4-12.黒に染まる世界

「ヤバイ!」

 トカゲ人の女性とオルフェウスの遺体を、瞬く間に喰らい尽くした黒いスライム。こいつが、こちらにまでその体を伸ばしてきた。

 とっさに俺は迷宮の入り口に転移し、周囲の岩盤に埋まり込むようにゲートを出して封鎖した。そして、迷宮の底へ退避し、マオをアイテムボックスから出した。


「タクヤ、いったい何が?」

「なんだか分らんが、あの女が真っ黒なスライムみたいなのを壺から出したんだ。彼女とオルフェウスの遺体が一瞬で食いつくされた」

 それだけで、マオには何かわかったらしい。魔王の書斎へと走り、一冊の書物を持ってきた。

「やっぱり。ゼノビアは、これを知っていたのでしょう。机の上に出しっぱなしでした」

 ゼノビアというのが、あの女性の名前なのか。


「で、何なんだ、あれは」

「この書物では、『全てを喰らうもの』と呼ばれています。古代魔法文明を滅ぼした魔物です」

 そこに記されていた物語は、まさしく「肝が冷える」としか言いようが無い代物だった。


「じゃあ、何か? この北の大陸が、暗黒大陸みたいな死の大陸になると?」

「はい……おそらく、一週間足らずで」

 冗談じゃない。

 しかし、その記録が正しければ、ヤツは命あるものしか喰らうことができない。分厚い岩盤で地上と隔てられたここは、ある意味、一番安全かもしれない。


 俺は、遠話V2で全軍に警告した。

『魔王は倒した。皇帝も無事だ。しかし、最後に魔王は恐るべき災厄を、この地に解き放った』

 遠隔視V2で、正規軍の指揮官や冒険者のリーダーに、大地を急速に覆っていく黒い染みを見せた。

『コイツは貪欲だ。お前たちを同化する。反撃は無意味だ』

 遠話V2で叫ぶ。

『逃げろ! 一刻も早く!』

 何とか逃げ切ってくれ。


 そこへ、古竜からの念話が。

『タクヤ。済まぬが、わしらも引かせてもらう。若いのがひとり、この黒いのに飲まれた』

 まさか……エルマーが?

『いや、おぬしが騎乗していた者とは別じゃ』

 そうか。その竜は気の毒だが、エルマーじゃなくて良かった。


『しかし、竜のブレスでもこの黒いのは死なないのか?』

『焼いたところは消えるが、あっという間に回復しよる。全体を一気に焼くのは、既に無理じゃ』

 そうか。そうなると、通常のスライムとも違うわけだ。


 普通の奴は魔核が一つだから、それを失えば全体が死ぬ。キウイの魔力感知で黒い奴の魔核を探ると、全体にまんべんなく散らばってるのが見て取れた。一部がやられても、残りの魔核が再生させるのだろう。

 むしろ、多核単細胞の粘菌に近い。

 これじゃ仕方ないな。


 俺は古竜に伝えた。

『ありがとう、わかったよ。この黒いヤツは、俺たちで何とかする』

『うむ、よろしく頼むぞ。こ奴を放置すれば、竜の谷も飲まれるじゃろうからの』

 確かにそうだ。下手をすれば北の大陸全体がヤバイ。マオが言う通り、暗黒大陸の再現だ。


 ではどうするか。

 既に平原一帯に広がっているこいつを、一気に焼き払うには。


「……魔核爆弾しかないな」


 ペイジントンを滅ぼした魔核兵器。あれは双子の魔族の魔核だろう。クロードに惨敗したほどだから、大したサイズじゃないはずだ。


 マオが反論した。

「しかし、タクヤ。手元にはそんな双子の魔核なんて……」

 だが、答えはもう出てる。

「割れば、いいと思うよ」

 マオは言葉を失った。

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、てのはこんな顔だな。


「これを使うのさ」

 クラーケンの魔核を取り出す。結局、最後まで売れなかったか。

 俺は魔王の書斎の方を指さした。

「マオは、魔核爆発の術式を探してくれ」

 すぐに見つかると良いんだが。キウイの時計は午前五時。夜明けまで二時間もない。


 俺は、遠話V2で全軍に通達した。

『夜明け前に、この黒い奴を焼き払う。みんな、出来るだけ遠くへ逃げてくれ』

 巻き込まれる奴が出ないことを祈ろう。


 俺は通勤カバンをアイテムボックスから出し、そこから巻き尺とサインペンを取り出した。それでゲート台の上に置いた魔核の、ちょうど真ん中に印をつけた。ゲート刃でその部分から割ると、二つの半球になってゴロンと転がった。断面が濃いワイン色だが、スイカみたいだ。


