やがてひとつのみちになる

石燕 鴎

とある一組のお見合い

第1話 見合い

「君の眼はすごく綺麗な色をしているね」

 それが、料亭大原で行われた、とある一組の見合いの席で、女にかけられた第一声だった。仲人は慌てた様子で女を見る。女はまばたきをすると襟を正しにこりともせずに清らかな形をした唇を静かに開いた。

「私はあいのこですから」

 男は喉の奥で笑う。女は少し驚いたように立って腕を組んでいる男を見た。女が改めて男を見ると、男は見合いの席に来るような格好ではなかった。男は痩せ形でよれたスーツを着ている。セルロイド製の眼鏡をしていて、髪は一応整えてはあるが、整えきれずに一部はボサボサとしている。

「まぁ、石田さんとりあえず座りなさいな」仲人の婦人が早口でまくしたてた。

「へいへい、と。改めて今日の席を設けていただきありがとう……エット……」

「結城です。結城瑠璃子と申します。釣書に書いてあったと思いますが」

「あぁ……すまない。結城さん。俺は、じゃない、私は石田渉と申します。やっぱり釣書には書いてあったと思うけど」

 瑠璃子は釣書をよく読んでいなかった。写真をちらりと見た程度で渉に関する情報は何一つ得ていなかった。何故なら、見合いに興味はなく、結婚を生涯する気もなかったからである。彼女の家は資産家で、自分には愛のない結婚が約束されていると信じきっていたからである。そのため、勉学に励み将来は実家の家業を継ぐ弟を手伝おうと思っていた。

 瑠璃子と渉の目が不意にあう。渉の瞳は今まで会った人の中でも特段澄んでいる。黒曜石のようだ、と瑠璃子はひそかに思った。

「結城さん、昨日はよく眠れましたか?俺……じゃない、私は緊張して眠れなかったです」

 仲人の婦人が口元に手を当て笑う。

「まぁ、嘘おっしゃい。昨日七時くらいに行った時は原稿を目の前に寝ていたじゃないですか」

「はは……これはこれは格好悪いところを見られてしまいました。オマケにこんな美人さんにも醜態を知られてしまいました」

ことりと、瑠璃子の心が動いた。今まで見合いを幾度となくしてきたが、何故か目の前の男に初めて興味がわいたのである。それは、最初の渉の一言から始まっていたのかもしれない。

「昨日ですか……昨日はよく寝れましたわ。原稿、と石田さんは仰っていましたが、何の原稿なんでしょうか」

 この言に一番驚いたのは、仲人の婦人である。結城瑠璃子嬢は気難しく、男性の前でもにこりともせず、そもそも興味を示さないと事前に聞いていたからである。その結城瑠璃子嬢が目の前の男に興味を示した。仲人はちらりと渉を盗み見た。渉はどこふく風でにこにことしている。

「イヤ、大したことないのですが。私、学者をしておりまして。いま、徳川時代の横浜の歴史を調べているのですがなかなか難しい。結城さんのお父君ともお会いして後援していただいたりしているのですが、なかなか都市部の史料が集まらなくて」

「そうなのですか。貴方のような方がうちに出入りされてたなんて知らなかったです」

「そうですか。まぁ、知らなくて当然だと思いますよ。結城さんがいることを私も知りませんでしたから。ぼっちゃまとは何度かお会いしてますが」

「弟です。弟が家を継ぐのです。率直に伺ってもよろしいでしょうか」

 渉はくずしていた足を戻し、正座をする。輝いていた黒い瞳が緊張からか、大きくなった。それを茶を啜りながら瑠璃子は眺めていた。

「はい、ど、どうぞ」

「私とのお見合いを受けたのは、結婚が成立したときのお金目当てですか?それとも父から何か言われて引き受けたのですか」

 瑠璃子は真剣であった。今までの見合いであるならば沈黙は金、と言わんばかりに黙って俯いていたのだが、瑠璃子は初めて自分の瞳の色を綺麗と言った男に会ったのである。今までであるなら男は瑠璃子の瞳の色を見た瞬間に身を引くように動揺をみせていたが、渉は違ったのである。この質問で瑠璃子は渉を見極めようとしていた。

「お金……ですか。私は貧乏なので、あったら嬉しいですが」

 やはり、今までの男と同類か。家柄やら資金狙いの実業家と一緒か。瑠璃子はがっかりした。しかし、渉は「でも」と続けた。

「結婚は愛ですよ。愛。英語で言えばラヴです。家柄やら家格やらを気にするのは私は好みません。確かにお父君からこの席を紹介いただきましたが。私は貴女のことを美人さんであることと、釣書以上には知りません。だからいま、この席では貴女のことをもっと知りたい、と思います」

 目をきらきらさせて渉は語る。歯車にかんでいた小石がとれるように胸のつっかえが瑠璃子のなかですっととれた。瑠璃子は小さく笑う。

「変わったお方。私はお見合いを幾度となくしていますが、貴方のように愛だなんだ、と言われたのは初めて」

「イヤァ……。変わってるはよく言われます。こんなんだから三十路近くで結婚もせずにぶらぶらしているんですよ」

 和やかな雰囲気が場に流れる。それを手に汗握りながら見ていた仲人の婦人はあとはお若いもの同士で、と襖の奥に消えていった。

「三十路近くというといまおいくつですか」

「29歳だからほぼ、30です。結城さんは私よりひとまわり下の17歳ですよね。女学生さんだ」

「友人は皆、結婚で退学していきました。女学校に残っている数少ない生徒です。寂しいけど、私には目標がありましたから」

「目標……ですか……」

「愛のない結婚はいやですしお金目当ての方とは結婚したくありません。ゆくゆくは弟の手伝いをして生きようと思ってました。でも、石田さん」

 瑠璃子は身を乗り出した。

「私、貴方を好きになりたいです」

 渉は飲んでた茶を卓上に置いた。瞬きをしてこっくりと首を傾げる。

「はい?」

「私、今まで恋とか絵空事だと思っていました。お見合いだって、お金とか家柄のためにやってるって。でも貴方のような人もいること、初めて知りました。自分が情けないです」

「だからって、私を好きになりたい理由にはなりませんぜ。私も恋は……まぁ……」

「あら、嗜まれてなかったのですか」

「まぁ……多少は」

「多少。その話もお伺いしたいところです。私、結婚するなら貴方のような方が好ましいと思います。私の瞳の色を受け止めていただけましたし、そのような方は貴方が初めてです。ですから、貴方を好きになりたいです」

「まだお互いを知らないのに、好きも結婚もないと思いますが……」

 瑠璃色の瞳が輝いた。

「ですから、まずは婚約から」

「こ、婚約?えっと……段階吹っ飛ばしてませんか、結城さん」

「でしたらお友達からお願いします」

 こうして、見合いは無事に終わったのである。この場で一番驚いているのは奥の部屋にいた彼女の父親と仲人の婦人であろう。今までの黙々とした瑠璃子像とはかけ離れた一面を見せたのだから。こうして瑠璃子にとって長い一日が終わった。いつもとは違う、すっきりとした気分であった。

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