小林文代の闘い

 もやもやとした黒い煙の塊が、朧げに形を取り始めた。徐々に人の形を取り、それが3つに分かれてモゴモゴと蠢く。


「影が実態化してきてる」

「患者がストレスの元凶を自覚し始めた、ってところね」

「なんかゲル状っぽくない? キモいんだけど」




『タカイキュウリョウ、モラッテるクセニ……』

『オタカクトマッテ……』

「マァマァ、ココハヒトつキみもオトナニなッテ……』



「げ、喋りやがった」

「離れて暴れだしたら面倒だ。ひとまとめにしちゃおう」


 もっちが進み出て、腰だめに構える。


「くらえ! 一網打尽!」

掛け声とともに大きな網が投じられ、3体の影を絡め取る。が、一部が網の隙間をすり抜け、空へと逃げた。


 すかさずマリンが弓を構え、自分の髪を引き抜く。抜いた髪が手の中で、一瞬にして弓矢に変わった。


「天翔けよ清き白銀(しろがね)、ジャスティスアロー!」


 キーンッと乾いた音を立て、弓矢が弧を描く。矢は獲物の中心をとらえ、黒い塊はベシャリと地に落ちモゾモゾと蠢く。


「黒き炎よ、その影までも灼き尽せ。火遁の術」

 クウヤが低く呟き、揃えて立てた人差し指と中指に息を吹くと、たちまち黒炎となり襲いかかる。黒い塊はぶすぶすと音を立てながら、すぐに消えた。



「ナイスだ、マリン、クウヤ。んじゃ、こっちも行くぞぉ」

 もっちが腰に差していたハンマーを一振りすると、ハンマーはグワンと膨張し1.5メートルほどの巨大な大槌に変身した。


「唸れ剛腕! ぶっ叩け! スレッジハンマー!」

 ハンマーが唸りを上げ、網に絡まった黒い塊をボッコンボッコン殴りまくる。その度に、ビシャッ、ベチャッと湿った音が響く。一度人の形を取りかけていた塊たちは、また一つの塊に戻ったように見えた。



「敵ヨワいし、なんか地味ぃ」

 タッキーが小気味よく腰でリズムを取り、肩を揺らしながら両手でパチパチと指を鳴らす。


「ジョー、盛り上げてよぉ」

「いいよ。任せて」


 ジョーが気取って一礼し、タクトを振り上げる。勇壮且つ重厚な音楽がどこからともなく流れ始めた。


「ッヒョー! 上っがるぅ~!」


 タッキーは踊るようにもっちの対面へ回り込むと、蠢めく獲物から少し距離をとった。スカートのポケットから鍼の束を取り出し、指の隙間に握りこむ。


「黄色と黒は勇気の印! くらえ、アキュペンクチャー!」

 もっちの打撃の隙をつき、何本もの鍼がビシビシと打ち込まれる。黒い塊は小さくなり、動きを止めた。


「フゥ!」

 歓声をあげてくるりと回転したタッキーは、音に合わせ楽しげにステップを踏んでいる。


「ハァイ、もういっちょぉ! 24時間癒せども、勤務時間は8時間。労基法遵守! サンダーニードル!」

 別の鍼がいくつも打ち込まれ、ジジっと音を立てる。塊がビクビクと痙攣し、収縮していく。


 音楽はさらに盛り上がり、ジョーの口の端に陶酔の笑みが浮かんだ。



「小林さん、こちらへ」

 マリンの声に、小林が身を竦ませた。が、すぐにミルカの手を離し、シェルから抜け出すとマリンの元へ駆け寄った。


「前回やった通りです。出来るわね?」


 美しく装飾されたロングボウを、恐る恐る受け取る。そろそろと弓を引き、狙いを定める。


「胸を張って。力を込めて、もっと弓を引いて。そう。自分を信じて……放て!」


 キンッ! という短い音と共に矢が離れ、塊に突き刺さった。塊はぶるぶると震えだしたかと思うと、網ごとパァンと弾け飛び散った。


「うっわ!」

「うげぇ、きったな!」



 飛び散った塊が、再びゆっくりと集結していく。


……と。タッキーが振り向いた。


「ジョー?」


 気づけば、さっきまで鳴り響いていた音楽が止まっていた。


「あ、コレやば……」

 もっちの呟きに、皆の視線がジョーへと集まる。



 猫背気味に俯いて立ち尽くしているジョーが、おもむろに上着を脱ぎ捨てた。そしてゆっくりと前髪をかき上げるその両手は、細かく震えている。


「俺の服が……靴がぁ……」


 もっちがシェルに駆け寄り、姿の見えないミルカを背後に庇った。



「……靴が汚れたじゃねえかばかやろおおおおおおお!!!」


 派手に歪ませたギターの爆音が轟く。

 握っていたタクトがエレキギターに変わり、ジョーはそれを振りかぶった。

 時に爽やかに、時に気障ったらしい薄笑いを浮かべていたその形相は一変、髪が逆立ち、目の周りをぐるぐると囲んだ黒いアイメイク、細身のネクタイはスタッズまみれのチョーカーに変わり、耳と唇にはピアスが連なっていた。


