2-9.洞窟の偏屈な豪傑

 古竜の洞窟への入り口は、以外にも小さかった。谷の行き止まりに開いた直径二メートルほどの歪な穴。


「これじゃ、エルマーだって通れないぞ。古の竜ってどんだけ小柄なんだ?」

 俺の疑問にマオが答えた。

「身体の大きさを変える魔法が使えるのかもしれません。あるいは、小さいうちに入って、中で大きく育ったとか」

 それじゃぁ、井伏鱒二だ。山椒魚は悲しんだ。


「まぁ、古竜が小柄ならそれに越したことはないさ。それよりも、起きててくれると助かるんだが」

 何千年も眠りこけている竜を起こすなんて、ちょっと途方に暮れるからね。


 もう昼飯時だったので、俺たちは入り口の前で食事にした。小屋を出すスペースはないので、テーブルと椅子だけ出す。朝のうちにギャリソンが作ってくれた料理を別のアイテムボックスから出して、みんな一緒に「いただきます」だ。食欲をそそる香りが谷間に漂う。


「これだけ良い匂いだと、古竜も目覚めるかもね」

「いきなり、全部よこせなんて言われたら困るわ」

 俺の軽口にミリアムが答えた。いや、真面目な顔で返されてもなぁ。

「山羊一頭の丸焼きぐらいでないと、食べた気もしないでしょうしね」

 グインがまた真顔で言う。

 キミの食欲も大したもんだけど、竜のは別格だしなぁ。うーむ、手土産に一頭くらい捕まえておくか。いつもながら、泥縄だな。


「まずは、お目にかかってからだね」

 こうなったらもう、出たとこ勝負だ。もし万が一戦闘を挑まれても、洞窟の入り口までなら一気にみんなを転送できる。

 それでも準備は大切だ。食事が済んで、ギャリソン達の方付けが終わるのを待って、命じる。

「キウイ、透明鎧と身体操作を」

『イエス、マスター』


 そしてマオにも頼む。この際だ、魔核暴走の危険を冒しても、安全は確保したい。

「俺以外の全員に、保護の呪文を」

 マオはうなずいたが、聞き返してきた。

「組み合わせはどうしますか? 属性が矛盾するものは同時にかけられません」


 炎の属性と水や氷の属性は反発し合うので、同時には難しいらしい。敵を前にしてからだと、魔力看破のスキルでかける魔法が選べるのだが、泥縄の極地になってしまう。

 事前に分かれば対策もできるが、古竜はその情報が全くないに等しかった。洞窟の中からは湿った風が吹いて来るが……。


「まずは炎かな。あと、打撃など物理攻撃にも」

 魔核が覚えている呪文らしく、詠唱無しに一同を赤い光が包んで消えた。

「よし、じゃあいよいよ洞窟へ」


 まさかと思うが、人間嫌いが高じて罠を仕掛けていないとも限らないので、罠発見や解除のスキルを持つトゥルトゥルを先頭に、洞窟の奥へと進む。

 意外にも、中は緩い上り坂になっていた。トゥルトゥルの隣に俺、すぐ後ろをグインとマオ。ミリアムは後ろの非戦闘組の防護だ。


 しかし、折角の大役なのに、トゥルトゥル本人には緊張感の欠片もない。すぐ横を俺が歩いているので、機嫌がいいのはわかるんだけど。フンフンと鼻歌を歌ってやがる。

 あ、これはこの前教えたアニソン、つーかBGMだ。使徒が第三新東京市に侵入してくるシーンの。

 緊張した雰囲気を盛り上げる音楽を、緊張感なしにやるのはやめてほしいな。


「待って! ここの床」

 トゥルトゥルがかがみこむ。

「どうした? 罠か?」

 落とし穴とか毒矢が飛んでくるとか。


「綺麗な石がいっぱい」

 すべすべした小石をいくつか手に乗せて突き出してきた。

「……あのなぁ」

「タクヤ、ちょっと」

 文句を言おうとした俺を、マオが押しとどめる。


「この石は川などの流れで転がって磨かれたものです。そして」

 周囲を手で示す。

「この洞窟、床も壁も湿ってます」

 と言うことは。

「ここ、水が流れるのか?」


 その時、洞窟の奥からドーンという音が聞こえて来た。そして、激しい水音が。


 ヤバイ。みんなに水の防護はかかってない!

 急いで避難用のアイテムボックスを隊列の最後尾に開く。間口が洞窟より広かったので、ゲートが壁や天井に食い込んで溝を穿ってしまった。

「みんな急いで中へ入って! 入り口まで送り返すから」

 ゲートを閉じて、洞窟の外へ開きなおす。

 みんなが出るのを遠隔視で確認しているところへ、洞窟の奥からの濁流が俺を飲み込んだ。熱や炎ではないから透明鎧のまま、俺はもみくちゃにされながら流された。

 気が付くと、洞窟の外の谷間だった。流れ出た水はそのまま谷間を流れていってしまったようだ。そこここに水たまりが残っている。

 その一つに顔から突っ込んだ体勢で、透明鎧が解除された。うわっぷ。口から鼻から水が雪崩れ込んで来る!


