第9章

704号室 片平梨花


 姉、梨花の病室にやってきた江木亮介は息を切らし、両手いっぱいに荷物を抱えていた。手には和菓子屋と洋菓子屋、それぞれ2軒ずつの紙袋。有名なパン屋のビニール袋を肘にかけ、もう片方の手には大きな花束を。さらに、肩から下げた鞄には和食店の弁当が3種類入っていると言う。


「何よ、その大荷物……せっかくのスーツがくしゃくしゃじゃない」

「スーツなんかどうでもい。仕事は切り上げてきたし」


 桃香は半ば呆れながら、花束を受け取った。花束と言っても、花瓶に活ける必要のないアレンジメントだ。アイリスとガーベラ、アレキアを主体にグリーンでまとめてある。相変わらず個性的な花選びね、と感心しつつ、妙に強張った表情の亮介に訝しげな視線を送った。

 その間に亮介は、低いテーブルに荷物を置いて居住まいを正した。ジャケットの袖を撫でて皺を伸ばし、ネクタイと襟を整える。咳払いをし、背筋を伸ばした。


「碧ちゃん、初めまして。桃香の友人の、江木亮介と申します。いつも桃香と梨花がお世話になっております」


 よく通る声で挨拶し、きっちりと頭を下げる。碧は慌ててソファから降り、こちらも礼儀正しく頭を下げた。


「初めまして。延江碧です」


「いつも桃香から聞いております。本日は何卒、よろしくお願いいたします」

「ちょっと江木くん、何を」


 子供相手に堅苦しい挨拶を述べる亮介の腕を引っ張り、桃香は強引に着席させた。


「みぃも座って。どうしたのよ、江木くん」

「だって俺、初対面だし、これから梨花がお世話になるわけだし」


 亮介の顔の前に片手を突き出し、止めさせる。これ以上言わせたら、碧にプレッシャーをかけることになるからだ。


「そんなに堅苦しく考えないで。今日は挨拶程度にと思ってるから。ただでさえデカくて顔も怖いのに、江木くんがそんなにガチガチだと、みぃに緊張が移るでしょ。ほら、リラ~ックス」


 そう言いながら江木の肩をバンバン叩いている桃香も、本当は緊張していた。何しろこれから、梨花を眠りの森に連れて来てもらうのだから。そして碧の口から、梨花に現状を伝えてもらう。どこまで話せるかは、梨花の反応次第だ。

 だがそれ以前に、眠りの森にやってきても、梨花が目を覚まさないという可能性だってあるわけで……


 桃香は自分の緊張を笑顔の下に隠し、普段通りを装う。が、これが結構難しい。私は上手く演れているだろうか……



「ねぇそれ、何? なんか美味しそうなものがいっぱい」


 亮介に水を向けると、彼は紙袋の一群に手を伸ばし次々に包装を解き始めた。


「プリンでしょ、焼き菓子詰め合わせでしょー、こっちは水ようかんと大福に、煎餅なんか。あとカツサンドに弁当と……色々買ってきたんだ。碧ちゃんも梨花も、何が食べたいかわかんなかったから」


「みぃ、どれ食べる? ご飯前だから一つだけね、何でも好きなの食べていいよ。私は……プリン貰おっかな」


 亮介の言葉を遮り、桃香は楽し気な声をあげる。

 10年ぶりに梨花が目覚めるかもしれないのだ。つい舞い上がってしまうのはわかる。わかるが、今日目覚めるなんて期待しちゃ、駄目なのだ。そしてそれを、みぃに気取られるのも。



「あたしもプリンがいい」と隣でおとなしくプリンを頬張っている碧に、特に緊張している様子は見られない。

 ホッとしつつ、桃香は亮介を顰め面で睨んだ。亮介が恐縮した面持ちで、広い肩を精一杯窄めながら大福を齧った。






「美味しかったです。ごちそうさまでした。じゃぁあたし、そろそろ行ってくるね」


 あっさりとそう言い置いた碧が梨花のベッド脇の簡素な椅子の上で眠りについた後、桃香は声を潜めて亮介に文句を言っていた。



「昨日言ったじゃない。仰々しいことや緊張を煽るようなことはしないで、って」

「だから悪かったよ、そんなに怒んなくても……はい、スンマセンでした。でも俺だってさ、早く梨花に戻ってきて欲しくて、それに碧ちゃんにも喜んで欲しかったし」



 先日この部屋で碧の本当の境遇に号泣して以来、亮介はこれまで以上に彼女のことを気にかけていた。


 『他人と夢を共有出来る』という特殊能力への興味は、もちろんあった。

 それに加え、『家族を失いひとりぼっちになってしまったが、強く生きようとする立派な少年』から、『喪失感や絶望、後悔の念から、亡くなった弟の身代わりとして生きて行こうとしていた健気な少女』へと認識が変わったことも相まって、肩入れの度合いが跳ね上がったのだ。

