3-20.魔王遊戯

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今回、ミリアム視点です。

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 毎日のように奇襲を受けている。

 あの雪狼の群れも何度か襲ってきた。それ以外にも雪熊や雪猿など氷属性の魔物が群れをなして。ただ、幸いに、と言っていいのか、長い隊列の前や後の一部を襲うだけなのと、魔法兵で習得率の高い火魔法が有効なので、なんとか少ない被害で撃退できている。

 それでも、いつ襲撃を受けるか分からないと言うのは精神的な負荷が高い。派遣軍全体に緊張と疲れが広がっている。


「今回もお嬢の大技で助かったな」

 パトリックがねぎらってくれた。

 一度に数体の氷巨人を火炎旋風フロガアネモストロヴィロで倒せたので、敵の強大さに比べて人的被害も対価の詰み上がりも少なかった。


「この雪の中なら、山火事を心配しなくてすむわ」

 彼が言外に私の対価を案じてくれているのを、意図的に無視して答える。

 対価はない。私の中で魔核が成長するだけ。対価を処理した分、魔核を構成する魔素は不活性化して剥がれおち、魔核は縮小する。しかし、処理が終われば体内の魔素を吸収してそれまでより大きくなる。

 筋肉を使えば一旦は疲弊するが、回復すればより太く強くなるのと一緒だ。だから、連続して使い続けない限り、魔核が消滅する事はない。

 火炎旋風なんて、以前なら一回で対価がギリギリまで達してしまったのに、今はおそらく何発でも打てる。ヒトと魔人の違いね。


「それに、どうやったらあんなに奇襲を見抜けるんだ? こっちの方が不思議だ」

「……旅をしていて、なんとなく魔物の気配がわかるようになったみたい」

 実際には、マオやキウイの魔力探知ないし危険探知の能力のようだ。敵の来る方向と強さがなんとなくわかる。髪の毛というか脳がまさぐられるような不快な感触。


「なんにせよ、頼りにしてるぜ、お嬢」

 やや、弱気に見えるパトリックが、少し心配だ。彼が得意とする風魔法は、氷属性の魔物には効果が薄い。ゲリ・フレキのような火魔法に耐性がある魔物にはよく効くが、この行軍では土地柄もあって氷属性がほとんどだ。

 それでも、古参の副長として彼は部下たちをよくまとめてくれる。部下たちも、パトリックの事を信頼しているのもわかる。


 行軍は厳しいが、私たちはうまくやっている。そう思うと同時に、タクヤがよくいっていた「フラグを立てる」という表現を思い出す。由来は良くわからないが、油断していると悪い事が起こる、と言う意味らしい。


 それならまさに、私はフラグを立ててしまっていたに違いない。


********


 お爺様の事もあって、いつ魔王本人が奇襲してくるかと懸念していた。

 オルフェウスと名乗るあの魔王は、タクヤと同じ空間魔法を操る。全てを一刀両断とする銀色のゲート刃を止めるには、相当の強固な魔法結界が必要なはず。

 部下たちの結界ではひとたまりもないし、私の魔力の鎧も何度も耐えられない。あれほど強力なクロードの闘気の鎧でも、何度も斬りつけられれば対価が限界を超えてしまうはず。


 しかし、エルトリウスの王都が目前となった今までの間、魔王本人は現れなかった。

 魔王の軍勢はオレゴリアス公国の全土で跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、町や村を襲っている。でも、魔王はどこかに潜んでいるのか、全く気配が無かった。


 私たちの行軍も、たび重なる奇襲で疲れてはいても、大きな被害を出す事なく、すでに行程の半分以上をこなしていた。

 エルトリウスの王都でこの国の派遣軍と合流すれば、派遣軍の規模は二万人を超える。何よりも心強いのは、この国には闘気をまとえる達人の騎士が三人もいる事だ。彼らの存在によって、魔王の軍勢はオレゴリアスに封じ込められているとも言われているほどだ。

 クロードを加えれば四人。非常に心強い。


「ミリアム様! 王都が見えます!」

 疲れを見せぬジャニスの元気な声が響く。

 目を凝らすと、雪煙りにかすむ雪原の彼方に、夕陽に染まった城壁が見えた。もう、十キロヴィ七キロメートルほどしかない。

 あと一刻も歩けば、王城の庭で野営できる。

 行軍中は天幕も張れず、防水の魔法をかけた毛布に包まって寝るしかなかった。朝目覚めると雪に埋もれてたりする。それに比べたら、除雪された石畳の冷たさなど気にならない。


「今夜は、暖かい食事がとれますね」

 ジャニスはよほどうれしいのだろう。

 そう、王都にいる二、三日だけは、冷たい糧食をこっそり火魔法で温めなくてもよいのだ。そんなことで余分な対価を積むのは規則違反だが、流石に厳格なパトリックも大目に見ていた。


