第7話 最初の夜の終わり
頭だけになってから、時間にすればそんなに経ってないだろうけど、自由に歩き回れるのはずいぶん久しぶりの気がした。
身体の動きを確かめるため、カシャ、カシャ、と音を立てながら、焚き火のまわりをゆっくり歩いてみる。
問題ない。不思議だなあ。
僕の身体、凄いかもしれない。
包帯さんはニコニコしながら、僕を見守ってる。
包帯さんがこうやって立ってるのを、身体がある視点から見るのは初めてだ。僕は、ちらちらと包帯さんを観察した。
全体的にほっそりとしてる。背は僕よりはだいぶ大きいけど、人間の女の人としては平均よりちょっと高いぐらいかも。
手足が長くて、俊敏そうな、さっそうとした感じだった。
なお、身につけてるのは相変わらず包帯だ。手足は剥き出し。子供の骨がいうのもなんだけど……けっこうきわどい感じではある。
包帯さんを見てたので、気がつくのが遅れた。
地面に派手に血が飛び散っている。心なしかどす黒い感じの血。豚が頭を割られたときの流血だろう。
なのに……豚の死体は、どこにもなかった。
「気づいたかい。そうなんだ」
地面を見つめて立ち止まった僕へ、包帯さんが歩み寄ってくる。
「致命傷を与えたはずなんだけどね。気がついたらあの箱ごと、どこかに消えてたんだよ」
包帯さんは、ため息をついた。
「おかげで、ボクの計画は台無しだよ。……君と、愛の逃避行をしようと思ったのにな」
あいのとうひこう。音は聞こえたけど、言葉がとっさに頭に浮かばない。意外な言葉すぎる。
「万が一だけど、あのグブードンって男が生きてて誰かに今夜の報告をしたなら、また敵がボクを探しにくるだろう。……そうなると君と一緒にいて、君を巻き込むことはできないよ」
包帯さんの腕が、僕の肩を抱く。
「君のおかげでノウォン満タンになったいま、ボクには急いでやらなきゃいけないことがある……。だから、一度ここでお別れしなきゃいけない。恩知らずだよね、ボクは」
肩に回された腕に、ギュッと力が入った。そんなことないと、僕は首を横に振る。
「でもボクは、近いうち必ず君に再会して、恩を返す。君をあきらめない。ボクの……はじめての人だからね」
両肩に手がかかって、包帯さんのほうを向かされる。見上げると、また肉食系の表情になってた。あの、若干怖いです、それ……。
「だから、君に贈り物をしたいんだ。……受け取ってくれるかい?」
贈り物が何かわからなくても、こう言われたら拒否する選択肢はないよね。こっくりとうなずく。
「……よかった! じゃあ、少し待っててくれ」
包帯さんは焚き火に近づくと、無造作に腕を火の真ん中に突っ込む。やっぱりこの人は凄い人だ。炎なんて最初から相手にしてない。
ちょっとの間、腕を動かして何か探してたけど、あったあった、といいながら何かを掴みあげた。
それは、ほのかなピンク色の石だった。
ぽん、ぽん、と手で石を弾ませながら、包帯さんが戻ってくる。
「これは結界石っていうんだ。貴重な結晶でね、君を周囲から見つけにくくしたり、体調を整えてくれたりするんだよ。これを、君に贈りたいんだ。君には無事でいてほしいからね」
手のひらに乗せた石を僕に見せながら、包帯さんは言った。水晶みたいな両端が尖った多角形の柱の形をしてて、かなり大きい。おだやかなピンク色にほんのりと発光していた。
包帯さんの気持ちが嬉しい。僕は、もう一度感謝をこめて頷いて見せた。
「うんうん、じゃ、入れるよ」
……入れるって何を?