 それはもう、自分が引き取って育てるとでも言い出しかねない程に。


 元々熱く一本気なところのある男だが、今回ばかりは少し暴走気味だ。桃香は改めて釘を刺した。


「とにかく、もしお姉ちゃんが戻らなくてもがっかりしないでよ? 少なくとも、病院を出るまでは我慢して。みぃの負担になるから」


「わかった。わーかったって。気をつけます。重々、気をつけます」


 ひそひそと言葉を交わしながら、碧の邪魔にならないよう、ふたりは静かに食べた物の後片付けを続ける。残りのプリンと水ようかんは冷蔵庫へ、その他のお菓子は向こうのラックへ……



「それにしても、買い過ぎだってば。気持ちは嬉しいけどさ、こんなに食べきれるわけないんだから」


 苦労してラックを整理しながら、桃香はまた眉を顰めた。長年の質素倹約が染み込んでいるので、食べ物が無駄になるのが許せないのだ。


「余ったら他へ分ければいいじゃん」

「それにしたってさぁ。これだからボンボン育ちは」

「だってもし梨花が戻れたら、パーティーだぜ?」



……んもう、またそんな先走りを。そもそも、10年眠っていた人間が起きてすぐに固形物を食べられるとでも……


 大きく鼻を鳴らし、桃香は亮介を横目で睨む。大体この花だって、こんな大きな……あれ?



「この花……ねぇ江木くん。もしかして、これって……花言葉で、選んだ?」


 あからさまに肩が跳ねた。ビクッと肩を聳やかして固まった亮介が、プリンの空き容器を洗っていた手を止め、そろそろと振り返る。


「……ばれたか。さすがお花屋さん」



 アイリスには吉報、アレキアは治療や治癒、ガーベラには希望という花言葉が含まれている。この前持ってきてくれたのは確か、ピンクの紫陽花。その花言葉は……元気な女性。


……どうりでおかしいと思ったのよ。お花屋さん相手に、花束のお見舞いなんて。そこまで考えてくれてたわけね。



「オシャレ料理の次は花言葉か。どこまで女子力上げる気よ」

「人を見舞う気持ちに、女も男も無いだろ。大体、『女子力』とかってもう死語」

「誰が流行の周回遅れだ」

「そこまで言ってない」


 桃香はスマホで花の写真を撮った。このあいだの花束も、写真を撮っておいて良かった。梨花が起きたら、見せてやるのだ。



 写真を撮り終えるのを待ち、亮介が声を落として桃香に問いかけた。


「……それで、こないだ言ってた院長の娘はどうなったん?」


「うん、順調順調。みぃの眠りの森に連れて行って一緒に起きてからは、もうすっかりみぃに懐いちゃって。お姉ちゃんお姉ちゃん、って。えみりちゃんが退院してからは、ご自宅の方へも遊びに行くくらいよ」


 亮介には端折って話しているが、実際にはあの6人のメンバーと母親とで、何度かムーグゥへ入ってえみりと遊び、さらに仲良くなった。その後、碧が眠りの森へえみりを連れ出し、一緒に目覚めたのだった。


 手を繋いだまま同時に目覚めた二人は、起きた直後に目を見交わし、笑った。まるでずっと、友達同士だったみたいに。


 碧曰く、「少しお話しして、それからえみりちゃんに一緒に起きるよって言って、手をつないでぴょーん!ってしたら起きれた」という事だ。


 退院したえみりは、まだ体力が戻らないためほとんどをベッドの上で過ごしてはいるが、食欲もあり元気で、語彙も日に日に増えて夫妻を驚かせ、また喜ばせている。



 それを聞いた亮介は、ホッとした様子で背中をソファに預けた。口には出さないが、長く眠っていた患者が順調に回復しているのを知って安心したのだろう。

 それは桃香も同じだった。えみりと梨花とでは状況が全く違うものの、それでもえみりの現状は、希望を抱かせてくれるものだった。


 桃香はソファの上で振り返り、日が暮れる前の最後の光を放つ夕陽を浴びて眠っている姉と、丸椅子の上でベッドに寄りかかって眠る少女の背中を見つめた。姉のほっそりとした手を、碧の小さな手が握っている。


(みぃ、お願いね。どうか、お姉ちゃんが……ううん。せめて、お姉ちゃんと話だけでも出来ますように……)



 いつの間にか亮介も、眠る二人の姿を桃香と同様に見つめていた。どうか目醒めてくれ。生きてくれ。そして出来ることなら……俺を、罰してくれ。




 祈りに満ちた沈黙が続き、夕食の時間になって廊下を行き交う物音もすっかり静まった頃。突然、キュウッと音が鳴った。


 ソファの上、二人が素早く目を見交わし、そっと立ち上がる。そろそろと足音を忍ばせ、ベッドに近づく。


 また、音が鳴る。今度はもう少し長く、キュウ、キュルル……と。



 間違いなかった。梨花だ。梨花のお腹が鳴る音だ。



「院長にメールを」

 切迫した表情で囁いた桃香に、頭がもげるような勢いで頷いた亮介は内ポケットのスマホを取り出しながらドアに駆け寄り、一気に開け放った。そして、ドアにくっつくようにして立っていた院長と、ぶつかりかけた。

 

「「あ」」


 廊下の端まで飛び退った院長が弁解を始めようと口を開くのを遮り、亮介が早口で囁く。


「梨花のお腹が鳴ったんです。キュルルって、初めて」


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