「そうね、楽しみね」

 ジャニスの笑顔を見ていると、私も微笑んでしまう。彼女はうちの分隊のみんなに好かれている。だが決して単なるマスコットではなく、魔法結界を担当する戦力の要でもある。

 一緒に結界を張るテッドとの連携もうまくいっている。二人がお互いを憎からず思っているのは分隊の公然の秘密で、皆、優しく見守っている。


 そう、私の分隊はうまくいっていた。行軍の辛さが気にならないほどに。


 その日、陽が落ちる前に私たちは王都に到着し、近衛兵団は王城とその周囲に宿営した。

 王城の庭はきれいに除雪されており、私たちが火魔法を使うまでもなかった。すぐに天幕が張られ、煮炊きが始まった。騎士たちの手脚を温める役割も、王国軍の魔法兵や従軍していない魔術師が代行してくれた。ありがたいことだ。

 それでも、食事の後は気を入れ直して当直に立った。ペイジントンでの事がある。この王都を焼け野原にさせるわけにはいかない。


「お嬢、まずは指揮官が休まねぇと」

「対価はほとんど溜まってないわ。あなたの方が多いでしょ。休みなさい、命令よ」

 パトリックは火魔法が比較的不得意だから、同じだけ使っても対価の量が多めになる。対価が増えれば頭が鈍り、的確な判断ができなくなる。彼の助言はいつも頼りにしているからこそ、休ませたい。

 彼は渋々とだが、指示に従ってくれた。


 北国の冬は夜が早い。

 西の空に低く、三日月がかかっていた。陽が沈めば、あっという間に暗くなる。逆に、夏は真夜中でも空が暗くならず、薄暮のまま朝を迎えると聞く。どうせなら、そんな季節に行軍したい。

 わざわざ冬を選んで攻め込んで来た魔王の狙いも、そこにあるのだろう。


「ミリアム様、あの、ちょっとお聞きしてよいですか?」

 今夜の当直はジャニスと一緒だった。おずおずと聞いてきた内容は、なんとなく予想できた。

「なにかしら」

「あの……ミリアム様はやはり、勇者様と……恋仲でした?」

 こういうまっすぐな質問、タクヤは何と言ってたかしら。直球勝負?

「……タクヤは、好きだって言ってくれたわ。多分、初めて会ったときからそうだったみたい。でも、私は、その気持ちを受け止められなかったの」

「どうして……」

 そう、どうしてなんだろう。


「私は……魔法の研究や修練ばかりで、それまで男性と付き合った事なんてなかったの。でも、もう一度会えたなら……」


 会えたなら、どうなのだろう?


 私は魔人だ。いずれ、魔核に支配されてしまう。そうなれば、私はタクヤに殺されなければならない。タクヤを、そんな辛い目に合わせるわけにはいかない。


「無駄口はここまで。当直中よ」

「……はい」

 ジャニスは聞きわけがよかった。


 ……帝都をでる前に、パトリックに「死に急ぐな」と言われた。「一緒に生きて帰ろう」と答えた。でも、今は違う。


 みんなが生き残るためなら、私は死ぬべきだ。

 それ以外にない。


********


 当直が終わる寸前だった。前髪をまさぐられるような感覚。


「敵襲! 南から来るわ!」

 物凄い威圧感。脳の奥にあるはずの魔核が熱い。


 これは……魔族? いえ、もしや、魔王?


