第149話 『予知と内助の功』
ひどい目にあった。
ようやく自室に戻り、セレクトは重いため息をつく。
マリアの誤解が解けるまでの間、セレクトは懸命に彼女に説明をし、ようやく納得してもらえた。ただ、彼女は納得してくれたようだが、用事から戻ってきた侍女長にその場面を見られてしまった。
侍女長は間違いなく優秀で、人柄にも優れた人物なのだが、噂話が大好きなのが玉に瑕なのだ。きっと今頃、この屋敷の侍女全てに、自分が教え子に手を出した男だと吹聴しているに違いない。
「まったく、メイにも困ったものだな……。いや、違う。今回は寝坊した私が原因だし、はっきりしない私が悪いな」
教え子を悪く言う前に、自らの行いを反省するべきだと思い、セレクトはコツンと自らの拳骨で、頭を叩く。
改めて食べることになった、メイ特製の熱々のパスタは絶品だった。彼女が自分のためにどれだけ頑張ってくれたのかが分からないほど、セレクトは愚鈍ではない。そして、真っ直ぐに自分に向けてくる好意も分かってはいる。
けれど、セレクトはそれを少々軽く考えてしまっていたのだ。
メイが自分に向けてくる感情は、恋に恋する少女の気持ちで、その発露に、たまたま手頃な男である自分が選ばれただけだと思っていた。
だが、メイは一途に自分のことを好いているようだ。一人の男として、自分のことを……。
「私もそろそろ二十五になるし、身を固めるべきなのかもしれないけれど、私にとってメイは、あくまでも可愛い教え子なんだよなぁ……」
セレクトはそう口にし、嘆息する。
別段、セレクトは女性の好みにうるさいわけではない。没落してその称号を剥奪されてしまったが、これでも元は男爵家の人間である。
結婚が自分の思い通りに行くなどとは考えられない環境で育ったので、好みがどうこうなどというつもりはない。
けれど、教え子に手を出すのは人として間違っていると考えてしまうのだ。
もっとも、そういった頭も身持ちも固いところが、メイの恋心に火をつけている事をセレクトは知らない。
「……駄目だ、少しは体を動かそう。お嬢様の授業の前に、久しぶりに屋敷の防犯魔法の確認でもしておこうかな?」
セレクトは何気なくそう思い、重い腰を上げる。
ただそこで、セレクトはふと違和感を覚えた。
「何故だ? 何故私は、今、屋敷の防犯魔法を確認しようと思ったんだ? そんなこと、もう何年もしていないのに」
セレクトは自分自身の思考を、もう一度なぞってみる。
だが、やはりおかしい。こんな事を突発的に行おうとするのは明らかに不自然だ。
幼少期から時々ある。
虫の知らせとでもいうことが。自分の身に危険が迫った時に、妙に勘が鋭くなることが。
『俺も勘は働く方だと思うが、先生のは予知に近いな』
自分の教え子のなかで唯一の男子に指摘され、セレクトは自分のその能力を自覚した。
「まずいな。今、この館にいる魔法使いは私一人。どこまで魔法を強化できるだろうか? この鼓動の忙しなさ……。今晩にも事が起こってもおかしくない」
セレクトは大慌てでマリアの部屋に足を運ぶことを決める。
今日の授業は中止にし、自分は魔法の強化をしなければならない。そして、お嬢様には最大限の警戒態勢を敷いてもらわねば。
以前から、自分のこの能力はお嬢様には話してある。それに懸けるしか無い。
セレクトが決して伴侶を持とうと、大切な女性を作ろうとしないのには訳がある。
それは、この自分にだけ備わった二つの能力のためだ。
一つ目の能力は危険を感知できること。けれど、それを覆せたことはない。にもかかわらず彼が今もこうして生きているのは、もう一つの忌むべき能力のせいだ。
「また、私だけが生き残るなんて結末は耐えられない……」
セレクトのもう一つの能力。それは、どんなに周りがひどい目に会おうと、自分だけは何故か生き残ってしまう悪運の能力だった。
自分だけは助かる。それはつまり、他の者は決して助からないということ。
一回目なら奇跡だと思える。二回目なら運が良かったと思える。だが、三回も続くと自分を信じきれなくなる。そして、四回も続けば、それは呪いにしか思えなくなる。
