第9話 試行錯誤(黒羽)

 ノール暦327年も6月になり、マーユは13歳の誕生日を迎えた。

 レドナドルの両親からは手紙と贈り物が届き、マーユは何日も悩みながら2人に返信をしたためた。


 商業学校の最初の定期試験は6月末だと判明した。

 成績優秀者にならなくてはならないマーユは、頑張ろうと心を決めたものの、どこから始めればいいのかもわからない状態だった。


 そういったわけで、6月第1週のある日の放課後、マーユは空き教室を使ってサリーから勉強を教わっている。


「まあ、簿記ってこんな感じで進めていくの。わかった?」


「…………」


 すらすらと説明するサリーの口元を、マーユは唖然とした表情で見ている。


「難しすぎる……」


「いや、真面目に授業聞いてれば、そこまで難しくないからね?」


「……信じられない」


「うーん……。やる気出してくれたのは嬉しいけど、前途多難すぎるなあ」


「……うう」


 サリーとマーユは、それぞれ頭を抱える。


「私がずっと教えられれば、なんとかなるんだけど。ルグランジュで働かないといけないんだよね……」


「サリー、忙しすぎ」


「まあ、仕事は楽なんだけどね。メリネさんの傍にいて、仕事手伝いながらいろいろ覚える、見習いみたいなもん」


「ふーん」


「あ、そうそう! マーユ知ってる? メリネさん婚約したんだよ!」


 サリーは浮き立った声になる。


「お相手はなんと……ダンデロン商会の、ベッグ・シナードさん!」


「えっ!?」


 これにはさすがのマーユも驚いたらしく、ぽっかり口を開ける。


「両商会の若手のエース同士の婚約だもん。マドゥラスの商業界全体に影響があるビッグカップル誕生だよ!」


「でも、だいぶ歳が違うんじゃ……」


 マーユがぽつりと言うのに、サリーはうんうんとうなずく。


「まあね。でもたぶん、差は10歳ないぐらいだと思うよ。メリネさんの歳のことはタブーだけど、たぶん40にはなってないと思う」


「えっ」


 マーユの口がさらに開いた。


「……メリネさんのほうが、年上なの?」


「うん、たぶんね。……樹人って、成長が遅いんだよ。マーユ、知らなかったんだね」


「知らなかった」


「純血に近い樹人は150年ぐらい生きたりするんだって。こないだ亡くなった先代大公も、160歳近かったらしいよ」


「へえ……」


 こうして2人の会話が勉強から完全に離れたとき、教室の扉が開いて若い男が顔を出した。


「お、マーユとサリーレ、まだ残ってたのか」


 男の名はパウリ・ロガン。マーユとサリーレが属する組の副担任である。すっと伸びた身体に柔らかい顔立ち、そして熱意のある指導で人気のある教師だった。


「あ、ロガン先生。ここ、使われるんだったらどきます」と、少し上ずった声でサリーが答える。


「いや、ただの見回りだよ。もしかして勉強してたのか?」


「はい。マーユがやる気出してくれたので」


「おお、そうかそうか! 先生嬉しいぞ。マーユ、俺でよければいつでも教えるからな。サリーレは商会に通ってるからそんなに時間がないだろうしな」


 パウリはうんうんとうなずく。一方、個人的事情まで知っていてくれているとわかって、サリーは溶けたような笑顔になっていた。


「マーユ、教えてもらいなよ! ロガン先生が面倒見てくれるなら、私も安心だわ」


「…………」 マーユは少しうつむいて、黙っている。


「ハハハ、まあ教師に授業以外で教わるのは敷居が高いもんだ。気が向いたら声をかけてくれ。なんでも相談に乗るからな! ……っと、もう日が暮れるぞ、今日はもう帰りなさい」


「はーい」サリーレが少しだけ甘ったるい口調で答えた。



☆★☆★☆



「マーユさん」


 寮の前まで帰ってくると、そう呼び止める声がした。


「ララス」


 名前を呼びながら、マーユは立ち止まる。

 ララスは低木の茂みに隠れるように、ひっそりとたたずんでいた。高い背を縮めるようにして心細げに立っている。


「一緒に勉強しようと思って、探したんだけど」


「ごめんなさい……。ちょっと用事があって」


「ふうん……」マーユは少し口を尖らせた。ララスはそれを見て、ふふ、と軽く笑った。


「勉強はどうですか?」


「……絶望的。それもかなり」


 マーユの暗い声に、やっぱり、とララスはうなずいて見せた。


「この商業学校の成績は、商人志望の若者にとっては人生を左右しかねないほど重要なものです。さすがに、にわか勉強でそれに対抗するのは無理があるのかもしれませんね……」


「そうだね……」とマーユはうなだれる。


「リーカには、正直に無理ですと言おうと思う。土下座すれば、なんとかなる……かも」


「マーユさんの土下座は見てみたいですけど……あの、別の手があるかもしれません」


「えっ」


「私、調べたんです。学校の生徒が中央図書館の通行証を手に入れるための、いろんな方法を……。で、望みがありそうなものを、ひとつだけ見つけました」


 ララスはすっとマーユに近づくと、両手で右手を取り、両手のひらで温めるように握った。マーユは間近で見下される形になり、ぱちぱちと目を瞬かせる。


「やっぱり、マーユさんには優れた魔術の素質があると思います。……魔術研究所の助手を、やってみませんか」

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