チワワの王様

 トサが先ほどいた部屋に向かい、残りの一人を救出した。彼は救助されてなお、心そこにあらずといった風だった。頭を潰されたもう一人の遺体はそこにはなく、別の場所へと移されたようだった。


 その後、部屋の獣臭い毛布とベッドシーツ、ブルーシートを椿妃つばきちゃんの持ち歩いているハサミで切断して七等分ほどに分けた。空間から出れば元に戻るとはいえ、裸のままで歩くのは落ち着かない。


 わたしは渡されたシーツで最低限を隠すようにどうにか身体に巻くと、魔薙さんの方へと向いた。ちょうど、先ほどのエアガンの弾倉を入れ替えていたところだった。


「準備できました」


「おう。じゃあ、行くか」


 全員身支度が終わったのを確認して、すぐに部屋の外へ出る。


 トサは裸のまま亀甲縛りにされていた。こいつの身ぐるみを剥いでから持ち前のささくれた縄で縛るまでの一連の動作を、先ほど椿妃ちゃんがすべてやっていた。


「改めて見てもえげつねえな」


やからにはこれくらい当然です」


「動物愛護の連中が見たら、泡噴いて倒れるだろうな」


 トサを見下ろしてけけけと笑う魔薙さんに、椿妃ちゃんがむすっとした顔を向ける。


「お姉様の消火器も大概だったじゃないですか。わたくしだけ悪いみたいにおっしゃらないでください」


「除霊スプラッシャーだ。しかしあれ、なかなか実用的だったな」


「できればあまり使いたくないですけどね。部屋汚れますし」


「……それは面倒だよなぁ」


 まるで朝の散歩の会話のような、そんな呑気な調子で通り過ぎていく。


 もうひとつの鉄くさい個室が気になり、振り返る。結局、あれはなんだったのだろう。


「ああ、あの部屋は見ないほうがいいぞ」


「えっ……」


「これからの人生、肉が食えなくなる」


 先ほどと打って変わった真面目な調子で言われて、なんとなく察してしまった。


 つまり、首を失ったあと一人は……


 そう考えて、考えを振り払う。どのみち、どうしようもなかったじゃないか。


 オイヌサマの玉座へと向かうなか、ふと魔薙が訊いてきた。


「そういえば、あれからどうだ?」


「あれ、って……」


「イマジナリーシスターな。当人はまったく知らないって言ってたしな」


「当人?」


「ああ。お前の姉と、ちゃんと電話してきた。まあ、菊乃きくのの電話越しだけどな」


 菊乃……


 その名前を聞いて怒りが湧き上がりそうになってから、どうにか抑える。


 もう、どうでもいいはずだ。お姉ちゃんのことだって、割り切ったんだから。


 お姉ちゃんの、親友だった人のことなど。


「今回の『改造都市伝説』、あの人が起こしたんだけど」


「……ンだと?」


 魔薙さんが振り返る。


「やっぱり、これって霊の類じゃないのかなって……」


「……付喪神か」


 真面目な調子でそう言われて困惑する。


 付喪神と言われても、それとイマジナリーフレンドに繋がりがあるとは思えない。


 そんな様子を察してか、補足するように話を続ける。


「都市伝説がどうやって生まれるか、知ってるか?」


「改造じゃなくて、普通の?」


「どっちでもいい。あんま変わらねえからな」


「……怪異が出て、噂が作られる?」


「逆だ」


 噂が作られて、怪異が出る……


 どういうことだと思ったところで、嵐がいきなり声を上げる。


「『ミームの具現化』……!」


「当たりだ。まあ、一部で噂になる仮説だろうがな」


 びしっと指をさしてから、魔薙さんが向き直る。


「誤訳で生まれた空飛ぶ円盤が世界のいたるところで目撃され、創作物であるはずの『四谷怪談』のお岩のためにおはらいが行われ、噂だけの存在である口裂け女で社会問題化した。こういうののほとんどは『噂が付喪神になって具現化した』とされている」


 そんな説明を並べ立てられても、いまいち要領を得ない。それに、やっぱりわたしのイマジナリーフレンドと都市伝説の出自に関係があるとは思えない。


 そう思っていたところで、また魔薙さんがこちらに向く。


「つまり、お前だけに視えるその姉もまた、お前の中の姉の記憶が付喪神化して、脳内からあらゆる干渉をしているという可能性がある」


「わたしの記憶……?」


「あくまで仮説だがな。普段は脳内を寝ぐらとしているなら、ウチに視えないのもあり得ない話じゃないってことだ」


 結局、どうすればいいかわからない。ただ、わたしに視えるこれが普通のそれではないことだけは分かった。


 そうしている間に、玉座の上の白いチワワの前に出る。


 オイヌサマは普通のチワワかなにかのように、玉座で眠りこけている。魔薙さんがエアガンを取り出して、そこに一発撃ち込んだ。


 電撃でも食らったように、その小さな体躯たいくは全身の毛を逆立たせて飛び起きる。


「起きろ! 裸の王様!」


「……ド、どういうことダ! ドーベル、トサ、コリーはどこニ――」


「しばらく動かねーよ。残るは、ひチワワなテメエ一匹だ!」


 パレットでできた段差を一歩ずつ上がり、小さな顔に銃口を突きつける。


 オイヌサマは微動だにしないまま、一瞬間を置いて吠えはじめる。


「まタ、ニンゲンが上に立つつもりカ?」


「違えなァ。テメエラと同じで、ただ不条理に逆らった。それだけの話だ」


「……ワタシは殺せんゾ」


「知ってるよ。だから、お前の中の核が潰せればそれでいい。それに、ウチがなにもしなくても、そこにいる奴らはやる気だぞ」


 そこにいる奴ら……?


 疑問に思ったところで、魔薙さんが振り返って明後日の方向へと向いて続ける。


「相当視えるぞ。こりゃ、たらふく肉が食えたこったろうな」


「ハッ、なにが視えるト――」


 直後、発砲。


 BB弾を喰らってなおよろけながら、オイヌサマは玉座を降りて一目散に走り出す。


 そして、キャンキャン吠えて逃げる哀れなチワワを、何度も何度も弾が追い込む。いったい、ここからどうする気なのか。


 と、その時だった。オイヌサマの逃げた先に、黒く濃く広がった霧のようなものが見えた。


 頭上から、騒々しい金属音を鳴らし始める。見ると、ひとりでに朽ちかけたクレーンが動いていた。


 黒い霧はチワワを呑み込み、それとともに空へと舞い上がる。


「ナ、なんダ、こいつラ! フ、フザケッ――」


 クレーンがキイを音を立てる。忙しく悲壮な吠え声を上がり、ブチブチブチと生々しく肉の千切れた音がしはじめる。


 クレーンが段々と持ち上がり、すぐにボトリとなにかが落ちる。


 霧の中でねちゃねちゃと、不快な咀嚼音が聞こえ始めた。


 景色の歪むなか、引き揚げられるクレーンアームの先の、白く小さな生首を見た。

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