第8話 ずっと一緒に 宮本早紀編その4

宮本さんが登校拒否をしてから、早一週間が経過しようとしていた。

土日の休みを挟んで、実際に家に通ったのは五日ほどだ。

だけど休日でも宮本さんがどうしているか気になってしまって、勉強にも身が入らない。

そのせいか、それ以上に長い月日が過ぎたように思えた。

数日の間に心変わりしてくれるのを、内心期待していたが結果は芳しくない。

彼女からのメールは、嘘の告白をされた翌日から途絶えたままだ。

じっとしていると絶望感に打ちひしがれそうで、暗い考えが過る度に頬を叩いた。

一発一発に、あれから止まった時間を取り戻すのだと強く言い聞かせて。


「今日も来てくれたの、ありがとう。お茶菓子を用意したから、食べていってね」

「お邪魔しま~す」

「俺と冨山さんが好きでやってることですから、気にしないでください」

「本当にいいお友達ができたわね」

「ありがとうございます」


お母さんも、初めはどこかよそよそしかった。

しかし毎日お茶をしていると、少しずつ胸に秘めていた彼女への思いを語り出してくれた。

大事な一人娘が突然不登校になったら、動揺するのは無理からぬことだ。

とはいえ強硬手段に出ては逆効果。

辛抱強く耐えているお母さんの心労は、察するに余りあった。


「昨日、久しぶりに田島君のお話をしてくれてね。話したいことがあるって私に言ってくれたの」

「本当ですかっ! ありがとうございます!」


今までの努力が無駄ではなかったからか、それとも心を開いてくれたからか。

嬉しさを共有したくて隣にいる彼女に視線をやると、冨山さんは身体を小刻みに震わせていた。

お茶を飲んで尿意を催したのだろう。

俺は彼女の顔を覗き込むと、用を足すよう促した。


「お茶には利尿作用があるからね。遠慮しないでいってきなよ」

「そうさせてもらおうかな? 田島君、後で上にいくから先に行ってて」


そういうと、冨山さんは便所に向かっていく。

彼女には失礼だが、いない方が自分としては都合がよかった。

何故なら二人きりなら秘密にしている話を、心置きなく話せるからだ。

寡黙な彼女なら誰これ構わず広めたりはしないだろうが、教えるのはなるべく最小限の人数に留めておきたかった。

頂いた菓子を詰め込むと、俺は早々に階段を昇っていった。


「あれ、今日は一人で来たの?」

「いや、トイレに行ってるんだ」

「……田島君さ、怒ってないの? 挟んであった手紙にも、書いてないし」


実は彼女に届けたノートに、俺は簡潔な内容の手紙を挟んでいた。

手紙に自分の気持ちを乗せていたので、必要以上に問い詰めたりせず、なおかつ感情的にならずに済んだ。

内容はその日一日起きたことをありのまま書いた、日記のようなものだ。

その中で強調したのは、鹿山たちにこだわる必要はないという、ただ一点だった。

学校で居場所がないなら、別の友達を作ればいい。

それにあんなことがあっても、ずっと友達でいるつもりだ。

彼女にそう伝えることこそ、この状況を打破するのに繋がると考えたのだ。

だが、一抹の不安が残っていたのだろう。

語気を荒げるだけでも壊れてしまいそうなほど、今の俺と彼女の関係は脆い。

けれど許す、許さないと文章にしても安っぽいだけだ。

態度で示すことでしか、彼女の信頼は勝ち取れない。


「あんなことされたら、私は絶対にやった人を嫌いになっちゃう。なのに何で……」


今までは未来や平川さん、冨山さんなど、周りに頼りきっていた。

だが結局は俺と宮本さん自身が歩み寄って、関係を修復するしかない。

宮本さんは勇気を振り絞って、話題を持ち出してくれた。

彼女の心の叫びに、今度は俺が答えなければ。

口で息を吸い、鼻で息を吐くのを意識しつつ、呼吸と共に精神を整えた。


「宮本さん、会いたい。会って話がしたい。無理にとは言わないし、できればでいいけど」

「……情けないかもしれないけど怖いの。扉越しなら普通に喋れるのにね」

「俺もそうだよ。でも宮本さんとずっと会えないのはもっと嫌なんだ!」


鹿山に仲を壊されたまま離れ離れになるなんて、後味が悪すぎる結末はごめんだ。

どんなに冷静でいようとしていても、言葉に熱がこもる。


「……いいよ」


返事と同時に扉が開けられると、上下ジャージ姿の宮本さんが現れた。

悪臭はしないものの、普段は癖一つない髪の毛はボサボサで、普段の清潔感は全くない。


「あんまり見ないでね、汚いから」


