ムーグゥ 塚田えみりの夢世界


 疲れた、と碧はソファで仮眠している。空いているベッドもあったのだが、わざわざ桃香の膝枕で、帽子を腹に抱えたまま無防備に眠っている。

 塚田母娘が眠っている豪華な特別室より、居心地の良い院長のオフィスより、深い藍色に染まるこの部屋と例のメンバーが集まるこのソファを、碧は気に入っているらしい。



 そのメンバー達は今、院長のオフィスでミーティングを行っている。


 碧の説得により、再度娘を起こす努力をしてみると約束した妻、塚田美枝子。

 彼女は碧の眠りの森から離脱した後、娘のムーグゥへと戻ったはずだ。今頃きっと、娘をあるべき年齢に戻すべく、懸命に語りかけているだろう。

 娘の夢に訪れるなら、なるべく早く、と美枝子は言った。「娘を抱いている幸せに、私がまた、飲み込まれてしまわないうちに」と。



「それにしても、賢い子だなぁ。碧ちゃん」

「そうね。賢くて、優しい子だわ」


 タッキーともっちが、しみじみとため息を吐いた。他の面々も、黙って頷いている。



 今までの蒼一は、実は双子の姉である碧が成り代わっていた姿であったこと。それは、昨日メールで知らせてあった。

 そして今日、碧が眠りの森に入っている間に、桃香は集まったメンバーへ改めて事情を説明し、謝罪していたのだ。


「それで、ムーグゥでの姿が魔法少女だったのね。もっちさんやタッキーさんみたいに、向こうでは性別関係無いから、特に不自然にも思わなかったけど」

「でも、今にして思うと、あのくらいの歳の男の子なら、ヒーローものになりそうだもんな」


 クウヤとマリンが話している間も、ジョーはひとり、眉間に皺を寄せて目を閉じていた。喉元から微かに、唸るような旋律が漏れている。確認のために音を辿っているのだろう。


「ジョー、大丈夫?」


 もっちの問いかけに、ジョーは目を閉じたまま、すっと人差し指を立てた。


「問題ない。集中してるだけだから」



 塚田院長が腕時計を確認し、皆の顔を見渡した。


「そろそろ、時間です」

 引き締まった表情で、メンバー一人一人に目を合わせる。


「先ほども申しましたが、無理に今回で成功させる必要はありません。妻がどれほど娘と対話出来ているか、わかりません。少しでも危険を感じたら、強制離脱してください。くれぐれも、安全第一でお願いします」


「ラジャー」

 おどけた振りで二指の敬礼をして、竹内が場を和ませる。おまけにパチパチと指を鳴らし肩を揺すって、小さく踊ってみせた。


「んじゃ、行きますか。二人のスリーピングビューティーを目覚めさせに」

「おう。熱い目覚めのキスを」


 クウヤの軽口を、もっちが痛烈な肘鉄で止めた。脇腹を押さえ、クウヤが呻く。

「ごめんなさい。冗談です……」


 もっちが振り返り、院長に笑いかける。

「院長、ご安心を。私が見張ってますから」



 緊張した表情をふっと和らげ、塚田院長は5人の背中を見送った。




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「うわぁ……」


 5人の大人達に囲まれながら、ミルカは感嘆の声を上げた。


 その空間は、以前小林の夢で見た無機質なオフィス街とは、全く異なっていた。

 パステル調のピンクとオレンジ、水色がまだらになった空。ミルクの匂いがする空気。地面はふわふわした雲のよう。エプロンドレスを着たぬいぐるみのウサギがよちよちと二足歩行し、すみれ色の巨大な猫が眠っている鼻先を、ピカピカ光る小魚の群れが泳いでいる。

 何もかもふわふわしていて、優しい色に満ちていた。現実の世界のように、ケバケバしく目に刺さるような色遣いは見当たらない。


 クウヤが位置を確認するより早く、優しい歌声が聞こえてきた。ゆっくりと、声の方へ歩を進める。地面を踏みしめるたびに、透明なシェルの下で雲が小さく渦巻いた。

 徐々に近づく声に、耳を澄ませる。それは歌ではなく、歌うように語りかける美枝子の声だった。

 彼らが以前見たぶよぶよの物体ではなく、美枝子は本来の姿を取り戻していた。だがよく見ると、彼女の腕と抱いている赤ん坊の身体の境界があやふやで、ところどころで癒着しているようだ。


 腕の中の赤子は目を覚まし、機嫌よく声を上げながら小魚の群れを目で追い始めた。

 


「えみりちゃん、おさかなさんがお外に出ちゃったら、息が出来ないわね。おさかなさんを、おうちに戻してあげようね……」


 するとどこからともなく、くすんだ緑色の三角帽を被った小人が現れ、チカチカ光る杖で小魚の群れを誘導し始める。可愛らしく光る魚の群れは、これまたいつの間にか現れた巨大な金魚鉢に、次々と収まって行った。



「お母さんとの間に意思の疎通がある。夢の場も、以前より安定してるみたい」


 もっちの呟きに、大人達が同意する。


「じゃあそろそろ、いい? 行くよ」


 狭い透明シェルの中で、ジョーがタクトを構えた。一振り、軽快で楽しげな音楽が流れ始める。


 ミルカの手を引いて、タッキーがスキップしながら躍り出た。




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