そして、今回、事が起これば、五回目だ。
「この三年間は平和だったから忘れてしまいそうになっていた。私は、周りを不幸にする存在だということを」
セレクトは走る。五度目の悲劇を産まないために。
◇
慌ただしく屋敷の人間が走り回る。
なんでも、今晩にでもこの屋敷に襲撃があるかもしれないということで、マリアを守るべく、使用人たちは忙しなく走り回っている。
そのような理由から、メイ達は侍女長の命を受け、仕事をしながらでも食べられるようにと、料理のメニューをすべて変更し、サンドイッチなどを作る作業に追われていた。
「ふぅ、ふぅ。忙しい、忙しい!」
「ああ、無駄口をたたかないで! こっちまで疲れてくるから!」
他の侍女達の口から、悲鳴じみた声が漏れる。
いくらこの屋敷が、侯爵家の別宅としては狭いほうだと言っても、それを維持するための人間は、護衛なども含めれば八十人以上になる。
そのすべての料理を作り直さなければいけないし、普段の仕事もこなさなければいけない。
十五人程度の侍女達で手分けをして。
なんとか昼食をみんなに配り終えた頃には、メイを含めた侍女たちは、全員疲労困憊で、厨房横の食堂で椅子に座り、机に突っ伏してしまっていた。
「つっ、疲れた……」
「ううっ、お腹も空いたけれど、立ち上がる元気もないわ……」
メイと同年代の若い侍女たちも、しばらくは動く気力が湧かないようだ。
「ねぇ、知ってる? この忙しさって、セレクト先生のせいらしいわよ」
「えっ? あの先生の?」
セレクトの名が侍女仲間の口から上がったことで、机に突っ伏していたメイは顔を上げる。
「そう。なんでも、悪い予感がするので、今すぐ警備を厳重なものにしてほしいって、マリア様にお伺いを立てたんだって」
「なにそれ? 悪い予感って、そんなはっきりしないもので、こんなに忙しい状況にしたの?」
「ええ。まぁ、決定したのはマリア様だけれど、セレクト先生が余計なことを言わなければ、こんなに忙しい事はなかったのに……。
まったく、これで何も起こらなかったら、恨んでやるわよ」
若い侍女二人の話に、他の侍女たちも「そうなの?」と話に乗ってくる。
それを理解したメイは、疲れた体にムチを打って立ち上がる。
「さてと。私はまだなんとか動けますから、みなさんの昼食を用意しますね。その代わり、セレクト先生の悪口を言うのは止めて下さい」
メイはにっこり微笑むと、厨房に向かおうとする。
「それは助かりますけれど……」
年配の侍女がメイの申し出に微妙な顔をする。
この不平不満が溢れそうな現状、できれば誰かを悪者にして愚痴の一つでも言い合ったほうが後々のためにいいと考えているのだろうと、メイは推測する。
まさか雇い主であるマリア様を悪く言うわけにはいかない。それならば、悪者にしても波風が立たないセレクトがスケープゴートには最適だと思ったのだろう。
だが、メイはその流れに、小さな体で立ち向かう。
「ええい、けれど、は無しですよ! 私の未来の旦那様の事を悪く言うのは、先輩たちでも許せません!ただ、夫の不始末は妻の不始末。ですから、皆さんの食事は私が作ります。それで、セレクト先生を悪く言うのは止めて下さい。い・い・で・す・ね?」
メイは有無を言わさぬ声で、侍女たちから言質を取ると、
「それじゃあ、皆さんは休んでいて下さい!私がぱぱぱっと美味しい料理を作りますので!」
そう言って足早に厨房に向かう。
「未来の旦那様って……」
「やっぱり、あの娘、セレクト先生のお手つきになったんじゃあ……」
「でも、あの先生、なんだかそういうことには奥手そうに見えるけれど……」
「いやいや、ああいうタイプほど、タガが外れると……」
背中から聞こえてくる言葉が、セレクトに対する非難ではなく、自分とセレクトの関係を推測するものに変わったことに安堵し、メイは気力を振り絞って、厨房に立って料理を開始するのだった。
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