 行軍中、何度も奇襲を予見したので、皆、疑問も持たずに動いてくれた。


「分隊長、敵の数は?」

 部下の前なので、パトリックの口調も硬い。

「多分、一体。街の大通りを、こちらに向かっている」

 周囲の建物も人も無視して、ひたすらここを目指している。おそらく、狙いはクロードただ一人。皇帝を倒してしまえば、この戦いは魔王の勝ちなのだから。


 そこへ、城の中から四人の鎧姿が躍り出る。

「勇者ルテラリウスの末裔、ここにあり! 三剣士よ、余に続け!」

「御意!」

 クロードを先頭に、闘気をまとった三人が城門へと走る。開門を待つ事もなく、城壁を飛び越えて行った。


「我らも続け!」

 近衛兵団の隊長の号令で、騎士団がようやく開いた城門から走り出る。

「私たちも!」

 部下に呼びかける。魔法兵たちも口々に呪文を唱えながら走りだす。


 門の外では、すでに戦闘が始まっていた。

 あの緑とオレンジの斑の巨体。間違いなく、魔王オルフェウス。その周りを取り巻く騎士団。そして――


「風神乱舞!」

 まるで分身の魔術でも使っているかのように、全方位から闘気の刃で斬撃を加えるクロード。そして、連携して斬りつけ、打撃を加える三剣士。


 しかし、魔王は意に介する事もなく、平然と腕組みをして立っていた。


「何なんだ、ありゃあ!?」

 あまりの事に、パトリックが声を上げる。

 部下たちは結界を張り終え、さらに重ねがけしながらも、目は魔王に釘づけだった。


 私は騎士たち全員に保護魔法をかけ終わると、大声を張り上げた。


「陛下! 三剣士様! 一度下がって!」

 クロードが下がり、三剣士も続いた。


大火球メガロフィオバーラ!」

 すかさず放った大火球が炸裂すると、魔王の体が銀色の皮膜で覆われたのが見て取れた。


「あれは……」

 唖然とするパトリックに答える。

「空間魔法の亜空間鎧。思った通りだわ」


 何度も小隊会議で訴えたのに。同じ分隊長のエリオットも支持してくれたのに。何の対策も取られていなかった。


「陛下や剣士らの斬撃の合間を縫って、攻撃を続けて! 魔核を少しでもすり減らしてやりましょう!」

 呪文を唱え終わっても、最後の術名を唱えるまで魔術の発動は抑えられる。いわゆる「溜め」だ。これを使って、部下たちはタイミングを見計らって同じ術を同時に放つ。

 陛下の斬撃には遠く及ばないが、多少なりとも効果はあるはずだ。

 分隊長の権限で、部下たちを訓練した成果だ。


 その時、魔王の声が響き渡った。

「ふむ。魔神に逆らう不埒な奴はお前か」

 ぞくっとした。

「小賢しい真似を。死ね」

 魔法陣と共に銀色の刃が生じ、私をめがけて突っ込んで来る。


 死ぬ? 私が? 死ねるの?


 一瞬のためらい。それが命取りだった。

「お嬢!」

 横から突き飛ばされた。傍らを銀色の刃が通り抜け――

「パトリック!」

 彼の胴を斬り裂いた。

「副隊長!」

 部下たちからも悲鳴が上がる。


 彼は腕をついて、下半身の無くなった体を起こした。

「……だから言ったじゃねぇか。死に急ぐなって……」

 こんなになってまで、にやけた笑い。そのまま目の光は消え、くずおれた。

 その彼の体を抱きかかえ、私は叫んだ。

「目を開けなさい、パトリック! 命令よ!」

「無茶……言うなよ……お嬢」

 かすかな囁き声が、最期だった。血だまりの中、もう彼は動かない。


 そんな私を嘲るような、魔王の声。

「これはいい。人は身近な者の死に打撃を受けるもの。ならば」

 私は部下たちに向かって叫んだ。

「みんな逃げて! 総員、退却!」

 だめだ。足がすくんで動けずにいる。


 陛下と三剣士の斬劇も、降り注ぐ魔法攻撃も、部下たちの張った結界すら意に介さず、魔王は手を伸ばした。

 結界が光を発して破れ――


「ジャニス!」


 彼女の細い身体が、魔王の手に鷲掴みにされた。そのまま持ち上げられる。息もできないのか、声もあげずに彼女はもがいた。


「楽しみに待っているがいい」

 魔王の頭上にゲートが開き、転移で魔王は去った。


********


 翌朝、私は近衛騎士団長に呼び出された。


「このたびの戦闘、最小限の被害で魔王を撃退できたのは、陛下と三剣士の奮戦によるもの。しかしミリアム軍曹、そなたの機転と魔法によるところも少なくない」

 団長の言葉が空虚に響く。


 最小限の被害。

 パトリックが死に、ジャニスが連れ去られた。

 なのに、魔王を撃退?


 いい加減にして欲しい。奴は私たちを弄んだだけ。私たちは手玉に取られたのよ。

 背後を窺うと、小隊長のレイモンドが薄笑いを浮かべていた。部下の手柄は自分の手柄ということで、上官に報告したのね。


 ……勝手に出世でも何でもすればいいんだわ。


 なにやら褒美の話が出たらしいが、全く耳に入らなかった。ジャニスの事ばかりが気になる。パトリックの弔いもしなければ。

 それでも、宿営に戻ると体が言う事を効かない。寝床の上に倒れ伏してしまう。魔王の言う通り、身近な者の犠牲こそが辛い。


 そこへ、テッドが駆け込んで来た。表情が明るい。

「ミリアム様! ジャニスが、帰ってきました!」

 がばっと体を起こす。ジャニスが?


 天幕を飛び出すと、彼女は部下の一人の少女に抱きかかえられたまま、うずくまっていた。

「ジャニス!」

 駆け寄り、抱き寄せる。怪我はないようだが、彼女の顔は恐怖に怯えていた。

「私……何かを口から入れられて……吐きだそうとしても、つかえてでてこなくて……」

「なに? なにを入れられたの?」

「……丸いもの。ふたつ。……小鳥の卵くらいの」


 私の中で膨れ上がるどす黒い不安は、みんなには伝わらず、気がつけば周りに寄ってきていた。

「私……私、どうなっちゃうんですか?」

 エルベランのパレードが脳裏に浮かんだ。まさか……そんな……。

「一人で死なせはしないわ」

 彼女の耳元で囁き、しっかりと彼女を抱きかかえた。右の頬を、その泣きぬれた頬に押し当てて叫ぶ。


「みんな、離れて!」

 とっさに風魔法で弾き飛ばせたのは、正面にいたテッドだけだった。


 次の瞬間、腕の中の彼女の体が弾けた。

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