 ギターを振り回しながら、ジョーはモゴモゴとまとまりつつある塊に突っ込んでいった。


「俺のぉ!! ジャケットがぁぁあ!!」


 鬼の形相で何度も殴りつける。その度に、飛び散った黒いシミが全身にへばり付く。


「靴がぁぁぁ!!! 台無しじゃねえかぁぁ!!!」


 雷や機関銃を思わせるドラム、地鳴りの様なベース、神経を掻き毟るギター。なぜか銅鑼のような音も鳴っている。今や耳ををつんざくほどの大音量で、音の暴力と言いたくなるような曲が響く。ミルカは思わず両手で耳を塞いだ。



「オラアアア!! このクソがぁぁぁぁっ!! 死にさらせぇぇぁ!!」


 ジョーが振り回すギターは、もはや形をとどめていなかった。ボディはバキバキに割れ、無残に折れたネックと1本の弦で漸く繋がっている有様だ。



 もはや全身ドロドロになったジョーが、飛び散りまくった黒い塊を見下ろし、肩で荒く息を吐いた。

 しばらくそうして息を整え、ギターの残骸を遠くへ放り捨てると、一同を振り返り、言った。


「……ギターは、壊すモンだから」



(違うと思う)


 誰もが心の中でそう思った。小林でさえも。だが、口に出して反論するものは居なかった。



 気を取り直す様に、マリンが咳払いをする。


「では、今度こそ。ジョーがだいぶやってくれたから、もう大丈夫だとは思うけれど。油断しないで」



 小林が顔を上げ、唇を噛んだ。


 すると、地面に散らばっていた黒い残骸はすぅっと消え、その代わりに小林に相対する様に新たな影が現れた。

 影はみるみる形を結び、やがて小林文代本人そっくりな姿に変わった。



「あらま、これは新展開」

 タッキーが思わず呟く。



 小林の影が、口を開いた。


『無駄だよ』


 その声は優しく、まるで噛んで含めるみたいな口調だ。


『そんなことしたって、どうせ何も変わらない』



 本体の小林が、俯いた。唇をさらにきつくかみ締め、拳を握る。


『本当はわかってるんでしょ? 無駄だって』



 小林が軽くよろめき、小さく一歩退いた。


『私が我慢してればいいの。今までどおりに』



 肩が震え、鼻を啜りあげる。ふらりともう一歩、後退る。



 その時、ジョーの苛立った声が割って入った。


「おい、逃げんのかよ」


 ツンツンと逆立った髪の下で顔をしかめ、小林を睨みつけている。

 背を丸めガニ股で近づき、骨ばった手で小林の肩を握りしめた。


「ジョー、やめなさい」

 もっちが嗜めるのを無視して、言葉を継ぐ。


「ここでしっぽ巻いて逃げても別にいいけどさぁ、結局自分からは逃げらんねえんだぞ?」



「……わかってます」


『そうだよ。わかってるのよ。でも、仕方ないじゃない』


 小林の分身が、声を重ねる。



「手を……離して、ください」


 チッ、と舌を鳴らし、ジョーが手を退いた。地面を蹴り飛ばす様な仕草で数歩離れ、腕組みをしそっぽを向く。豹変したジョーは、実にガラが悪かった。



 だが、彼の予想を裏切り、小林は大きく一歩進み出た。


「私は、闘う」


 マリンが寄り添い、弓を差し出した。小林はマリンを見つめ、首を振った。


 もっちが大槌を、クウヤが手裏剣とクナイを差し出す。タッキーは鍼の束を差し出し、「使う?」という様に小首を傾げた。



 ほんの一瞬、迷った様子を見せたが、小林はやはり首を振った。そのままつかつかと歩み寄ると、腕を振り上げた。


 パンッ! と自分の分身の頬を張る。


「仕方なく、ない!」


 叫ぶ小林に、すぐさま張り手が返ってくる。


 ……バシッ!


