短い文章、夏の日にかえて

瀞石桃子

第1話



長時間のバス移動の中で唯一印象に残ったのは、信号で停止しているときに窓から見えた一組のカップルだった。


立ち眩むかげろうの中で、女の方は日傘をさし、男は黒いキャップをつけていた。同じくらいの背丈で特段目立つさまでもなかった。


それでも彼らの影法師に健気な物語が見えてしまったのは、この酷暑の中、自動販売機の後ろで無闇矢鱈に口を吸い合っていた姿があまりに鮮烈だったから。


数秒あとには、信号も変わりバスが出発したので、その姿は二度と見られなくなってしまったのだけど、先時の余韻にひたりたくてバッグの底にある酸っぱいグミを食べようとした。しかしこの暑さのあまり、中で団子みたいにくっついていたもんだから、いくつかのことはそれなりにどうでもよくなってしまった。よくならなかったこともあった。


バスを降車してからは果てしないあぜ道を歩き続けた。

両脇というか、視界一面に田んぼが広がっていて、たまに吹く風が早緑をゆらしている。奥には地名のついた大きな里山がある。その麓に見える米つぶのほどの茶色い人家がきみの終点だった。


「あと15分くらいで着く。うん、そうそう、うん。大丈夫」


親に電話をかけても暑さは微動として変わるわけでもなく、さっきのカップルを思い出すこともなかった。

識ることができたのは、あぜを飛び回るトンボ、道の真ん中でつぶれたバッタ、こめかみを伝う汗、人家に近づくにつれ広い石砂利の庭に停められた複数の車。


ようやっとで人家──つまり実家に到着をし、まったくもってきみにとって億劫だったことは、そこに集まった親戚に挨拶をしなくちゃいけないというその行為、あるいは憂慮だった。


ちらと見ただけで土間には二十足ほどの靴がある。

今年は法要で、祖母の七回忌。親族が多く集まるのもむべなるかな。付け加えて、今回のきみは高校生の間に会っていない人も多くあり、大学生になり一応は大人という括りで扱われる時分なだけに、あまり前向きな態度を示さなかった。


「わかってるよ、いろんな話を聞いたり、しなくちゃいけないんでしょ」


だから『適度に』というよりは『真に受けないように』つとめるのがたぶん正解なのだって、きみは考えたはずだ。


「ああ、法学部か。はあはあ、じゃあ将来は弁護士だな」


バカヤロウ、ときみは心の中で親族その1を情状酌量の余地なく両断した。

年寄りはすぐそうやって法学部と弁護士を結びつけようとする。もちろんそれは話の行く先々でたどり着く話題としては自然かもしれないが、あまりに極端だ。ひどい、ひどい。


「彼氏もおると? はあはあ、じゃあ卒業後は良妻賢母やねえ」


クソクラエ、ときみは心の中で親族その2と、取り巻きでニコニコと相槌を打つその3、その4、その5を切り捨てた。

田舎のおばちゃんは他人の付き合いをすぐに家庭に持ち込もうとする。隣人はみな兄弟、そんな感覚なのかもしれない。その上で、あそこは離婚しただの、若いときは嫁ぎ先の家で苦労しただの、きみ自身の話はとうに宇宙の彼方だ。

あほあほ、ぶうぶう。たあぷぽぽ、たあぷぽぽ。


「お酒も飲まんば。もうはたち過ぎとるとやろ。結婚したら飲めんくなるけん、今のうちよ。ねえ〜」


若人はデリケートなのに、ときみはやにわに悄然とする。若人のバリケードは親戚の前では薄氷同然で、きみは流されるままにビールを注がれる。アサヒ、サッポロ、キリン。きみには味の違いがわからない。


やがて、宴もたけなわですが、という口上があったものの、ひとたび七回忌を迎えた祖母の思い出話が飛び出すと、別の親族が思い出を語り、思い出話が思い出話を呼びさまし、みんなの脳内回路に永らく使われていなかった光が灯るなど、哄笑も絶えず、結局はそれから一時間後にお開きとなった。