首をかしげる間もなく、僕は抱き寄せられ、包帯さんの手が、肋骨の下の隙間から、僕の胴体に入ってゆく。その手には結界石が握られている。
「<固定せよ、守護せよ、我が意志よ、我が石よ!>」
声とともに、ガコン! という音が響き、包帯さんの手が僕の胴から出てゆく。あとには胸の中心に、結界石が残された。
ピンク色の光る柱が、僕の胸の空洞に浮かびゆっくりと回転している。
僕は、あんぐりと口を開けた。贈る、って、手渡してくれるんじゃないんだ!
「よしよし、うまくいった。この石は冷気もある程度防ぐから、夜も寒くないよ。君、寒そうだったからね、気になってたんだ」
包帯さんのいい笑顔。優しい思いやり。
……でも、元気になった包帯さんとしばらくやりとりしてると、こう思わざるをえない。
冷静で、頭がよくて、情のある人だけど……実はかなり雑な人なんじゃないか、って。
「それにその石があれば、ボクには君の居場所がわかるんだよ。だから取っちゃ駄目だよ。……取れないけどね!」
そして相当、有無をいわさぬタイプの人なんじゃないかって。
☆★☆★☆
最後に僕をそっと抱きしめたあと、包帯さんは去っていった。
身体を離すと、手を振りながらさっと樹の陰に走り込んで、あ、と思ったらもう姿がなかった。
残された僕はなんだか全身から力が抜けて、焚き火の前に座り込む。
焚き火は結界石を取ったせいか、火の勢いが衰えて、しばらくしたら消えそうだ。
包帯さんが言ったとおり、あの震えるような寒さは消えていたので、焚き火なしでもなんとかなりそうだった。
見上げると、空はわずかに明るくなってる気がする。たぶん、もう夜明けが近いんだろう。
僕は小枝を使って火をかき起こしながら、包帯さんから聞いたことを思い出す。
僕たちがいるこの土地は、ホルウォート島という、とても大きな島らしい。僕はいま、その南端に近いところにいる。
このあたりはラグナ大森林という場所で、魔獣が凶暴過ぎてめったに人が寄り付かないところらしい。
「呪いがかかった森、と言われてるんだよ。ボクも追い詰められていなかったら、ここに踏み入る勇気はなかったよ」
と包帯さんは笑いながら言った。
じゃあ、僕やあの骸骨たちは何者なんだろうか。魔獣に食われて滅んだ住人たちなんだろうか。
「夜が明けたら、必ず移動してくれ。敵がまた来るかもしれないからね……。森を抜けるには北……こっちに歩くんだ」
真剣な顔で包帯さんはそう言い、方角を指差してくれた。その言葉にしたがって、明るくなったら歩き出そう。
だけど、いまは少し疲れた。火を見ながら横になる。
長い夜だった。土の中から始まって、本当にきつい夜だった。
でも、結果は悪くなかった、と思う。包帯さんと知り合えて、彼女の命を助けられた。
名前は、最後まで聞けなかったけど。
あんなにいろいろ教えてくれたのに、自分の名前を教えることだけは、完全に忘れてたみたいだ。
僕も口がきけないから尋ねられなかったしね。
まあいいや。次に会ったときに……。
……そう考えながら、僕は眠りに落ちていった。
僕が目覚めたのは、すっかり明るくなってから。
周囲の光は朝じゃなく、もう昼のものだった。
骨だけになっても、睡眠が必要なのかあ、と思いながら、僕は身を起こす。
樹の高いところで鳴く鳥の声がきこえ、爽やかな森林の空気が流れてくる。
僕はうーんと伸びをしながら、なにげなく自分の胸のあたりを見た。
……そして、思わず絶叫した。
もちろん声は出なかったけど、ギャアアアア!!! と叫んだ。
虫。いろんな虫が、結界石の光に引き寄せられたのだろう、僕の胸の骨にびっしりたかっていた。
肋骨から背骨まで、うごめき這いずる虫、虫、虫。
僕の姿を隠すって言ったけど、虫からは隠せてないじゃん!
どうすんのこれ! おちおち夜眠れないよ!
やっぱり包帯さんは大雑把すぎる人だよ!
……この時からしばらく、いかに虫除けをするかが、僕の最優先課題になった。
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