第2話 1-1.はじまりの日 1異変

 4月12日。


 講義が始まり新学期にも慣れた頃、いつもと同じように剣崎 神(ケンザキ ジン)と天王寺 小春(テンノウジ コハル)は大学からの帰路についていた。


 電車を降りて家までの徒歩。いつもと同じ、幼馴染の歩くペースに合わせてゆっくりと時が過ぎるのを惜しむように歩く。


「そういえばさ......ジン“君”明日誕生日だよね?」

 コハルがおもむろに切り出すが、普段は“君”などつけないことから緊張が見て取れた。


「そうだけど、何よ?いまさら?」

 コハルの視線を感じながら、ジンはあえてそっけなく返す。


「......明日は期待しててね」

「はあっ?どうゆうこと?」

「とにかく、明日は大学帰宅後、家にいること!いいわね!」


 赤い髪留めをつけた黄金色の髪を右に揺らし、グイっと顔を近づけてコハルが約束を迫った。


「わかった。わかったよ。約束する」

 あまりの勢いに気圧されながら約束を交わす。


「よろしい。じゃ、コハルこっちだから。また明日ね」

「ああ。また明日」

 コハルは満足げに頷いて、いつものようにいつもの場所で別れた。


「忘れないでね」

「大丈夫だって。心配しすぎ」

「うん、そうだね......」


 そう言ったコハルのいつもとは違う表情の理由をジンは聞きそびれたのであった。



 ◇◇◇



 その日の夜


(何かのイベントの前には落ち着かないのが普通のコハルのことだし、まあ、いつものやつでしょ)


 ベットに横になりながらジンは妄想にふけっていた。誕生日の前日、いつもの違う幼馴染みの表情、妄想を掻き立てる材料としては十分だった。


(今年はどんな手で来るのやら。この前のドッキリ仕立てのやつはすごかったし、毎年工夫を凝らしてくれてるんだよなぁ。少し怖いやら、楽しみやらではあるのだが......まあ、明日になればわかるだろう)


 妄想に耽る中次第に夢へと、夢へと誘われていった。



 ◇◇◇



「......いのか?」

「ええ、それしかありません」


 男性と女性の声がする。

(あー夢だな、これ)


「わかりました。それで構いません。お願いします」

 男性の声の主が頭を下げる。


(何もない殺風景な所だなぁ。椅子の一つすらないとは......)


 ジンは周りを見渡し、夢であることを確認する。夢だとわかると妙に落ち着いた。


 どうやら、二人の会話を聞くことしかできないらしい。

 真っ白な部屋で話す男性と女性。黒い外套のようなマントのような服を着ており、顔まではわからない。


「本当によろしいでしょうか?もう後戻りは出来なくなりますよ?」

「ええ、構いませんよ。だって、私は父親だ。親の命で救えるのなら安いもんでしょう」


 はっきりした口調に男性の表情は覚悟と勇気に満ちているのだろうとそう思った。

(これが父親の覚悟ってやつなのか?)


「では、あなたの勇気に敬意を表して、は......じ......め......

 声が遠ざかる。



 ◇◇◇



 ドンドンドンドン

 部屋のドアを激しくノックする音でジンはたたき起こされた。

「ジン!ジン!起きろ!」


 ジンの父親、優(スグル)の声である。

 ジンは生返事をし、メガネを掛けながら、見ていたはずの夢のことを思い出そうとするが思い出せない。


 もどかしさをかき消すような鳴りやまぬノックに少しの苛立ちを覚えながらドアを開ける。


「おはよう、父さん」

「おはよう、ジン。突然だが、ショウとゴウを起こしてきてくれ」


 突然の要求にキョトンとする。スグルの声は急いでいた。


「えっ、どうしたの?今日なんかあったっけ?」

「いや、外の様子がおかしい。見てみろ」


 スグルがジンを押しのけるように部屋に入り、窓のカーテンを開ける。

「こっ、これは......」


 ジンは目の前の光景に目を奪われた。

 おそらく朝の6~7時のはずの空が鮮血をぶちまけたように赤い。


「確かに空色は変だけど、こんな時もあるかもよ?」

 だが、すぐに目の前の光景のインパクトは薄れて、ジンはあくびをしながら適当に流す。バイトもなく休日の今日まだ、寝ていたかった。


「いや、それだけじゃない。テレビや携帯も使えない」

「えっ、噓でしょ!?」


 急いでジンは枕元の携帯に手を伸ばすが、携帯は黙ったままである。うんともすんとも言わない。


「ほんとだわ。携帯使えない......」

「電気だけなら停電で説明がつくが...携帯までも......となると話が変わってくる。恐らく、緊急事態だ。とりあえずリビングに集合。私はユミとユリを起こして来る」