いつもより遅く風呂をもらい、居間に戻ると親戚一同で大画面の液晶テレビにうつる高校球児の姿を見ていた。

一回戦で早々と敗れたきみの地元の高校はもう映像に出ない。しかし、同じ九州、あるいは中国、四国、果ては近畿まで残っていれば、そのチームを応援するのだ。そして田舎の人間は有名じゃないチームや公立高校に肩入れする。

一投一打に沸くわりに、点差が離れるとチャンネルを変える。


なんだか、よくわからんのだ、わたしには。


少なくとも、さして野球、というかスポーツ全般に興味のないきみはそれを見て盛り上がる人間に対して少し冷めた視線を向けている。よけいに付け加えるなら、きみは自分以外の人に対しても興味のまなざしというものは一切合切なくて、誰かを憧れで好きになったりとか、こんな人みたいになりたいというのもない。たぶん。


きみは排他主義でも、個人主義でも、天上天下唯我独尊に自惚れるでもなく、なにかを熱烈に推進する人間でもない。大きな鉄球を引きずって歩いてきたような物憂げな半生があったわけでもない。少しばかり、心の浅い表面に逆剥けがあるほどで、誰や彼やに披瀝したりをしたこともない。たぶん。


しかしときどき、不埒な衝動がきみの横を追い越していくときがある。もしそれを追いかけたら、ちがう世界の味わい方を見出すかもしれない、とも思う。密林に迷い込んだきみの眼前には見たこともない赤い果実が雫のごとくぶら下がっている、そんなシーンなんだ。


食べちゃダメだよね、って理性と、誘惑に負けて口にして、案の定毒にもだえ苦しむ妄想を鮮明に掻き出す悟性がない交ぜになっていくうち、きっとそれは始まりの刃になってきみにキッカケをもたらすかもしれない。


もたらされたきみは、何食わぬ顔で学食でカツカレーを食べているかもしれないし、彼氏のよくわからんプレイに夜な夜な付き合わされるかもしれない。

だからと言って、きみの皮膚の外側で起こることについてはさほど大きくきみを変えたりはしないだろう、って思っている。

要するに、きみの内側から動きだすものこそがよりパワーを矯めていて、眠れぬきみと柔軟なまごころによって、ふたたび大きな衝動となって顕出するやもしれない。


「明日は墓参りに行くからね。早めに起きなさいね」


母の言葉で我に戻る。今日のような暑い日差しの中、揃いもそろって合掌をする。何百年と昔から日本人はそういうケッタイなものを継承してきていて、現在のきみにはそれらの多くのことが何のために行われているのか、正確に理解していない。たとえばお盆のときだけ墓の花立てにホオズキを供えるのも、昔から見ている光景でありながらその理由は特別知らないのだ。ホオズキの中にはミニトマトそっくりな果実があってさ、子どものとき食べたけど全然おいしくなかったのを覚えている。


年齢を重ねるとともに、きみが思い出す多くのことはあまりいい記憶ではない。

読書感想文がうまく書けなかったこと、中学生のときのこと、喧嘩をしたときのこと、祖母が亡くなったあとのお葬式のこと。夏に思い出す些事について羅列したところでカレンダーを埋めることはできやしないし、いつも通りに目が覚めてもラジオ体操に行くこともない。ラジオ体操に行けば、終わった後にスタンプを押してもらって最終日にお菓子と交換してくれたけれど、今のきみについてはそれくらいのことではご褒美はもらえなくなっちゃった。


大人になるにしたがって、報酬を得るためには等身大以上の努力が必要になることがわかった今日この頃、昔好きだった天体や宇宙について物思いにふけることもわずかとなってしまった。


モノノホンニヨルト、オリオン座をつくるベテルギウスは将来爆発してなくなってしまうそうだ。オリオン座にとっては、ベテルギウスがいなくなったら胸に風穴が開いたみたいにさびしくなるんじゃないかな。きっとそうだよ。だって今まで一緒にいたものがもう身近にないというのは、末永く悲しいことなんだ。

