梨花、振り返る


 碧が部屋へ戻ってしまうと、梨花は起こしたベッドに寄りかかって溜息をついた。


「やっぱ、食べると疲れるね」

「桃とはいえ、一応固形物だからね。食べ過ぎた?」

「少しね。お腹いっぱいになっちゃった。でも、お口はもっと食べたい」


 亮介がパッと立ち上がった。


「俺、飴玉でも買ってこようか」


「ううん。後でいいや。それよりさ、ちょっと聞きたいことがあって」


 亮介がこれまた素早く座り直す。



「お母さんの日記、ざっと読んだから大体のことはわかった。えっと、うちが取引してた小学校の生徒が減ったから給食を給食センターに一任することになって、うちのお豆腐類の小学校への納入が無くなった。これが私が入院してすぐのこと。んで、お母さんの癌が再発して、もう店やめちゃえってことでこの病院の近くへ引っ越して、花屋になった、と」


「そう。昔から私、お花屋さんに憧れてたでしょ。で、高校からずっと花屋でバイトしてたからね。大学出て、一度大手の花屋チェーンに就職したの」


 梨花は、昼間に母親の日記から得た知識と照らし合わせるように、桃香の話に頷いている。


「そこの伝手で、廃業予定のお花屋さんがあるって紹介してもらって、そこを引き継ぐ形でね。お母さんが通院治療しながら店番して、お父さんは運送業に就職して」


「で、仕事中にもらい事故で……」


「うん。私が二十歳になったばかりの時」


 こちらへ移って、5年目の秋だった。正直言って当時の事は、あまり覚えていない。あまりの事に呆然とするうち、気付いたら父の葬儀が終わっていて、後には高額の賠償金だか見舞金だかが遺されていた。気丈に振る舞っていた母もさすがに弱ってしまい、それでもここへ毎日通って姉の世話を続けた。最期の方は母もここへ入院し、自身の緩和ケアの傍ら、1日の大半を姉と一緒にこの病室で過ごしていたのだ。



「エギィが同居しはじめたのは、こっちへ引っ越してきてすぐなんだよね?この辺がよくわかんなくて」


 礼儀正しく挙手した亮介が、発言を引き継ぐ。


「端的に言うと、ゲイなのがバレて親に勘当されたんだ。で、怪我が治ってから高校を転校して、アパート借りてしばらく一人暮らししてたんだけどさ。その間も、片平のおじさんおばさんはしょっちゅう家に呼んでくれて、飯食わせてくれてて」


「事情を知ったお父さんが、江木くん家のご両親と喧嘩しちゃってね。あんたの息子はうちで面倒見る! って啖呵切って。そのうちほぼ毎週末泊まるようになって、大学進学を機にうちへ同居」


 母の日記には、家族のことは細かく記されていたけれど、江木くんのその辺の経緯は大まかな流れのみを記すに留まっていた。おそらく、個人的でデリケートな内容なので文章にすることを憚ったのだと思う。慎重な母らしい、と桃香は思っていた。



「実の両親は大学にかかる費用は払ってくれたんだけど、マジで学費関連しか出してくれなかったからさ。下宿させてもらってすごく助かったんだ。それに、成人式や就職の時も祝ってくれて」


「エギィのご両親は、なんて?」


「成人式で一応写真は送ったけど、返事なし。就職ん時は書類やりとりして終了。彼らの望む息子じゃなかったんでしょ。彼らもまぁ、不運だよね。一人息子がこんなでさ」


 ぼむっ、と梨花が突然布団を殴った。顔を上げた亮介と目が合うと、さらに布団を殴り始める。


「そんな風に、言うな。自分のこと、そんな風に言うな。そんな顔、苦笑いなんてすんな」


 一言一言、言うたびに布団をボスボスと殴りつける。


「持って生まれた傾向や、性質を、どうこう言っても、仕方ない、でしょ。ましてや、それで子供を突き放すとか、親、失格、でしょ!」


 桃香がそっと手を伸ばし、梨花の肩に触れる。


「お姉ちゃん、埃立つから。布団叩かないで。咳出ちゃうから」


「だって! そんなのおかしいじゃん!」


 目を潤ませ頬を紅潮させた梨花は、もう一度布団を殴りつけようとして腕を振り上げたが、拳を握ったままその手を静かに降ろした。その代わり、眉を険しくして布団を睨んでいる。


「そんなの、おかしいよ」



 怒りのこもった梨花の呟きに、返ってきたのは亮介の笑い声だった。


「梨花、怒り方が親父さんとそっくりな」

「だね」


 桃香も梨花を優しく見つめて微笑んでいる。


「親父さんもそうやって、自分の膝バンバン叩きながらうちの父親に怒ってくれたんだ。『そんなの、おかしいだろう!』って」


「そうそう。顔真っ赤にしてね。お父さんは怒ってるうちに号泣しちゃったけど」



「……お父さん、すぐ泣いちゃうからな。桃香そぉっくり」


 布団を睨みつけたまま、梨花はまた呟いた。怒り方を指摘されて、少しはにかんでいるように見える。もしくは、他人の事情に入れ込んで怒りを露わにしたのが恥ずかしかったのか。その両方かもしれない。



「うるさいな。泣き虫で悪かったね。お姉ちゃんなんか妄想魔人のくせに」

「妄想魔人て何よ。どうせ勘違いと思い込みで仮死状態になったよ。悪かったな」

「しかも10年とか。どんだけー」

「10年経っても『おねえちゃ~ん』って洟垂らして泣く大人の方がびっくりなんですけど」


「まぁあの、二人とも」


 亮介が腰を浮かせ、恐々と両手を突き出す。が、割って入る勇気は無いらしく、屁っ放り腰のままオロオロしている。


「なんだやんのか」

「やったろうじゃないよ」


「待て待て。落ち着いて。俺にも話の続きが」


 焦る亮介に目もくれず、姉妹は睨み合う。次の瞬間掴みかかったかと思うと、互いの手をバチバチと叩き合い始めた。きゃあきゃあ笑いながら、キャットファイトの真似事をしている。

 亮介はがっくりと脱力して、椅子に座り直した。


 しばらくはしゃいだ後、姉妹は互いに「イェ~イ」とハイタッチした。そして同時に亮介を振り返り、声を合わせる。



「「で、なんだって?」」



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