と視線を下に向ける少女は、俺がずんずん近づいていくと、一歩また一歩と後ずさりした。

しかし背中が部屋の扉にぶつかると、逃げるのを止める。


「た、田島君?! どうしたのっ、急に」


次の瞬間、俺は彼女を抱き締めていた。


「ずっとこうしたかったんだよ、俺」

「えっ……」

「いいんだよ、宮本さん。俺は悪者だなんて責めないよ。自分で自分を許してあげていいんだよ」

「なんで、なんで……! こんなこと、あっちゃダメなのに……」


よほど起こった出来事が信じられないのか、現実を否定するかのような言葉を呟いた。

対人関係の怖れや不安。

誰しも恐れていることで、彼女が特別臆病なわけではない。

いくら仲良しであっても、彼女に100%の理解を示すことは不可能だ。

だけど、自分がその立場だったら掛けてほしい台詞くらいは思い浮かぶ。

普遍的な感情だからこそ、彼女に寄り添えた。


「そこまで苦しんでるんだ。言葉に出さなくたって反省してるって分かるから」

「……傷つけた上にせっかく来てくれた田島君を追い出しちゃったのに。なんで……」

「ラブレターをもらった後、鹿山に馬鹿にされてさ。あいつにやらされたのかなって。それをもっと早く言えたら、いつまでも罪悪感に囚われる必要なんてないで済んだのに」

「それだって私が……私が弱かったからぁ……。チエちゃんの要求、断れなかったからぁ……。ごめんなさいごめんなさい……」


普段の凛とした宮本さんからは想像もできないような、大粒の涙が溢れ出す。

うわごとのように謝罪を繰り返す彼女の顔は、くしゃくしゃになっていた。

仮に許されなくとも、彼女にとって必要なプロセスだったのだろう。

溜め込んでいた自責の念や抱えていた思いの丈を、吐き出す過程は。

頬を沿って流れる涙を親指で拭うと、彼女は唾を飲み込んで泣き止んだ。 


「どう、落ち着いた?」

「……もう大丈夫。私には最高の友達がいるから」

「俺や冨山さんだけでなくて、平川さんもいるよ。あの子は悪ぶってるけど、なんだかんだ面倒見いいから」


乱れている心を落ち着かせようと背中を叩くと


「私たち、とんでもないことしてない? つ、つつ、付き合ってもないのに」

「ご、ごめん。やましい気持ちなんてなかったんだ。こんなことされて嫌だったよね」

「ううん。田島君の汗の匂い、なんだか好きだから。もう少しだけ、このままでいさせて」


男の本能を刺激する台詞を、耳元で囁いた。

生暖かい吐息が肌に触れると、大事な部分は否応なしに反応してしまう。

彼女の望みを叶えるためにも、今だけは紳士でいなければ。

生理現象とはいえ、バレたら幻滅されかねない。

女の子と抱き合うのは、男にとって夢のような時間だ。

だがこの状況では、生きた心地がしない拷問のようなひとときだった。


「お、おおお……。なんで俺は男に生まれちゃったんだろう……」

「どうかしたの? どこか痛い?」

「ち、ちょっと! なんで抱き合ってるわけ!?」


冨山さんの叫び声が辺りに響くと、身体から血の気が引いていく。


「み、見なかったことにしておくから」

「冨山さんいたんだ。は、恥ずかしい……」

「このハグに特別な意味はないんだよ! 宮本さんとはただのお友達なんだ! ねっ、ねっ!?」

「ただの友達は、ここまでしてくれないよ」

「ひ、否定してよぉぉぉ……」


思わぬ返答に、情けない声が出てしまった。

俺が慌てふためくのを眺める彼女は、身体を揺らしてはにかんでいる。


「ふふっ。田島君を見てたら悩んでたの、馬鹿らしくなっちゃった」

「宮本さん、また笑えるようになってよかったね。田島君」

「ああ! そのために今まで頑張ってきたんだ。報われた瞬間だよ」

「田島君、大好きっ!」

「ちぇ、見せつけてくれちゃって。私も優しい彼が欲しいなぁ」

「は、離れてよ、宮本さん! 冨山さんも何か言ってよ」

「やだ、離れたくない! ずっと一緒にいて!」

「だって。末永くご幸せにね」


宮本さんの心からの笑顔を見て、いざこざは全部終わったのだと確信した。

これから先も困難はあるだろう。

けれど、それを乗り越えられるだけの覇気と気力がみなぎっている。

冷やかされても恥ずかしがる素振り一つ見せない彼女を見て、俺は一つだけ神様に祈った。

願わくば、ずっとこの幸せが続きますようにと。

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