 自分が見舞ったのよりも強めのビンタにも怯むことなく、また殴り返す。


 パァン!!

「もう我慢なんてしない!」


 ……バッシーン!


 あまりの衝撃によろめくも、小林は足を踏ん張って持ち堪えた。



「……いいねえ」

 さっきまでそっぽを向いていたジョーが、ニヤリと笑う。



「誰かの言いなりになんてならない!」

 バシっ!

 ……ビターン!


「無能な上司にも、頼らない!」

「誰も助けてくれないなら、あたしが、あたしを助ける!」

「悔しかったら、あたしと同じ資格、取ってみろ!」

「……あいつらが馬鹿なのは、あたしのせいじゃ、なぁい!」


 言葉を区切るたびに、一発ずつ。互いに殴り合いながら、小林は大声で叫んでいた。


 ジョーがまた、ニヤリと笑う。

「言うじゃねぇか。お嬢さん」



「あたしを馬鹿にしながら頼ってくる同僚も、仕事押し付けるお局も、見て見ぬ振りの上司も、みんな大っ嫌い!! でもっ」


 互いに頬を真っ赤に腫れあがらせ、それでも退かない。



「あたしは、言い返せない自分が、一番嫌い!」


 荒く息を吐き、口の端から流れ出る血を拭う。その手もまた、赤く腫れていた。



「何言われてもヘラヘラ笑ってるあたしが、大っ嫌い!!」


 特大のビンタが決まり、分身が吹っ飛んだ。小林は声の限りに叫んだ。



「弱虫のあたしなんか、消えちゃえ!!」



 分身がゆらりと立ち上がる。


「消えろおおおおお!!!」


 叫びながら突きつけた指の先で、分身がフッと笑った。



『………やれば出来んじゃん』


 分身は、優しい微笑みを浮かべ、消えた。




 軽やかなファンファーレが鳴り響く。心の浮き立つ様なマーチが奏でられ始めた。



 小林は力を失い、へなへなと地面に座り込んだ。その傍らに、マリンが厳かに跪く。


「よく闘いました」


 その言葉に、小林の腫れた頬を涙が流れた。


「自分自身と闘い、それを倒すことは、恐ろしい。とても勇気の要ることです。あなたは立派にやってのけた。私はあなたを誇りに思う」


 マリンが立ち上がる。鎧が上品な金属音を立て、彼女の愛馬が小さく嘶いた。


「さあ、お立ちなさい。自分の力でもう一度、立ち上がりなさい」


 ギクシャクとした動きで、小林がなんとか立ち上がる。そして、手や膝に付いた塵を払った。

 マリンは愛馬に歩み寄り、そのたてがみをひと撫でした。するとその指先には、一輪の小さなバラの花が現れた。



「これを」


「……私に?」

 マリンから差し出された一輪の白薔薇を、小林が両手でおしいただく。


「その薔薇の名前は、アルテミス。この子と同じ名前です」

 小さく首を振り、彼女の愛馬を示した。


「高潔で勇壮な、女神の名でもあります」


「マリンさま……」

 うっとりとマリンを見つめ、小林は手の中の小さな花を胸に抱きしめた。


「この夢から覚めれば、花は消えてしまう。でも、忘れないで。先ほどのあなたはとても気高く、その名に相応しかった」


 はらはらと涙を流し、小林はマリンの胸へ飛び込んだ。


「忘れません。アクアマリンさま。私、このことは一生、忘れません」



 ジョーがタッキーと目を見交わし、フッと気障に微笑んだ。音楽がロマンティックな旋律に変わる。


 小林の髪を優しく撫でていたマリンが、手を止めた。


「そろそろ時間です。戻らなくては」




 もっちが見えない布を大きく広げた。名残惜しげな小林に、思い思いに別れの挨拶をする。クウヤは親指を立て、タッキーはピースサイン。もっちは大きな手を胸の前でひらひら、そしてマリンは美しい一礼を。ミルカは小さな手をブンブン振った。


「アンタなら、大丈夫だよ」


 まだガラの悪いままのジョーの言葉に、小林は笑顔で頷いた。



 それが最後の合図だったかのように、6人の姿がかき消えた。




「……消えちゃった。ほんとに、夢みたいに」


 自分の言葉に、小林は少し微笑んだ。


「……って、夢か。素敵な、いい、夢だった」



 両手でまだ赤みの残る頬をさすり、頷いた。


「私も……戻ろう」





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