3-15.皇帝の剣

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今回、ミリアム視点です。

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 その日のペイジントンは、また大雪となった。

 雪に覆われれば騎士の動きが封じられるから、魔法兵が火魔法などで除雪することになる。降り終わって積もってからでは対価も大きくなるから、こまめに交替で行う。

 そのため、夕方には誰もが対価の許容量が残り半分以下に減っていたはず。それでも、ぐっすり寝れば夜半には処理しきれる量だ。

 だから、お互いに「今日は疲れたね」と言いつつ、夕食の準備をしていた。


「お嬢」

 例によって、パトリックが苦言を呈しに来た。

「指揮官のあんたまで、除雪に加わる必要はないんだぞ」


 そんな私も、軍に来て学んだことがある。

「パトリック伍長。あなたにとっての私はなに?」

「……上官であります、ミリアム軍曹」

 そして、苦虫を噛み潰したような彼の表情。


 階級を笠に着て、部下の進言をねじ伏す。

 吐き気がするほどのいやらしい行為だ。でも、どんなに真摯な思いからだろうと、譲れないことがある。


 敵襲があった時、部下たちだけに対価が積み上がってたらどうなるか。部下たちが真っ先に過剰対価オーバードーズとなり、私は部下を見捨てて退却することになる。

 そんなことは、絶対にできない。したくない。

 全員で生き残る。そうでなければ、最後までみんなと生きる。それだけが、私の望みだから。


 夕食後。三交替で当直に立つ。最初は私。パトリックは最後。もし仮に奇襲があるなら、早い時間か明け方だろうとの予想だった。


 それが、外れた。


********


「お勤め、ご苦労様です」

 入れ替わりに当直に立つジャニスにねぎらわれて、私は自分たちの天幕に入った。取れる時に、しっかり休みを取るのも、兵士たる者の務め。すぐに毛布にくるまって横になる。

 しかし、すぐさまジャニスに起こされた。


「ミリアム分隊長! 敵襲です!」

 飛び起きる。


「パトリック副長は?」

「今、男子が起こしに」

 いけない。正副両方の隊長の不在を突かれた。


「敵部隊の規模は?」

「……二体です」

 二体……ということは。

「魔族なの?」

 ジャニスが泣き顔でうなずいた。


 魔族が二体。

 初陣のタクヤがなんとか一体倒せた魔族が。

 傍らの長杖とフード付きマントを掴んで、天幕の外へ飛び出す。

 既に雪は降り止み、外は満天の星と満月。太守の門前からの大通りは、街の正門の手前で炎にかき消されていた。その炎の中に浮かび上がる、二体の黒い巨躯。


 魔族だ。その姿を目にするや、マントを羽織り前で掻き合わせても、ガクガクと体が震える。

 いつの間に私は、こんなに弱くなったのだろう。黒い魔族が襲って来た時、私は戦おうとしないタクヤを殴ったくらいなのに。今、魔族が二人に増えたからといって、何なのだ。


 ……いいえ、分かってる。今の私には、守るべき者がいるから。陛下……クロード、部下たち、もちろんパトリックも。


 でも、それで弱くなるのは、偽りの強さだ。

 護るための強さ。それが欲しい。


 ……タクヤ!


