第25話 山頂への旅(下)

 夜になって僕らは、尾根から少しだけずれたところにある石造りの休憩所に辿りついた。


「まあ私たちには必要ないものですが、昔は岩人の王族もたまにここを通っていたのですよ。ですから道沿いにこういうものも作ってあるのです」


 道なんてない、と思ってた山脈の移動にもちゃんと道はあったらしい。僕にはわからなかったけど。

 休憩所に入ると部屋の中央に炉が切ってあり、たぶん長いこと使われていないだろうに、きちんと薪が積んである。

 ルズラさんが腕を一振りすると薪に火がつき、僕はルズラさんを右肩に乗せたまま炉のそばに座りこんだ。


「寒かったでしょう、御子。ひどく震えてらっしゃいますよ」


 ルズラさんは優しい声で言い、右肩から離れた。

 たしかにあんなに走り続けたのに、僕の身体は少しも暖まってない。でもそれは外が寒かったからだけじゃないんだ。

 ナドラバが僕の中で消えてから、時間が経つごとに僕の身体は寒さに過敏になっていってる。

 あの、大森林をさまよった雨の夜のように。


「スープ、お飲みください」


 小さな水差しが目の前にすっと差し出された。受け取って、細い注ぎ口から舌に垂らす。スープは熱かった。ルズラさんがわざわざ温めてくれたのか。

 ミルクとブイヨンの味が身体に染み渡る気がする。このスープを飲むと、一時的に寒さがやわらぐんだ。たぶん、消えたナドラバのわずかに残った魂が僕の中で喜んでいるんだろうと思う。根拠はないけど。

 水差しをルズラさんに返して、石板を出し「ありがとうございます」と書いた。


「ふふ、そもそも御子が作られたスープですよ。礼などいりません。私もいただきますね」


 ルズラさんは水差しの注ぎ口をくわえて、静かに飲みはじめる。いつも思うけど、飲んでる姿はちょっと可愛い。

 僕は炉のなかの火を見つめる。

 いつもこうやって、座って火を見てる気がする。包帯さんと出会った夜も。地下墓所でマーユと過ごしたあの時も。地の底でボルクさんの呟きを聞いていた時も。そして、いまはもう行けない夢のなかでも。


「……ナドラバは、本当に満足して消えたのでしょうか」


 ルズラさんがぽつんと呟くのが聞こえた。僕は、黙ってうなずいた。

 体調が戻ってからルズラさんは何度か同じことを口にして、そのたび僕はうなずいてる。


「十年。地霊の責務を放棄してまで、なぜナドラバにこだわったのか。……実は、自分でもよくわからないのですよ」


 ルズラさんは小声で話す。


「ただ、そうしなくてはいけない、と思ったんです。あの子の運命を思うと、どうしようもなく胸が痛んで。でもそれだけではなく、守らなくては失われてしまう、と感じたんですよ。かけがえのないものが」


 僕は、ただじっとルズラさんの話を聞く。


「私が感じた、かけがえのないものとは何だったのでしょう。それを、私はうまく言葉にできないのです。転生の力、と御子には言いましたが、それが正しい表現なのかどうかもわからないのですよ。全く、こんな曖昧な話で御子を引っ張り回して……本当に申し訳ない気持ちです」


 僕は首を横に振る。ルズラさん、僕も同じだから。自分はいったい何者なのか、自分のなかにある力はなんなのか、手がかりがありそうで見つからない。僕もまた、言葉にできないモヤモヤを抱えてるから。


「私は、ナドラバの中にあったかけがえのないものを守れたのでしょうか。……考えても、答えなど出ませんね」


 そう言うと、ルズラさんはかすかに笑って、一転明るい声になった。


「さあ御子、そろそろお休みなさいませ。今夜も私に寝顔を見せてくださいな。さあさあ!」


 そんな勢いよく言われても、急には眠れないんですが……。

 でも結局、横にならされて何度も寝ろ寝ろと言われてるうちに、僕の意識は眠りへと落ちていった。



☆★☆★☆


 険しい尾根をいくつも越えて辿りついたザグ=アインの最高地は、ゆるやかにうねる広大な雪の野原だった。最高峰は、その真っ白な雪原の向こうにそびえる尖った三角錐だ。

 出発して三日目の朝に僕らは雪原に入り、雪を蹴立てながら全速力で最高峰を目指す。

 三日のあいだに僕の走りはずいぶん鍛えられ、速度もかなり上がってた。意識しなくてもポン足の術を使いつづけられるようになったのが大きい。ルズラさんから風よけの術と足元を固める術も習ってたが、こちらはまだうまく使えない。


 昼前、ついに僕らは最高峰の下に到着した。


「お疲れさまでした、御子。ここからはあれに乗りますよ」


 ルズラさんが指差す先には、岩壁にとりつけられた、リーカの家にあった石の昇降装置を数倍にしたような台がある。おそるおそる乗るとすうっと上昇しはじめる。

 僕らがどれだけ高いところまで来てしまったのか、台上から見てるとよくわかる。なんといっても、視界のはるか下のほうに雲の海があるんだから。

 空はどこまでも澄みわたった薄い青で、見てると自分が天に近いところにいるのが実感できた。


 昇降台が止まると、目の前には長い長い上り階段があった。純白の石でできた階段が見上げても終点が見えないぐらい続いてる。

 そして、階段の手前に、小さな影がふよふよ浮いてた。


「えっ……!」


 ルズラさんが驚愕の声をあげる。僕も思わず口を開けてしまう。僕らを出迎えたのは、意外な人物だった。


「どうしてここにいるのです……ネテラ!」


「ルズラ~!」


 ネテラさんはほっとしたように叫ぶと、ルズラさんに飛びついてくるくる回った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る