 ジンはこの時少しだけ事の異常性に気づいた。嫌な悪寒に身震いする。


 嫌な雰囲気を振り払うように急いで隣の弟達の部屋に行き、翔(ショウ)と剛(ゴウ)を起こしにかかる。


「起きろ!緊急事態だ!起きろ!」

「ぬ......うむいい......zzz」

「それを言うなら眠いだろ。ショウ。起きろ」


 ジンが部屋に入ると、既にゴウがショウの頬をペチペチ叩いていた。いつものことなのでビンタに迷いがない。


 ジンもショウを起こすのに加わり、洗面所で顔を洗い、目を完全に覚まさせてからリビングに入った。


 既にジンの妹、百合(ユリ)と母、結実(ユミ)が起きて、テーブルについていた。テーブルにはマグカップが一つ置かれおり、ユリがユミの背中をさすっている。


 ジンはユミの目が腫れているのに気づいた。


「母さん。どうしたの?」

「あのね......じいじとばあばがね......“石”になってたの!」

 途切れ途切れで涙声のユリの言葉にジン、ショウ、ゴウは言葉を失った。心臓が高鳴り、脂汗がにじみ出る。


「二人を起こした後、お義父さんとお義母さんの様子をユミと離れに見に行ったんだが......」

 スグルは言葉を区切り、下を向いた。


「それでね、ママがね、ショックを受けた......ってわけ」

 言葉を区切ったスグルの代わりに、さっきよりも涙で酷い顔をしているユリが説明してくれる。


「石?そんなバカな......見間違いじゃ......」

 ジンが言葉を絞り出す。ショウとゴウは顔を見合わせた後、何も言わなかった。


「それなら見に行ってみなさいよ!息はしてないし、皮膚は石みたいに固くて、冷たくて、もうどうしていいのかわからないんだから!」

 ユミが涙ながらに叫ぶ。


「ごめん。......母さん」

 母のパニックにジンは力なく謝ることしかできなかった。重苦しい雰囲気が流れる。


「......とりあえず状況を整理しよう。ほら、座って。座って」

 重苦しい雰囲気を嫌ったのだろうか、あえて明るいトーンでスグルが言う。


 言われるがまま黙ってジン、ショウ、ゴウが椅子に座る。


「さて......1つ。電気、水が止まった。おそらくガスもだろう。つまり、ライフラインが止まった。2つ。携帯、災害用のラジオが使えない。3つ。お義父さんとお義母さんの二人が原因不明の石化。こんなところか......。......まさか本当に起こるなんて」

「えっ、最後なんて言ったの?」

 ゴウが思わず口を挟む。ジンも最後の部分が聞き取れなかった。


「いや、なんでもない。続けるぞ。今から二つのグループに分ける。私、ジン、ゴウは近くのコンビニまで行って物質調達。ユミ、ショウ、ユリは荷造りをしてくれ。“車”で移動する。何か質問は?」

 スグルが一人一人の顔を見て指示する。もちろん、「がんばれ」の鼓舞は忘れない。


「車が動く保証はあるの?」

 ジンが疑問を口にする。他の文明機器が動かない状で車だけが例外だとは思わなかった。


「それには考えがあるから大丈夫だ。心配ない」

 スグルがきっぱりと答える。


「他にはないね。おっと、言い忘れたが、“絶対に離れには行くな”!いいね?......では、行動開始!」

 スグルがパン、パン、パンと手を叩いたのを皮切りにそれぞれが行動に移った。


 ◇◇◇



(父さんは車のことを気にしなくても大丈夫と言っていたが、本当なのだろうか?)

 ジンは服を着替えながらさっき聞いたことを反芻する。


(あんなに取り乱した母さんは初めて見た......本当に石化したのか?......行くなと言われたが自分の目で確認しに離れに行こう。そのほうがはっきりする)


 鏡で自分の顔を見つめる。緊張しているのだろうか、酷い顔をしていた。また心臓が高鳴る。


(大丈夫だよな......いろいろ考えすぎなだけだよな。)

 ブンブンと何かを払うように顔を左右に振り、意を決して離れに向かう。


「ジン?ジーンー?行くよ!どこー?」

 玄関の方からのゴウの声に出鼻をくじかれる。


「ジン?いないのー?」

(帰ってからでも確認はできるか......いや......)


「今行くー!」

  ジンは返事だけして、真相を確かめに窓から赤い光が降り注ぐ廊下を抜けて離れに向かった。



 ◇◇◇



 離れの引き戸の前に立ち、ゆっくりと息を吐き、吸い込む。そして、戸を引く。


 ギイイッと音を立てて戸が開く。恐る恐る中に入る。


 部屋は静寂に包まれており、カーテンが閉め切っていて朝なのに暗く、嗅ぎなれた畳の匂いが部屋に充満している。寝ているはずの祖父母の反応はなかった。


「.......」

 ジンは言葉が出なかった。万が一が脳裏をよぎる。「おはよう」が言えなかった。


 (何も見えないな。......カーテンを開けるしか......)


 言葉が出ない以上、目で確認するほかなかったが、これほどカーテンを引くという日常的動作を億劫に感じたことはない。


 しがらみを振り払うように勢いよくカーテンを開けると赤い光が差し込んで来る。思わず、目を細める。


(これで障害はなくなった。......石化なんて馬鹿馬鹿しい。大丈夫。母さんの見間違いだ。落ち着け。落ち着つくんだ)


 目を閉じて祖父母の方を向き、目を開ける。


 確かに布団の中にはいた。目を閉じたまま安らかな表情の祖父母が。


 近付き、震える手で触れてみる。冷たく硬かった。本当の石のように。時間が止まっているようだった。


 ゾクリと悪寒がして後ろに飛びのく。そのまま後退りして、転がるように離れを後にする。一秒でも早くその場から立ち去りたかった。


(あれはヤバすぎる。.......何なんだあれは)


 離れには長年一緒に暮らしていた祖父母ではなく、少なくとも人ではない何かが転がっていた。


(父さんが離れに行くなと言った意味がわかった。母さんがパニックになるのも無理はない。あれは刺激が強すぎる)


 リビングに戻る。ほんの少しの距離であったが、全身に汗をかき、どことなく息苦しかった。


(落ち着け、落ち着くんだ。ジン。お前は長男。弟や妹の前でみっともないところは見せられない。“俺”は何も見ていない。だから、大丈夫、大丈夫だ)


 長男であるという責任感と今が非常時態であることを理由に自分を無理矢理納得させ、恐怖を押し殺し、ジンは何事もなかったかのように玄関に向かった。

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