 次に、天秤を取り出した。

 半球になった魔核をいったんアイテムボックスにしまい、天秤の左右の皿に再び出す。僅かに片方が傾いていた。


「正確に半分の方がいいんだろうな」

 下になった魔核をゲート刃でほんの少し削って、もう片方に載せる。何度か調節すると、天秤は水平になった。

 その二つを、それぞれピッタリのサイズのアイテムボックスにしまうと、みんなから集めたありったけのエリクサーを上から注いだ。青い光に包まれて、二つの半球は二つの完全な球体になった。切り取った欠片も一緒に。


「ありましたよ、魔核爆発の術式!」

 タイミングよく、マオが紙束を抱えて飛び出してきた。

 魔王は整理魔だったらしい。全部の資料はタイトルのアルファベット順に並んでいたとか。いや、整理整頓はあのトカゲ人の女性かも。きっと、有能な秘書だったんだろう。


「よかった。じゃあ、早速こいつらに仕込んでくれ」

 マオが資料を見ながら呪文を唱えると、目の前の双子の魔核が赤い光に包まれ、やがて光は消えた。

 気のせいか、禍々しさが増したように見える。


「よし。じゃあ、汚物は消毒だ!」

 心の中でヒャッハーと叫びながら、双子の魔核を専用に用意したアイテムボックスにしまう。

 そして、遠話V2で全軍に通達した。

『これより、この黒い奴を焼き払う。全員、目を覆ってくれ。直接見たら、失明する』


 時計は午前六時半を回った。もう、東の空が明るくなっているので、人工太陽をしまう。その下の平原は、ほとんど黒い奴に多い尽くされていた。そして、さらに広がりつつある。

 俺は迷宮の最上層部の天上、分厚い岩盤の下に、ありったけのゲートの盾を出した。万が一、この迷宮が崩壊したら堪らない。


「いくぞ! 対ショック、対閃光防御!」

 遠隔視V2の目玉パネルを上空ギリギリに引き上げる。地上から二百キロほど。眼下に小さく、歪な黒い円形が見えた。

 その手前、高度二十キロあたりに、アイテムボックスのゲートを開き――


魔核爆発ディアピリナセクリキ!』


 遠隔視のパネルが真っ白になった。人工太陽の何万倍もの明るさだ。底面を開いたアイテムボックスの中で起きた爆発は、周囲の壁に反射されて、熱と光の全てを地上に降り注いだ。俺たちが見たのは、地上を撃った地獄の業火の反射光でしかない。

 そして、轟音。ゲート盾を回り込み、周囲の岩盤から伝わる音と振動が俺たちを襲った。


「うわ!」

 俺は地面に投げ出されたが、顔を床に撃ちつける前に空中停止した。

「……アリエル、ありがとう」

 魔法の手で、俺は床の上にそっと降ろされた。彼女の方は、膝をついたグインにお姫様抱っこだ。


「凄い衝撃……」

 屈みこんでたランシアが、呆然として呟いた。何だか、仲間になってから驚かせてばかりだな。その彼女は、ジンゴローをお姫様抱っこ。

 彼女の腰のあたりにしがみついてたトゥルトゥルが、画面を指さした。さすが、恐怖耐性MAXのケンダー。


「なんか……すごいことになってるよ……」

 遠隔視の画面には、ほぼ円形の巨大な雲が映っていた。あの黒い奴よりも大きい。


 俺は目玉パネルを地上からの眺めに切り替えた。この迷宮のある平原から、巨大なキノコ雲が立ち昇っていて、登りかけた朝日で大陸に長い影を落としていた。

 そして、その下の地上は真っ赤な溶岩に覆われている。ぐつぐつと煮え立つ、地獄の釜だ。しかし、天井に敷き詰めたゲート盾のおかげで、迷宮そのものは無事だ。入り口は蒸発してしまったようだが。

 と、その画面が揺らぎ、パネルごと消滅した。


『魔法対価が……百パーセントを越えました』

 キウイの間延びした念話。時刻は七時を回った。夜明けだな。

「マオ、遠隔視で迷宮の上を調べてくれ。溶岩や、あの黒い奴が流れ込んでないか」

「了解」

 マオは目を閉じた。しばらく沈黙した後、うなずいて目を開く。

「迷宮の天井は持ちこたえています。各階層を調べましたが、あの黒い『全てを喰らうもの』はどこにもいません」


 良かった。


 床に座り込んでた俺の身体が、ぐらりと傾いた。

『『パパ!?』』

 エレとロンの念話。

「大丈夫だよ。パパもキウイも、疲れただけだから……」

 目を閉じたら、そのまま意識が途切れた。


********


 目が覚めたら、ベッドの上だった。見回すと、岩壁に岩天井。迷宮の中ってことは。

「……これ、魔王のベッドか?」

 魔王の寝床に寝る勇者。すっごくシュールだ。


 俺の左右にはエレとロンが寝ていた。そして枕元にはキウイ。冷却ファンが回りっぱなしだから、対価の処理中なのだろう。目を閉じて画面を確認。処理の負荷はずっと百パーのまんまだ。充電の方も百パーだが。

