第7話 少女の涙 鹿山知恵編その3

一週間後


人の感情というのは、とかく熱しやすく冷めやすい。

俺と鹿山の嘘で塗り固められた恋人関係に、興味を示す人間は少なくなっていた。

公一やその他数名は、未だに感心を持ってくれている。

しかし話すことは買った漫画や最新作のゲームの話題が多く、たまに仲を聞いてくるくらいにまで、頻度は減っていった。

だが、俺のやったことは骨折り損にはならなかった。

鹿山は取り巻きの女子から、反撃を受けるようになったのだ。

元々女子というのは、男子より恋愛というのに重きを置く生き物だ。

だからか事あるごとに俺との話題を持ち出されて、からかわれるようになり、すっかり立場が逆転していた。

恐怖と同調圧力で得た友人は、元々友情など微塵も感じていなかったのだろう。

時が経つにつれて、力を失った鹿山の元から一人また一人と離れていき、徐々に周りからは人が消えていった。

だというのに嫌がらせを強要させられた宮本さんだけが唯一、孤立した鹿山に声をかけ続けていた。


「チエちゃん、最近元気ないね。悩みがあるなら相談に乗るからね」


同級生相手に下手に出るから、舐められるのではないか。

唇を固く閉じて、言葉に出すのを堪えた。

何故彼女が、鹿山に献身的に手を差し伸べたのかは分からない。

だけれど歩み寄ってくれるなら、都合はよかった。

傷つけた彼女の善意に対して一歩を踏み出す勇気さえあれば、じきにこの問題は解決する。

後は互いを信用できるかどうかにかかっている。

さて、どうなるだろう。

俺は二人の動向を遠目に見つめていた。


「何のつもり? 話しかけてこないでよ!」

「ご、ごめんなさい。私は鹿山さんの味方だから」

「同情なんかいらないの! 鬱陶しいのよ!」

「うわぁ、気ィ利かせてくれたのにひでぇな。何とかしろよ、お前あいつの彼氏だろ?」

「あんまりからかうなよな~。まぁ、結構いいところあるんだよ。あれで」

「惚気かよ。あそこまで性格キツイ女子と接するの、俺には無理だなぁ」


一部始終を見ていた男子が呟いた。

俺も同じ感想を抱いたが、心にもない台詞を口にしてしまって自分が嫌になる。

感情を表にしない宮本さんの気持ちは、はっきり言って分かりづらい。

最近は関わってすらいないから尚更だ。 

心の中では過ぎたことと、寛大な気持ちで全てを水に流しているかもしれない。

もしそうならば、俺も矛を収めるべきなのだろう。

しかし謝罪すらしない以上、俺は鹿山を許すことはできなかった。

本人を巻き込まずに勃発した喧嘩は、既に俺と鹿山の意地と意地の張り合いに発展していた。

こうなった以上納得いくまでやり合わねば、決して俺たちの関係性が修復することはないだろう。

互いの口から「ごめんなさい」、その一言が出てくるまでは。



放課後の体育館にて



「ナイッシューッ」



遥か頭上に浮かんだゴールネットへボールが入ると、賞賛の声が辺りに響き渡る。

俺のディフェンスを抜いてシュートを決めた先輩は、意地悪そうな笑みを浮かべていた。

少し腹が立ったが、勝負の世界で泣き言を言うのはダメだと、自分に言い聞かせる。

体育館には二面コートがあって一つは男子、もう一つは女子が利用している。

俺とて男の端くれで、女子たちの眼は気になった。

だがあの一件があって以来、意識して視線をそちらに向けないようにしていた。

鹿山が視界に入ると、どうしても不愉快な出来事を思い出してしまうからだ。


「ちゃんとしてよね、知恵」

「本当にグズねぇ」

「ちょっと 失敗しただけでしょ。」


ふと横目で声のした方を見遣ると、かつて取り巻きだった連中が鹿山を詰っている。

彼女たちなりの報復なのだろう。

事情を知らない先輩は三人を宥めていたものの、同学年の女子たちは巻き込まれたくないのか、だんまりを決め込んでいた。

たとえ嫌いな人間であったとしても、気分はよくない光景だ。

あいつがどうなろうが知ったことか。

ちょうど無視を決め込もうとしていたタイミングで、何故か俺にパスが回ってくる。


「おい、田島。こっちだ」

「優吾。先輩に回せぇッ!」


はち切れんばかりの声と、バッシュの擦れる音が体育館にこだまする。

