第66話 『不快感』
食事の時間になり、ジェノは夕食を持って、再びサクリ達の部屋を訪れる。
すると、部屋のドア越しにイルリアの声が聞こえてきた。
サクリの声は小さいので、どうしてもイルリアの声のほうが耳に入ってくる。しかし、彼女の声が楽しそうな響きをしていることから、サクリもきっと会話を楽しんでいるのだろう。
ドアをノックすると、イルリアが出てきた。別にそれは今までと変わらないのだが、何故かジェノの顔を見て、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「……なんだ、その笑いは?」
「さぁね。それじゃあ、私は夕食を食べてくるんで、後はよろしくね」
イルリアはそう言うと、サクリに「ちょっと夕食を食べてくるわ」と気安い口調で言い、ジェノと入れ違いに部屋を出ていく。
「夕食を持ってきた」
ジェノは端的に用件を告げて、ベッドに座るサクリの元に歩み寄る。
「ありがとうございます」
サクリは礼を返してきた。以前とは違う反応に、ジェノは心のうちで安堵する。
夕食時ということを考慮し、イルリアが移動式のテーブルをすでに準備してくれていた。そのため、ジェノはそこに静かにトレイを置く。
「嬉しい。また、この白いゼリーを作ってきて下さったんですね」
デザートの皿をみて、サクリは口元を緩める。
「……イルリアか……」
イルリアが、サクリの食事を誰が作っているか話したようだ。
ジェノは小さく嘆息する。
「ジェノさん。食事をする前に教えて下さい。この白いゼリーは、何という料理なのでしょうか?」
きっとイルリアとの話が楽しかったのだろう。サクリは明るい声で尋ねてくる。
「アプリコットの種で作った、アーモンドゼリーだ」
「えっ? これが、アプリコットの種から出来ているんですか?」
ジェノの答えに、サクリは驚く。
「ああ。アプリコットの種を割り、その中の白い部分を取り出して加工して、砂糖とミルクをあわせて作ったものだ」
ジェノは端的に説明する。
「そうなんですか。アーモンドゼリーなんて言葉は初めて聞きました。アプリコットの種にこんな有効利用法があったなんて……。
すごいですね。ジェノさんは料理が上手なだけではなく、物知りなんですね」
サクリの賛辞に、しかしジェノは「違う」と口にする。
「俺も今まで、このゼリーを作ったことはなかったし、名前も初めて聞くものだった。バルネアさんが、お前に食べさせてあげてほしいと、俺にレシピと材料を預けてくれていた。俺はただ、その言葉に従っただけだ」
正直、この料理がなければ、まともにサクリと話をすることも出来なかっただろう。
そして、サクリはあのままろくに食事を取らなかった可能性が高い。
普段はついつい忘れがちになってしまうが、やはりバルネアさんは素晴らしい料理人なのだと、ジェノは彼女を心のなかでもう一度称賛する。
「ですが、どうして私が、ゼリーが好きだと分かったのでしょうか?」
サクリが不思議そうに疑問を口にする。
「初めて店にやって来た時に、バルネアさんの料理を食べただろう。その時にゼリーだけは食べきっていた。だから、少なくともゼリーが嫌いではないことをバルネアさんは知っていたんだ」
ジェノはそう言うと、入口近くの壁に移動して、そこに背を預ける。
見られていては食べにくいだろうという配慮だった。
サクリは女神カーフィアに祈りを捧げ、食事を始める。
ゆっくりと、だが昨日までとは異なり、彼女は食事を楽しんでいるようだ。
ジェノは無言で、彼女が食事を終えるのを待った。
「とても美味しかったです。その、全部は食べ切れなかったですが……」
「俺に謝ることではないと言ったはずだ。それに、昨日よりずっと食が進んでいる。いい傾向だ」
申し訳無さそうに言うサクリに、ジェノは仏頂顔で答える。
そして、彼はサクリの食事が終わったことを理解して、トレイを回収するために動く。
トレイを近くのテーブルに置き、移動式のテーブルを片付ける。
食事のために上半身を起こしているのも大変だろうと思い、ジェノはそうしたのだが、サクリは横になろうとはしなかった。
「ジェノさん。その、イルリアさんが帰ってくるまで、少し話し相手になって頂けませんか?」
サクリの思わぬ申し出に、しかしジェノは「分かった」とそれを了承し、イルリアが座っていたベッド横の椅子に腰掛ける。
「その、ありがとうございました。ジェノさん。貴方に指摘してもらわなければ、私はカーフィア様に不敬を働いていたことにも気づかず、カルラとレーリアを貶めてしまっていた事にさえ気づきませんでした」
礼の言葉を口にするサクリに、ジェノは首を小さく横に振る。
「そんな事をしたつもりはない。俺はただ、お前のただならない様子が気になって、その理由を話すように言い、それに個人的な感想を口にしただけだ」
そのジェノの答えに、サクリは苦笑する。
「本当に、イルリアさんの言うとおりですね。貴方はどうして、そんなふうに人のお礼を素直に受け取ってはくれないのですか?」
「俺は、よく知りもしない女神カーフィアとお前の大切な友人を侮辱したんだ。それを恨まれるようなことはあっても、礼を言われるようなことはしていない」
ジェノがそう言うと、サクリはクスクスと笑う。
「そうですか。では、そういうことにしておきます。そして、それならば、私の大切な友人を悪く言った責任を取ってくれるのでしょうか?」
サクリの言葉の巧みさに、ジェノは、イルリアが間違いなく彼女に入れ知恵をしたことを理解する。
「何が望みなんだ?」
ジェノが嘆息混じりに言うと、サクリは口を開く。
「私の大切な友人の、親友の話を聞いて下さい。もっとも、話とはいっても、ほとんど自慢話ですから、聞いているのは苦痛ですよ」
言葉とは裏腹に、真っ直ぐな瞳でこちらを見てくるサクリに、ジェノは「分かった」と頷いた。
それから、サクリは親友の話を、カルラとレーリアと言う同い年の少女たちの話をし続けた。
それは、イルリアが部屋に帰って来てからも。
彼女は楽しそうに、嬉しそうに親友のことを語っていた。
「ふふっ、熱弁ね」
だから、話を聞いていたイルリアは、サクリが元気を取り戻してくれたようだと思ったようだった。
だが、ジェノはどうしてか、彼女がカルラとレーリアのことを話すのは、自分に気を使っているように見えた。
彼女達を侮蔑した自分に対して、免罪符を与えようとしているように思えてしまったのだ。
「……何故、俺に気を使う必要がある」
ジェノはその事を不快に感じた
どうしてそう感じたのかは、ジェノ自身にもわからなかったのだが……。
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