 その時、広場に朗々たる声が響いた。

「全ての兵士らよ。余に従い、余に続け! 余は勇者ルテラリウスの末裔なればなり!」


 陛下、いやクロードだ。

 白銀の甲冑で身を包み、抜き放った宝刀、神剣キフォスガロウを掲げ、門前広場を歩み出ようとする。そこで騎士たちは道をあけ、クロードは前へと進む。


 私は振り返って指示を出した。

「総員、戦闘準備! 出来次第、クロ……皇帝陛下と騎士団を援護します!!」

 私が命じるより早く、既に全員が起床し準備に走り回っていた。


「お嬢!」

 パトリックに腕を掴まれた。

「死ぬんじゃねぇぞ」

 真面目な目だ。視線を反らせられない。

「……当たり前でしょ。馬鹿なの? 死ぬの?」

 一瞬、目を丸くして、彼は言った。

「そうだな。行こう」


 走り出す彼に並び、先行する騎士団に続く。

 そう言えば、同じような事を言った覚えがある。誰にだったかしら。


 ……そうだ、タクヤだ。初めて竜と戦ったときに。

 彼はここにいない。誰よりもいて欲しいのに。


 大通りを塞ぐ騎士団に追いついた。その列の向こうに立つ、甲冑姿のクロード。

 そのさらに向こう、天に届くかと思えるような巨体が二つ。人の体に虎の頭と縞模様。片方は白、片方は赤い体毛の上に黒々と描かれている。魔族だ。


 その赤い虎頭の口が牙を剥き、咆哮のような声で叫んだ。

「お前が皇帝か。勇者から受け継いだというその力、見せてみよ!」

「望むところ!」

 言い返すと同時に、クロードは跳んだ。


 そう、跳んだ。自らの身長の何倍もの高さを。

 これが達人レベルが身にまとう闘気。人に魔物を超える身体能力をもたらす、呪文によらぬ強化魔法。

 そして空中で剣を振るう。刃が届く間合いの何倍もの距離から。にもかかわらず、白虎魔族の右腕が斬り落とされ、真っ赤な血が吹き出る。

「やりおるな!」

 左手の拳がクロードに打ちつけられ、彼は建物の二階に叩きつけられる。レンガの壁にめり込みながらも、しかし彼は笑ってた。笑って、体を壁から引きはがし、赤い光をまといながら再び魔族に斬りかかる。


 その間、私たちは何もできなかった。騎士たちにかけようとした保護の呪文も立ち消え。レベルが違いすぎる戦いを見せつけられ、誰もが固まっていた。


 この人を、護る? 私が?


 赤虎魔族の左目が斬り裂かれ、クロードは反対側の建物に叩きつけられる。それでも彼は体を起こし、さらに斬りつける。


「風神乱舞!」


 技の名を叫びながら神剣を振りかぶると、彼の姿がぶれて消えた。いや、目にもとまらぬ速度で走り、跳び、剣を振るったのだ。

 ざっ、と騎士団の前に彼が降り立った時、二体の魔族は全身から血を噴いていた。


「くくく。面白い。面白いぞ、ヒト族の皇帝よ。まだ三代目ならば勇者の血も濃いままか」

 白虎魔族が、斬り落とされた右腕を拾い上げ、切断面をぬぐって押しあてた。赤い光が漏れたと思うと、既に繋がっていた。二体とも、既に全身の傷からの出血は止まっている。

 このままではダメだ。クロード一人がどれだけ強くとも、二体相手では。


 私も声を張り上げる。

「分隊、魔術支援! ジャニスとテッドは保護結界を構築、他の者は攻撃魔法で魔族を牽制!」

 そして傍らのパトリックに命じる。

「後は頼むわ」

「おう」


 私は呪文の詠唱に入る。クロードの闘気の鎧マヒスソラキには遠く及ばないが、一撃で即死にならないくらいには護ってくれるはず。

「……魔力の鎧マギキソラキ!」

 騎士団を赤い光が取り巻く。なんとか間に合った。


 赤虎が吠える。

炎の雨フロガブロヒ!」


 炎の矢の集中豪雨がクロードに降り注ぐ!

 彼は神剣で造作もなく振り払うが、背後を固める騎士たちにも振りかかる。これは魔力の鎧が跳ね返した。

 外れてこちらに落ちてくる分は、ジャニスたちの結界が防いだが、数発で結界は消えてしまう。そのたびに彼女らは呪文をかけ直す。

 他の魔法兵たちも呪文を唱え、魔族が魔法を使おうとするたびに炎の矢や疾風の剣などで牽制。魔力の鎧で余裕が出た騎士たちが、魔族の足元を攻撃する。


「ちまちまと小賢しいわ!」

 白虎が吠えた。来る!


疾風斬撃ガレトリプス!」

 衝撃波の白刃が騎士たちをなぎ払い、こちらへ迫る。結界を強化しようと詠唱中のジャニスへ。


「……守護の結界フラグマプロスタ!」

 間一髪、強化された結界が刃を弾いた。しかし、彼女はそのままくずおれた。過剰対価オーバードーズだ。

 こんな乱戦で気を失っていては死を意味する。とっさに対価を引きとるが、その時私たちの頭部を包んだ光を、パトリックは見逃さなかった。


「お嬢! なにやって……」

「次! 来るわよ!」

 テッドが呪文を完成させ、倒れる。立ち上がったジャニスが呪文を唱え始める。結界はかろうじて持ちこたえた。それでもあちこちで部下が倒れていく。私は片端から対価を引きうけた。

「無茶だ、お嬢!」

「おだまり!」

 思わず厳しい言葉が飛び出した。

「こんなところで、誰ひとり死んだらダメなの」


 訓練で魔力は増える。その分、対価に対する魔術の効果も増える。だから、私は数人分の対価を引きうけても耐えられる。当然、限界はあるけれど、放置すれば部下は全滅してしまう。


 前線ではクロードが奮戦していた。

 騎士たちと連携しつつ、二体の魔族を切り刻んでいく。風神乱舞の連続技で、再生の暇を与えずに傷を増やしていく。血液と共に流れ出す魔素で、膨大な魔力も削られてきているようだ。