 キウイの下には氷の入った革袋があった。マオが気を利かせてくれたんだろう。


 そして、バカみたいに広い魔王の寝室の隅で、他の仲間たちが寄り添うようにして寝ていた。

 キウイの時計は十九時を指している。半日も寝ちまったのか。……まぁ、徹夜明けだからな。


「タクヤ」

 戸口から呼びかけられた。

「マオか」

 その手にしているのは銀の球体。オルフェウスがチョーカーにしていた奴だ。

 マオがこれを持ってると、嫌な記憶がよみがえる。


「クロードはどうした?」

 微笑みが返ってきた。

「別室で休んでます」

 なら、いい。今更、マオが裏切る理由などないからな。

「今、起きられますか? タクヤ」

 どうだろう。そもそも、体力の方はそんなに使ってないし。

「大丈夫だと思う」

 エレとロンを起こさないように、ごそごそとベッドを降りた。


 マオに続いて、みんなといた大広間に戻る。

「この魔核のことが気になって、調べてたんです」

 慎重に球体を開く。台座に収まった深紅の魔核が、広間の明かりに輝く。

「オルフェウスは、この魔核を使うたびに魔物に与え、魔物の魔核と魔素をこれに吸収させてました。対価で減った分を補充させるために」

 なるほど。あれにはそう言った意味があったのか。


「じゃあ、お前がそれに触れたら?」

「私も即死ですね。例外はオルフェウス。彼だけは、この魔核から弾かれてしまうと言ってました」

「特別な保護の呪文でも?」

 マオはかぶりを振った。

「呪文と言うより、もっと根源的ですね。この魔核の持ち主は、オルフェウスのことがよほど大切だったようです」


 ……てことは。


「それは、勇者の?」

 そうならば、理屈が通る。

 マオはうなずくと、呪文を唱えた。

宝物庫サブロスィキ

 目の前にゲートが開いた。それを水平にし、マオはひとつを開いた。


「これは……」

 氷漬けの少年の遺体。死んでいるのは明らかだ。首が断ち切られている。しかし、その黒髪の死に顔は穏やかだ。やはり、こいつも日本人か。

「これが勇者だと思われます。そして、もう一つ」

 再度、呪文を唱えると、少年……勇者の隣にゲートが開かれた。

 こちらは少女の遺体。やはり氷漬けだ。簡素な革の鎧を着ているが、魔物の爪だろうか、バッサリと袈裟懸けにやられている。

「この娘は?」

「わりません。しかし、二人とも、オルフェウスにとって大切な人だったのでしょう」

 確かにそうだ。何十年か何百年か知らないが、ずっと抱えていたのだから。


 多分、少女が先に死んで、少年が埋葬できずにいたんだろう。もしかしたら、エリクサーで復活させたかったのかもしれない。しかし、志半ばで自分も倒されてしまったのか。

 おそらく、何度も繰り返された悲劇だ。


「エリクサー、今あるか?」

 手持ちのは、魔核爆弾の製造に全部使ってしまった。

「ありますが、使うのですか?」

「あるんだから、使うんだよ」

 理屈なんてどうでもいい。俺はこの少年と話がしたかった。


「この勇者、魔核を他に持ってるかな?」

 ミリアムのように魔族変化へんげしたら大変だ。

「……持っていませんね。魔素の方も、長年のうちに流れだして薄まってます」

 ならいいだろう。


 俺はマオに魔法で氷を除去してもらった。そして、首の切断面をしっかり合わせると、エリクサーを注いだ。首の傷と、魔核を取り出したらしい後頭部の傷が、たちまち塞がる。そして、残りの青い液体を口から飲ませる。

 突然、少年がむせた。何度か咳き込み、目を開く。瞳は黒かった。金色じゃない。


「ここは……ルフィは?」

 オルフェウスの呼び名なのか。海賊王の方じゃないようだ。言葉は南の方の訛りだな。

「魔王なら倒した」

 少年が俺の方を見た。

「魔王……ルフィを?」

 俺はうなずいた。

「そうか……ルフィが魔王に。そして、死んだのか」

 少年は額に手をやった。

「魔核が……ない?」

「ここにある。多分、オルフェウスが取り出したんだろう」

 銀色の球体を開いて見せる。

「そうか……」


 と、少年の目が見開かれた。

「オレが生き返ったってことは……エリクサーか? エリクサーがあるのか?」

 見開かれた目に涙が浮かぶ。

「お願いだ。まだあるのなら、オレにくれ。どうしても彼女を、アイリを!」

 エリクサーがそう呼ばれるようになったきっかけ、南の悲劇の勇者。どうやらこの少年がそうだったらしい。


 俺は寝室の方を振り返った。仲間たちが起き出して、こっちを伺ってる。

「みんな、紹介しよう。昔、魔人になる前のオルフェウスと一緒に戦っていた勇者だ」

 おっと。大事なことを聞いてなかった。

「君の名前は? 俺はタクヤ」

 少年は俺の目を見て答えた。

「ムサシだ」

 ……まさか、苗字は宮本、とか言わないよな?

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