第4章

ムーグゥ 夜空の部屋と宇宙船

 深い藍色に彩られた室内は、まるで夜空に浮かんでいる様な錯覚に陥りそうだ。壁面のニッチにぽつぽつと並べられたクリスタルの小さな置物は、更なる夜空感を演出しているのだろうか、星の様にキラキラと輝いている。


 そんな部屋の中央。紺鼠色の革のソファに、塵一つ無いガラスのローテーブルを囲み、今回共に戦うメンバーが座っていた。



 桃香と蒼一の対面に座る、背の低い華奢な女性が口を開いた。先ほどの自己紹介で、「もっち」というあだ名だった人だ。細いヘアバンドで前髪を上げ、艶のある柔らかなウェーブの髪が顔の周りをふわりと飾る。この中で唯一、左手の薬指に指輪をしている。


「でね。戦う、と言っても、今回あなたは見学だけです。実際の戦闘は私たち5人がやるから、そうちゃんはそこがどんな世界かを見ていてね。多分、あなたの眠りの森とは全く様子が違うと思うの」


「はい」と、蒼一は小さな声で頷いた。小さなその手は、隣に座る桃香のブラウスの裾を無意識のうちに掴んでいた。


 「ジョー」と呼ばれている若い男性が、もっさりした前髪に半ば隠れたメガネを骨ばった指先でクイと上げながら、話を引き取る。塵ひとつ無く磨かれたメガネが、キラリと光った。


「僕らが戦うのは、患者さんのストレスが形になったものなんだ。ストレスって、わかるかな? 嫌な気持ちとか、思い出とか、そういうもの。現実で受けた嫌なものがね、患者さんの夢の中にお化けになって出てくる。それを倒してあげるのが、僕たち。わかる?」



「だいたい、わかると思う」


 蒼一が頷くと、静かな声で話し始めたのは「マリン」さんだ。まっすぐな長い髪を後ろでひとつにまとめ、薄化粧で落ち着いた印象の若い女性。斜めに閉じた膝の上に両手を揃え、背筋を伸ばして座りながら、蒼一を安心させる様に穏やかに微笑んでいる。


「患者さんはね、私たちがお化けを倒したのを見て、元気になるの」


「でも……」

 マリンさんの微笑に励まされたのか、蒼一はおずおずと口を開いた。


「夢の中のお化けを倒したって、現実は変わらないと思う」


 おお、と大きく頷いて腕を組んだのは、「タッキー」と名乗った男性だ。身長はさほど無さそうだが、肩幅が広く腕も太い。おまけに激しい柄のTシャツを着ているので、少し怖く見える。だがその風体に似合わず、優しい目をしている。


「君は賢いなぁ。確かにその通りだ。でもな、何度も繰り返してその光景を見ることで、患者さんは勇気を持てるようになるんだ。あのお化けは、倒せるんだーってな」


 そうそう、と同意を示したのは、「クウヤ」。中肉中背で、一重の涼しげな目がとても印象的な青年だ。両手を膝の下に差し入れると、いかにも楽しげに上半身を前後に揺らし始める。蒼一を覗き込むように笑いかけると、大きな目がいたずらっぽくキラッと光った。


「だから、俺らの本当の仕事は……お化け退治そのものというより、患者さんを元気にすることってわけ。ほら、戦隊モノとかヒーローが活躍するとことか見ると、自分も強くなった気分になるだろ?」



「えっと、たたかう勇気?」


 蒼一が小首を傾げてそう問うと、一同は揃って明るい笑顔になった。


「そうそう」「そういうこと!」


 中には拍手している者もいる。



 最初に話した「もっち」が、ポンと手を叩いて注目を集めた。


「じゃあ、今からみんなでお化けを倒して、患者さんに闘う勇気を、現実に立ち向かう気力を、あげましょう。そういうわけで、これから入眠します。片平さん、長くても制限時間の90分以内に戻りますから」


 桃香は頷いて軽く頭を下げた。

「よろしくお願いします」


 皆が一斉に立ち上がり、隣の部屋に通じる扉へ向かう。


「よーし、やるかぁ」

「今回で終わるかなぁ」

「まだ無理じゃない?」

「5人揃うの、久々じゃん? 俺、新しい口上考えてきたから」

「え、楽しみですね」


 皆が軽口を交わしながら次々に扉を抜けていく中、もっちは最後まで残り、蒼一に手を差し伸べた。


「じゃ、行こう。痛いこととか後遺症は無いから、安心して。ただし、夢の中ではみんな変身するから、ちょっとびっくりするかもね」


 蒼一はもっちと手を繋ぎ、隣の部屋へ入って行った。扉が閉まる寸前、蒼一は振り返り、少しこわばった表情ながらも桃香に小さく手を振った。





 ……ヘンシン? って、変身?


