


 本当に、この村には妖精がいるのだ。

 幼い頃の私が、大好きになった妖精が。


 たとえ、その妖精に裏切られたとしても……。

 私は、彼を大切に思い続けているのだから。

 

 

 それから、この村に彼がやってきた。

 そこで私は呆れた。


 当初の予定では三人の調査員がやってくる予定だったが、やってきたのは二人……。しかも、そのうちの一人は挨拶のために顔を見せただけで、実際にこの村に留まるのはキレースという名の若者たった一人だというのだ。


 私と同じくらいの年に見えるキレースという金色の髪の若者も、いかにも本を読むだけで物事を理解しているだけの、線が細い頼りない男性にしか見えない。

 しかも女に慣れていないようで、ものすごく緊張しているのが分かる。


 こんな頼りない人が村の洞窟を調査するなんて、不安以外の何物でもない。


「その、村への協力金は予定どおり支給されますし、このキレースは優秀な研究者ですから、ご安心を」

 付き添いの男性がそんな言い訳を村長にするのを聞き、私は呆れてため息を付いた。


「あの、キレースさん、でしたよね? とても優秀ということですが、この村の伝承にもお詳しいのでしょうか?」

「これ、やめないか、レミリア!」

 村長に注意をされたが、私は、私が近づいただけで恥ずかしそうに目をそらす、情けないこの男性が優秀だとは思えなかった。


「あっ、その、はい。興味があって調べていましたので……」

「そうですか。では無知な私に教えて下さいませんか? この村の妖精信仰はいつ頃から始まったのでしょうか?」

 もちろん、私はこんな当たり前のことは知っている。でも、敢えて知らないフリをして尋ねてやった。


「それは、レセリア湖が出来てから前期の信仰の始まりのことでしょうか? それとも、一旦信仰が途絶えた後、『妖精の踊り場』との別名で、レセリア湖が呼ばれる事となってからの後期信仰のことですか?」

「えっ?」

 私はキレースさんの言葉に驚きの声を上げてしまう。


「ああっ、すみません。もしかするとそれ以前に、<世界樹>から妖精が生まれた際に、後から生まれた人間を助けたという、創成期からの信仰の事を仰っているのですか? ということは、この村にはやはり、それを伝える口伝か何かが残っているのでしょうか?」

 今までのおどおどしていた態度が一変し、キレースさんは私に興奮気味に詰め寄ってくる。


「ぜっ、前期の信仰という分けをしないで下さい! 信仰は途絶なんてしていません。当時、魔女狩りが横行していたために、それを絶ったという話を流布させただけで、この村ではずっと妖精を崇め続けてきたんです!」

 創世記の話をされたことに戸惑いながらも、私は持てる知識を総動員して、反論する。


「ああっ、やっぱりそうなんですね! いえ、明らかに、後期の始まりと呼ばれる『妖精の踊り場』のエピソードがあまりにも有名すぎて違和感を感じていたんです。

 一度完全に途絶えてしまった信仰が、僅か百年程度で、最盛期まで勢いを取り戻すとは考えられなくて。やはり、妖精信仰が、自然崇拝主義の一種に過ぎないという定説は間違っているみたいですね」

 キレースさんは興奮気味に、うんうんと頷いているが、今、彼は信じられないことを言った。


「妖精信仰が自然崇拝主義の一種に過ぎないというのは、どういうことなんですか?」

 私は怒りを隠そうともせずに、キレースさんに尋ねる。


「いえ、貴女が、その、レミリアさんが怒られるのも至極当然の話だと思います。ですが、いまの学会での妖精信仰の捉え方は、今言ったとおりなんですよ」

「信じられません! 自然を崇拝する気持ちはもちろんありますが、妖精はもともとこの世界に先に存在していたにも関わらず、我々人間のために別世界に移住をしてくれたのです! その恩を忘れるなんて!」

「それは『イシレスの賢者』のお話ですね。かなり規模の小さな信仰ですが、たしかにあのエピソードと組み合わせると、辻褄が合いますね」

「なんですか、その『イシレスの賢者』というのは?」

「……ご存知ではないのですか? ということは、尚更この関係は信憑性が高いのでは……」

「何を一人で納得しているんですか! 私にも教えて下さい!」

「ああっ、すみません。このお話は……」


 私はすっかり彼の話に夢中になってしまい、周りの目も気にせずに話を続ける。


 そのあまりにも白熱した議論のやり取りに、他のみんなは呆然としてしまい、歓迎の宴は台無しになってしまった。


 私は後で村長さん達にガッツリお説教を受けることになったのだが、そのおかげでキレースさんと、今の夫と誼が出来たのだ。


そして、何度も彼と議論をし、そして彼の人となりを知っていき、女手がない彼の手助けをしていたら、いつの間にか彼に惚れてしまっていた。

 そして、彼が村に来てから一年も経たないうちに、世帯を持つこととなったのだ。


 自分でもこの上なくスピード婚だった自覚はあるのだが、友人はもちろん、両親にまで、『ようやく結婚か』と言われるくらい、私と彼の間柄は有名だった。


 そして、フレリアが生まれて、すくすくと成長してくれている。

 夫も調査の仕事をしながらも、私と娘をとても大切にしてくれていて、私はこれ以上ないほど幸せだ。


 そして、この幸せを私も守っていかないと行けないと思っている。




 ……でも、そんなときになって、あの子が、レイルンが戻ってきた。

 私との約束を果たしに戻ってきてくれたのだ。


 けれど、今更、私はレイルンに合わせる顔などなかった。

 だから私は、知らないふりをした。してしまった。


 酷いと思う。分かっている。

 けれど、もうあの時とは違うのだ。


(ごめんなさい、レイルン……)

 私は心のうちで、大好きだった妖精の男の子に謝罪をし、母に、そして妻に戻る。


 重い罪悪感とともに。

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