 勝利は目前のはず。だけど、嫌な予感がする。魔族がこのままやられるわけがない。


「全員で結界を強化して!」

 騎士たちへの魔力の鎧を上掛けする呪文を詠唱。もう対価が八十を超ている。限界だ。頭が重い。


 その時、白虎が叫んだ。

「こんな……こんなことでは、魔王様に申し訳が立たぬ。兄者!」

「おうよ!」

 二体の魔族は、互いの額を叩きつけ合って同時に叫んだ。


「「魔核爆発ディアピリナセクリキ!」」


 騎士たちの魔力の鎧の輝きが増した瞬間、その向こうで紅蓮の炎が湧きあがり、燃え盛り、広がって、結界にぶつかって弾けた。

「お嬢!」

 パトリックの叫びを最後に、私は意識を失った。


 その寸前、頭の奥に鋭い痛みが走ったような……


********


 目を開けると、空はまだ真っ暗だった。

 見回すと太守の館前の宿営地で、焚火のそばに私は毛布にくるまって寝かされていた。


「お嬢、ようやく目が覚めたか」

「……パトリック」

 一気に記憶がよみがえった。広がる炎。


「みんなは?」

 焚火に照らされた顔が、くい、と横を向く。

「生きてるよ、みんな。あんたのおかげだ」

 焚火とは反対側に、毛布に包まる姿が固まっていた。


 体を起こすと、対価の重さが消えうせてるのに気がついた。

「……私、どれくらい寝てたの?」

「十五時間かな」

「そんなに?」

 それじゃ、今は夕方なのね。


「戦いは?」

 もちろん、負けていたら生きているはずがない。

「勝ったよ。皇帝陛下の勝利だ。だけどな」

 焚火の向こう側を見る彼の眼は、炎の光が映っているのに暗い。


「……街の大半は消し飛んだ」

 ぞくっと寒気がした。消し飛ぶ? 街が?


 震えながら立ち上がり、焚火の向こうの闇を見据える。

 闇だ。灯りの一つもない、暗黒。

 表通りの商店の明かりも、街灯の光玉も、その裏の路地の民家の明かりもない、墨で塗りつぶしたような暗黒。


「あの二体の魔族、最後に自爆しやがった。あんたの保護の呪文と、みんなの結界で俺たちはなんとか生き残ったが、街はあの通りさ。住民も」

 彼は顔を伏せた。

「生存者は皆無。あの一帯は全滅だ」


 うそだ。


 私は走り出していた。知っている顔を探して。護るはずだった人を探して。生きていなきゃいけない人を。


「ザッハ」

 焼けただれた遺体が並ぶ中に、その顔があった。

 違う。浅黒いのは元からだ。これは、ただふざけているだけ。抱き起せばきっと、いつもみたいに笑いだすに違いない。

 でも、背中の側に回した手は、真黒になった。赤い血も。炭になるほど、焼けただれている。


 隣には女性の体。彼の奥さんだ。髪の毛が焼け焦げている。

 二人の間には小さな体。服は焦げているが、傷があるようには見えない。それでも、その少女が呼吸していないのは明らかだった。鼻と口から黒い煤がこぼれおちている。炎を吸いこんでしまったのだろう。二人で必死に娘を守ったのに。


「ダメじゃないの、お譲ちゃん。勇者タクヤのお嫁さんになるんでしょ? それなら、もっと大きくならなくちゃ。こんなに……こんなに小さいままで……」


 タクヤ。

 あなたは泣いたわね。泣き続けて、誓ったのよね。もう、誰も死なせないと。

 ごめんなさい、私は護れなかった。あなたが必死になって護った人たちを。大切な友人を。


 ああ、エリクサーがあれば。

 今ここに、あの青く輝く霊薬さえあれば。でも、タクヤは南の大陸にいる。例え既に盟約の指輪を手に入れていたとしても、竜の里まで何カ月もかかるだろう。それまで遺体をこのままにはできない。


 少女の亡骸を抱きしめ、私は泣いた。天を仰いで泣き続けた。

 あの日のタクヤのように。


 肩に手がおかれた。暖かい、大きな手。

「お嬢」

 パトリックは言った。

「あんたは戦ったよ。俺たちを護って。騎士たちを護って。でも、何もかもを救うなんて事は、誰にもできないのさ。皇帝陛下にすら」


 皇帝……クロード。


 腕に抱きしめていた亡骸を、そっと地面におろす。両親の間に。


「陛下の役に立てるのは、生きている兵士だけ」

 任官した初日に、私が部下たちに言った言葉だ。

 ならば、死者を悼む以上に、生き延びた者を支えなければ。


 背後から声がかかった。

「ミリアム・ガロウラン様。皇帝陛下がお呼びです」

 少女の額のほつれた髪を撫でつけてあげ、私は立ち上がった。振り向くと、陛下の従者だった。見覚えがある。


「わかりました、参りましょう」

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