 妙な言葉に引っ掛かりつつ、桃香は一人、部屋に残された。彼らの「闘い」が終わるまで、何をするでもなくここで待つのだろうか……と思いながら動かぬ扉を見つめていると、扉の横にあったフィックス窓のカーテンがサッと開いた。


 窓の向こうから、マリンが「安心して」というように微笑み小さく頷くと、並べられたカプセルの一つへと戻っていく。


 桃香のいる部屋とは一転、カプセルが並んだその部屋は白一色。カプセル自体も、下半分は真っ白で、蓋はグレーがかった透明。まるで宇宙船の中みたいだ。彼らの纏う色とりどりの衣服が、無彩色の空間に漂うように揺れる。その様が一層非現実感を募らせる。



(ここから見てて、いいの……?)


 そろりと窓に近づく桃香に向かって、各々手を振ったりピースサインを掲げたり親指を立てたりと、リラックスした様子でカプセルに入る。蒼一は既にカプセルへ横たわり、もっちの手で透明な蓋が閉じられているところだ。

 もっちは最後にカプセルに入り、桃香に茶目っ気たっぷりな敬礼を捧げると蓋を閉めた。



 ピンポン、と可愛らしい電子音が聞こえ、機械的な声のアナウンスが始まる。


「15秒後に、脳内スクリーンにムーグゥの投影を開始します………投影、開始。共有率、10パーセント……30……70……100パーセント。ムーグゥは完全に共有されました。発現まで、5秒前。4、3、2、1……発現確認しました。モニター開始します。異常ありません」




 アナウンスを最後に、何も動きが無い。


 桃香は窓辺を離れ、ソファに戻った。スマホを始め電子機器は全て預けてあるので、手持ち無沙汰だ。とりあえず、バッグの中のペットボトルからお茶を一口飲み、固くキャップを締めた。



(本でも持ってくるべきだったかな)


 そんなことを思いながら部屋をぐるりと見回すと、先程桃香たちが入ってきた扉の横に、小さなラックを見つけた。部屋に入ってまっすぐにソファへ向かったので、さっきは気付かずに素通りしていたのだ。


 敷き詰められた藍色のカーペットを踏みしめて扉に近づき、ラックに立てかけてあるパンフレットを手に取る。表紙には、ほっそりとした銀髪の男性。まっすぐにこちらを見つめている。ページをめくろうとした時、扉が小さくノックされた。

 ほぼ耳元でのノックにビクッと体をすくませた桃香だったが、すぐに気を取り直し「はい」と扉を開ける。そこに立っていたのは、パンフレットの表紙の男性だった。



「初めまして。所長の塚田六郎です。本日はご足労いただきありがとうございます」


 深々と頭を下げる塚田に、桃香も慌てて挨拶を返す。


「あ、あの子はさっき向こうに……」

「ええ、部屋のモニターで確認していました。亀山から詳しく聞いています。延江、蒼一くん。で、いいんですね?」


 桃香が頷くと、塚田も微笑みながら頷いた。


「私はいつも、彼らの顔合わせの時には顔を出しません。部外者が居るより、ムーグゥを共有するメンバー達だけの方がリラックス出来ると思いまして……というのは表向きの理由で」


 塚田は白い歯を見せて微笑みを深くし、肩をすくめた。


「……彼らの自己紹介と説明、わりと長いでしょ?」


 思わず吹き出した桃香に、塚田は腕を開き促した。


「彼らは楽しんでこの仕事をしてくれているせいか、ついおしゃべりに力が入ってしまうみたいでね。毎回付き合ってると、飽きちゃうんですよ。さ、こちらへどうぞ」



 優しいタッチの絵が等間隔に掛けられている廊下を、並んで歩き出す。廊下には鈍い光沢のある不思議な感触の材質が貼られ、足音を吸収する。フロアはとても静かで、人の気配を感じない。


「私のオフィスで、彼らをスカウトした際の映像をご覧にいれましょう。これがなかなか面白いんですよ。それから彼らの仕事ぶりと、私の家族を紹介させてください」

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