彼女の闘い、灰の街
川口健伍
1
ぼくたちの街にはなんにもなくて、ぼくたちの街には四つの書店があった。あえて名前をつけて呼ぶようなものは書店しかなくて、だからぼくたちの街にはきっと書店があって、たぶん他にはなんにもなかった。
書店は大きくふたつにわけられて、それはつまり大きな書店と小さな書店だった。ぼくたちの街には、大きな書店が三つあり、小さな書店がひとつあった。ただ、明確に区別する決まりはなかったので、書店の数は五つのパターンをころころと変化した。そして、小さな書店がひとつのときに、つまり大きな書店が三つのときに、ぼくたちは彼女に出会うことになった。
彼女と出会ったのは小さな書店で、小さな書店は小さな書店だけあって、書店ではなく本屋といった風情で、天井まで届くような大きな本棚が五つ横に並び、照明は暗めに抑えられ、本が日に焼けるのを避けるため入口は北向きに設置されていた。
彼女は、ぼくたちに背を向け、店内唯一のレジの前でなにかを指示するように大きな声で叫んでいた。大きな声で叫んでいるにもかかわらず、どうしてかその背中にはヒステリックさはなく、妙な真摯さがあった。
聞こえてくる内容を要約すると「18時18分にレジを通してください」であり「レシートはぜったいに持って帰ります」であり「あたしは別に本が好きなわけじゃないんです、これだって読んでるわけじゃないから」であり「でもカバーをかけてください」であった。
不意に彼女がふり返り、ぼくたちは目があう。すっと彼女の視線はぼくたちの右手へ――たまたま握っていた本へ向かう。確か、アンナ・カヴァンの『氷』だったように思う。黒い装丁の本を興味深そうに見つめてから、彼女は唐突にレジへとふり返り、大きな声で叫んだ。
「あ! いま、時間です!」
びりびりと窓が震えるほどだった。でもそれは、店の外から聞こえてくる、遠雷のような爆音のせいだったのかもしれない。
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