前へ進むための自己批判

 ここ数日、気持ちが揺らいでいた。端的にいえば、自分はなぜ党活動をし、会の手伝いをしているのか、わからなくなった。

 なぜ、そう思ったかといえば、一つに仕事で疲れ精神的な余裕がなくなっていた。次に、そのようななかで活動しても、自分自身が周りから凄く軽んじられていると感じてしまった。簡単にいえば、雑に扱われていると。文字にすれば物凄く幼稚な理由にも思えてしまうけれど。

 活動や手伝いは決してお金をもらってやっているわけではない。正直、体力的にも精神的にもしんどいときもある。だからこそ、自分のなかで、やはり気持ちというものが重要な部分を占めていた。そこが崩れてしまうと、どうしても動けなくなってしまった。

 実際休んだりして、行き着いた現在の到達点は、まず、仕事はもちろん経済面を支えるため何より大切にしなければならない。しかし、人生の居場所はここではないと悟った。言葉を選ばずいえば、こんなくそくだらない、学べることも陳腐なものに全身全霊をかけても仕方ない。もちろん、だからといって適当にやる訳ではない。

 ふと考えた。また仕事だけになってしまったら、僕はきっとスロット依存の自分に戻ってしまうなと。何より、学べなくなることは今の自分にとっては恐怖だった。具体的に何を学んでいるとかはないけれど、活動も手伝いもしなくなれば、それは無になってしまう感覚を覚えた。

 この間、お世話になっている女性とは正直な気持ちをLINEではあるがやりとりした。だからこそギクシャクしてしまったし、僕もありのまま傷つけるようなことを言ってしまったかもしれない。正直、女性にも、僕のことをわかってもらえていないという思いがあり気持ちはモヤモヤしたままだった。

 でも、昨日、女性を通じ、ご主人が自分の夜勤のしんどさをわかってくれてるってことを伝えてもらった。なんというか、もうそれで良くなった。自分が尊敬する人にわかってもらえてるだけで、すごく気持ちが楽になった。

 そして、もっと嬉しかったのは、一緒に勉強を進めてる本のことを伝えてくれたこと。一定僕のことを認めてくれてるんだなって、ほんとうに嬉しかった。どんな労りの言葉なんかよりも、これが一番僕の気持ちを戻した。あぁ、勉強しないといけないって。きっとご主人は、それも全て見越してるんだと思う。でも、そんなことは表には絶対出さない。

 個人崇拝は良くないといろんなとこで言われるけど、僕のなかでご主人は道標というか、目標というか。決して到達はできこいだろうけれど。

 今日、党の集まりでお二人にお会いした。ご主人は高齢で普段は参加しないんだけれど、今日は来てくれて。不思議と勉強のことだと元気になって質問をたくさんした。それを一つひとつ真剣に聞いてくれて、持ちかえって次会ったときに教えてくれる、その姿が本当に嬉しいし、励みになる。自分は適当に扱われてないんだって心から感じられる。

 今回のことで、少しは自分と真剣に向き合えた気がする。これまでなら、多分スロットに逃げてた。でも、その気持ちがわいてこなかったのは、まぁ成長したのかなって思えた。

 ただ、同時に、今後もこういう自分の不安定な気持ちとは何度も対峙することになるだろうなってこと。自分という人間は弱いって改めて感じてる。

 強くなるには、勉強しかない。別に偉くなりたいわけでない。でも、わからないから不安になるはず。学んで乗り越えていくしかない。

 簡単なことではないけどね(笑)

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