最初に銀河鉄道の夜を読み終わったときのあの感じがずっと続く、ジョバンニとカムパネルラの関係性みたいな、その感覚に似ている気がする。

最初の数年は膨潤しきった悲しみに押しつぶされるし、それが平気になって自然に笑っていると、ふいに悲しいことは忘れてはならないんだぞ、ていう難儀な律義が精神を取り締まるなどして苛まれてたりもしたけれど、きみはここまで歩いてきた。

とは言え、この先も延々と道は伸びているわけで、ああだこうだ言いながらの日々をきみは過ごしていくだろう。


「え、バイトやめるの。なんでまた急に」

「別のことやってみたくなって」


母は目を丸くして、きみのこれからについて点々と質問をする。貯金はあるのとか食べもの送ろうかとか、親が心配する多くのことは今のきみならどうにでもなることばかりで、ほんとうは心配ご無用なのである。

ええ、ええ。

そのくせしょっちゅう同じ話だからうんざりもするわけだけど、親が子どもへ抱く心配はいくらあっても尽きないし、いくら満ちても完全に満たされるということもない。


なんてことか。人間みな、恒久の快楽を得られない半熟な世界で、ぐずぐずと生きているだけなんだ。


その日はみょうに寝つきがよかった。次の日は墓参りに行ったり、買い物に出かけたり、そうめんを食べたり、ごく一般的なお盆を過ごしやがて大学に戻った。


不埒な衝動もあれ以来影をひそめ、きみはそのへんにいる普通の女子大学生みたいに友達と遊んで、バイトをして、ネットで動画を見て、少しだけ就職サイトを眺めて、夏休み最後の週に予定している彼氏との旅行について考えるとか、そんなふうに毎日を過ごした。

新しいことはとくになく、夏の生産性の低さについてはこってり自戒した。

二言目には、秋から頑張ると宣言したきみだから、おそらく今後は何かに期待して生きるんじゃなかろうか。


「きみに何が生み出せるんだろうね」と、へのへのもへじは言った。

「なんだってやろうと思えばできるご時世なんだ。若い今、たくさんのものを作り出す絶好の機会だと俺は思っているんだけどなあ」


クリエイターとかいいんじゃない? って、彼は肩肘をついてポテトチップスをほおばりながらきみに言う。

「音楽とか、イラストとか、小説とか。俺の親友なんかさ、それらを全部やってやるって本気で考えていてさ……なんつってたっけな、自分の人格を三つに等分して? それぞれの人格で一つずつ扱うみたいなことを言っていたよ」

講釈垂れるやつで話がくどいからよく分からなかったけどな、要は三刀流ってことだろ、と彼は笑う。まるで自分のことみたいに。

「やるならやるで、いろんなことに手をつけていたほうがいいよなー。趣味でも、仕事でも、あらゆることに通ずることだよね。なにより、そういうものは自分の財産になりやすい」


たしかに人間関係も財産になりうるが、その多くは一定の時間が必要になる。生き方とともにその条件も限定されてくるし。その点、自分で始めることはもれなく財産になるし、長く続ければ続けるほどいずれ誰かにとってのギフトになる可能性だってあるんだ。


「まあとにかく、なんかやってみてよ、不埒な衝動とかでもいいからさ」

と彼は言って、きみの前から姿を消した。


率直にうざいなと感じたし、じゃあ何したらいいのか教えてくれてもいいのに、とか図々しくも考えてしまったが消えた人間に声は届かない。

よくわからない時間であったけれど、一日くらいは覚えていられそうな話だった。次思い出すようなことがあればそのときは何かやってみてもいいかもしれない。しかし、きみは誰かにあれしろこれしろと言われて素直にうなずかないタイプの御仁だから、ねえ。


そんなところで、尻切れトンボだけど、ひとまずは幕切れにつき。

またいつか、きみが話を用意してくれることを望むのです。


草々不一


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