第13話 『思わぬ来客』

「昼食なら私が作ります。ジェノさんは今晩もお仕事なんですから、ゆっくりしていて下さい」

 栗色の長い髪の優しい顔立ちの少女――メルエーナが、エプロンを身に着けてそう申し出たが、ジェノは首を縦には振らなかった。


「いや、今日は俺の番だ。俺が作る」

 ジェノはそう言うと、自分も青いエプロンを身に着けて調理に取り掛かる。


 せめて手伝いだけでもしたいと思っていたメルエーナだったが、無駄のない動きで手際よく食材の下準備をしていくジェノの姿に、自分に協力できる事はないと悟らざるを得なかった。


「ジェノさん、また腕を上げて……」


 バルネアさんとは流石に比較にならないが、ジェノの調理の腕はかなりのものだとメルエーナは理解している。だが、何より彼の凄いところは、決して自分の腕に驕らずに日進月歩で成長を続けていくことにある。


 料理人の道に進むと決めているメルエーナにとって、近場に同い年のライバルがいることはいい刺激になる。だが、彼女にとってジェノは、競合する相手でいて欲しい存在ではないのだ。


 しかし、現実は厳しい。

 バルネアの提案で、店の営業が終わった後の時間を利用して、メルエーナはジェノと交代で昼食を作って批評しあっている。だが、彼女はなんとかジェノとの腕の差を広げられないようについて行くのがやっとで、まだ彼と同格の腕も持ち合わせていないのが現状だ。


 そして、もう一つ。絶望的な事実がある。


「今日は、バルネアさんが用事で出かけているので、私達だけなのに……」

 二人きりだということをメルエーナは強く意識してしまう。それは、彼女がジェノに好意を抱いているからだ。


 だが、ジェノは何も感じてはいないのだろう。いつもと何も態度が変わらない。

 きっと、自分のことを異性と見てくれていないのだろう。


「……私、席で待っていますね」

「ああ。すぐに完成させる」

 厨房にいても邪魔にしかならないので、メルエーナはエプロンを所定の場所に戻し、厨房に一番近い客席に静かに座る。


 いったいどうすれば、この人に振り向いてもらえるのだろうと思い、メルエーナは思いため息をつく。


「お母さん。私は、どうしたらいいんでしょうか?」

 あまりの絶望感に、メルエーナは心の中で故郷にいる母に尋ねる。もちろん、それで答えが返ってくることはない。しかし、今は藁にもすがりたい気持ちだった。


 メルエーナの母は、昔から彼女に言い聞かせていた。料理の腕を磨くようにと。いつか好きな男の子ができた時に、絶対に役に立つからと言って。


『男の子の心を掴むには、胃袋を抑えるのが一番手っ取り早いわ!』


 昔、バルネアさんと同じ職場で働いていたというほどの、料理上手で豪快な母のそんな言葉を真に受けたわけではないが、メルエーナは研鑽を続けた。


 母のような料理上手になりたいと思い続けて、メルエーナはずっと頑張ってきたのだ。


 そして、初めて好きな人ができて、その腕を振るうときが来たと思ったのだが、彼女が好意を抱くことになった男性は、自分よりもずっと料理上手だったのだ。


「それに加えて、ジェノさんは家事全般が得意ですし、裁縫まで自分で……」

 料理と家事以外に特に得意だといえることが思いつかないメルエーナには、八方塞がりな状態だった。


 落ち込むメルエーナだったが、入口のドアに付けられたベルの音が店内に鳴り響いた。

 お客様がいらしたようだ。


 メルエーナは接客のために、店の入り口に向かう。


「今日はバルネアさんが留守なので、鍵をかけておかなければいけなかったのに……」

 自分のミスを後悔しながらも、今はお客様に事情を説明してお帰りいただくしかない。


「申し訳ございません、お客様。食材が尽きてしまいまして、本日の営業は終了させて頂いております」

 メルエーナは、お客様と思わしき初老の男性と幼い男の子に頭を下げ、事情を説明する。だが、初老の男性は、


「ああ、それは残念。だが、わしの要件はそれだけではなくてな。ジェノの奴に仕事を持ってきてやったんだ。ジェノはいるかい?」


 温和な笑みを浮かべてそう要件を伝えてくる。


「あっ、はい。少々お待ち下さいませ」

 メルエーナはお客様に一礼をして、厨房に足を運ぶ。

 そして、調理をしているジェノに来客を告げた。その際に、男性の容姿を伝えたのだが、ジェノはそれを聞くと小さく嘆息する。


「すまんが、今は手が離せない。何処か手近な席に案内しておいてくれ。すぐに向かう」

「はい。分かりました」


 オーブンからいい匂いがしていたので、料理がもう少しで完成するところまで行っていたのだろう。


 メルエーナは店に戻り、ジェノの指示通りに、初老の男性達を近くの席に案内した。


 男性は「おお、そうか」と笑みを浮かべると、男の子の頭にポンポンと優しく触れて、二人一緒に椅子に腰を掛ける。


 だがその際に、メルエーナは男の子の顔を見て驚いた。

 まだ十歳にも満たないであろうその幼い男の子は、酷く疲れ切った顔をしていたのだ。目の光が何処かうつろで、クマらしきものも見える。ただ事ではない。


「少々お待ち下さいませ」

 メルエーナはそう言って、お客様に頭を下げ、再び厨房に戻る。そしてお冷とオレンジを絞ったジュースをコップにそれぞれ注ぎ、それを男性と男の子に給餌した。


「あっ、あの、僕、お金が……」

 男の子が初めて口を開いた。だが、やはりその声にも元気がない。


「大丈夫です。これはサービスですので、お金はいただきません」

 安心させるために、メルエーナは男の子に微笑みを返す。


 少しの間戸惑っていたが、男の子はやがて静かにジュースを飲み始めた。喉が渇いていたのだろう。あっという間にコップは空になった。


「お代わりをお持ちしますね」

 メルエーナはそう言って会釈をし、もう一杯、ジュースを少年に給餌する。


「オーリンさん。今日は、いったい何の用です?」

 調理が終わったのだろう。ジェノが厨房から出てきて、初老の男の名前を口にし、来訪の理由を尋ねる。いつもの仏頂顔だが、どこか不機嫌そうに見えるのはメルエーナの気の所為ではないだろう。


「おお、ジェノ! 喜べ。お前にぴったりな仕事を紹介してやるぞ」

 ジェノとは対象的に、オーリンと呼ばれた初老の男は心底愉快そうに笑う。


「だが、ジェノ。なにかすごくいい匂いがするな。いや、他意はないんだが、わしもこの子も昼食がまだなんで、まずは腹を満たしたいと思っていたんだ。いや、本当に他意はないんだがな」

「俺の作った素人料理を、お客様に出せるわけがないでしょう」

「おお、ならば試食ということにしてやるから、出してくれ。よかったな、坊主。この優しいお兄さんが昼食をご馳走してくれるようだ」

 勝手に話をすすめるオーリンに、ジェノは小さく息を吐く。


 メルエーナはあまりのことに言葉が出てこずに、成り行きを見守ることしかできなかった。

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