目の前では先輩が、腰を落として、パスをさせまいと激しく左右に動いていた。

今は集中しなければ。

雑念を振り払おうとしたが


「本当に使えないわねぇ」

「それじゃあ三年生になっても、試合に出れないんじゃない?」


鹿山を謗(そし)る小言を、幾度となく口にする。

今まで同調していたお前らに、そいつを責める資格があるのか。

イソップ寓話のコウモリのように小賢しい女子たちにも、俺は怒りを覚えていた。


「ごめーん、そっちに飛んじゃった。取ってくれ」


気がつくと、俺はわざと女子たちに向かって、手に持ったボールを放り投げていた。

嫌っていた鹿山がいじめられようが、所詮は他人事だ。

あいつに義理があるわけでも、恩義があるわけでもない。

それなのにも関わらず。

自分自身その時抱いた感情を、理屈では上手く説明できなかった。

その状況から助け船を出したのが俺だと悟った鹿山に、翌日また屋上に呼び出されることになった。


「昨日のあれ、わざとしたの? なんであんなことしたのよ! 安い同情なんかいらないのよ!」

「……別に。特別な意味なんかねぇよ」

「それで納得できるわけないでしょ?! 理由を言いなさいよ!」


恐ろしい剣幕で、鹿山は言ってのける。

いきなり訊ねられた俺は萎縮してしまい、曖昧な返事しかできなかった。

誤魔化していれば、直に立ち去るだろう。

そっぽを向いて黙り込んででいると、鹿山は急に腕を掴んでくる。

理由を話さない内は、てこでも動かなさそうだ。

何故昨日、鹿山を助けたのか。

一日整理して、既に自分の中で答えはついている。

大きく深呼吸すると、まとまった感情を鹿山にぶつけた。


「お前はどうしようもないやつだ。……でもな」

「お前が他人をいじめるのがいけないように、お前が他人にいじめられるのもいけないんだ。だから助けた。それだけだ」

「ムカつく綺麗事ね。大人しくしてたらやられるだけでしょ。弱肉強食の食うか食われるか。学校(ここ)にはそれしかないの! 傷つけられる前に傷つけるのよ!」

「鹿山……」


俺は人としての道徳を説いた。

そんなものなど守り通したところで、一銭の得にもならない。

けれど貫ければ、自分に胸を張って生きられる。

何も持たない学生の身分の俺にとって、人の持つべき尊厳と誇りは、とても尊く思えたのだ。

そんな性善説を、鹿山は真っ向から否定する。

鹿山の哲学は、俺の心に虚しく響いていた。

あいつの放った言葉が、ある意味で真理を突いていたからだろうか。

否、その発言が相当無理をしているように聞こえたのだ。

壊れかけた機械が異音を上げるかの如く、強がっているだけだと。

言葉の節々から感じたのは、不安と恐怖。

その口振りから、学校で嫌な思い出でもあるのだと想像がついた。

おそらくそれは、鹿山の価値観を根底から塗り替えるような出来事だったことも。

だが事情があろうが、宮本さんへの行いは断じて正当化できない。

悲痛な叫びを訴える鹿山に負けぬよう、俺も声を大にして返した。


「確かに人と関わるのは怖いことかもしれない。それでも差し伸べられた手を振り払うのは止めろよ! そうしてると、みんなお前から離れていくぞ!」

「うるさいうるさいうるさい! 私がどうしようと勝手でしょ! アンタと話してると腹が立つのよ! 目の前から消えてよ!」

「この分からず屋が、もうお前のことなんか知らねぇよ!」

「畜生、畜生……ッ! アンタさえいなければ、全部上手くいってたのに!」


強気な発言とは裏腹に、瞳には大粒の涙が浮かんでいた。

普段なら売り言葉に買い言葉な憎しみ混じりの台詞にも、俺は何も言い返せなかった。


「もう金輪際、私に近寄らないでよ!」

「おっ、おい! 待てよ鹿山!」


呼び止めたものの、肉食動物から逃げる脱兎のように、鹿山は俺の前から姿を消す。

もう知らないと勢いで言ってしまったものの、宮本さんとの件が解決するまで、あいつを陰から見守ろうと胸に誓った。

一度あいつに関わってしまった以上、彼女との行く末を最後まで見届けるのが、俺にできる鹿山へのせめてもの償いだと思ったからだ。

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