「タクヤ、大丈夫?」

 ミリアムがかがみこんで聞いてきた。みんなは流れから上手く避けられたらしい。ひでえや。俺だけずぶ濡れ。

「生きてる。多分」

 俺は盛大にくしゃみした。もう冬に入ってるが、竜の谷は常春の国のようなので助かる。


 小屋を出すには谷が狭いので、アイテムボックスの側面をゲートとして開く。谷の崖に小屋が埋まっている感じで、なかなかシュール。

 中へ入って、濡れた服を脱ぎ、タオルを取り出して体を拭く。そして新しい服を着て、みんなのところへ戻った。


「作戦変更だ。マオとミリアムで手分けして、水属性の防御呪文をみんなにかけて」

 再び、呪文の光がみんなを包む。

 炎のブレスなら、俺のゲート盾で何とか防げるが、さすがに水をせき止めるのは無理だ。あの濁流の正体が不明だが、また起こらないとは限らないし。


 と言うわけで、仕切り直し。

 先ほどと隊列は一緒で、再び洞窟の緩やかな上り坂を上がって行く。どうやら構造は単純で、多少のカーブはあるが、一本道で登るだけなようだ。

 遠隔視で先を確認しようかと思ったが、カーブに沿って視点を移動させてると酔いそうなので諦めた。


 そうして小一時間ほど進むと、やがて開けた空間に出た。広さは東京ドームくらいはありそうなほぼ円形の広間で、天井の真ん中が大きく空に向かって開いていた。

 その床の一角には、これまた競泳用の五十メートルプール並みの池があり、そこからの浅い溝が俺たちの出て来た洞窟の穴へ繋がっていた。

 そして、その池に身体を浸して、こちらを眠そうな目で眺めている巨大な竜が、おそらく古竜なのだろう。体長は、成竜の少なくとも倍以上ある。


『ヒトの子らよ、よく来たな。歓迎しよう』

 念話が響く。

「歓迎って、さっきの水責めは」

 思わず声に出てた。

『ふん。ドブネズミのように排水溝から上がって来るからだ』

 ――やはりか。


 池の中には泉でもあるのか、今も水が少しずつ溝に流れ出している。さっきの大きな音は、古竜の巨体が飛び込んだ音なのだろう。溢れた水が、この洞窟を流れていくようになってるわけだ。

 では、大広間の天井に空いた穴が、正面玄関なのか。なるほど、空を飛べるのならここからの出入りが便利だよな。深さ数百メートルの竪穴となっていて、おそらくは山頂に火山の火口のように開かれているのだろう。

 しかし、いきなり空から現れたら、ブレスで狙い討ちされるな。竪穴の中では回避行動も取りにくいだろうし。


 俺は巨大な竜に向き直った。

「あなたが古の竜ですか? てっきり、眠りについておられるのだと」

 ふん、と再び古竜は鼻を鳴らした。

『ここしばらく、魔素の流れがおかしくてな。気になって寝不足気味じゃ』

 それは辛いですねぇ。俺なんて元の世界じゃ、ほぼ万年寝不足でしたから。

『大方、新しい魔王が誕生したのだろう。お主もそれで、異世界から拉致されて来たのじゃな』


 話が早いな。


「ちょっと訳ありですが、大体あってます。で、俺がここに来た理由なんですが」

 その時、古竜の眠たげだった両眼が「くわっ」と擬音付きで見開かれた。

 マオをにらみつけて念話で叫ぶ。

『その魔核、まさか魔王本人がここへ来るとはな!』


 ブレスだ! 古竜がガッと口を開いた。

 俺はすかさずゲートの盾を展開する。轟音と共に吐かれた地獄の業火が、盾に遮られて大広間の空間に渦を巻く。マオが無詠唱で水の障壁を築き、回り込んだ炎から仲間たちを護る。


 俺はゲートの陰から出て、ブレスの中を古竜に歩み寄った。亜空間鎧に切り替わったので、遠隔視を使う。声も伝わらないから念話だ。

『マオは魔王を廃業したんだ。今は俺たちの仲間で、魔神の支配から逃れるため、古の魔法を探している』


 ブレスが止んだ。さすがに長かったな。肺活量いくつなんだろう?

『古の魔法とな……だが、魔核に支配されるのが魔物や魔人の定め。魔王とて抗えぬ』

 亜空間鎧が解除されたのを見て、俺は奥の手を使うことに決めた。

「これを見れば、その考えも変わるんじゃないかな?」

 ゲートを開き、エレを出してやる。


『わぁ、おおきなりゅうのおじいちゃん!』

『……この魔核は!』

 驚いている古竜の胸を断面透視しながら、俺は告げた。


「そう。あなたと同じ、青い魔核ですよ」


******


『青魔核を持つのは、もうこの世で儂一人じゃと思っておった』

 竜は「一頭」だと思うんだが、突っ込むのはやめておく。


『はるか昔、魔神が赤い魔素を世界に満たし、赤い魔核の魔物を作りだしてから、青い魔核の竜は育たなくなった。成長した竜は皆、赤い魔核になったのじゃ』

 想像した通りだった。生まれたばかりの魔核は魔素を吸収して育つ。赤い魔素が多ければ、やがて魔核は赤く染まる。


「このエレは、生まれてすぐに俺が保護したんだ。その後ひと月ほどの間、赤い魔核を青くする魔核変換の魔法がかかっていたらしいんだ」

『魔核変換だと?』

 念話には驚いた響きがあった。

「ひょっとして、聞いたこともない?」

『むぅ。今初めてな』

 最後にして最大の手がかりだったはずなんだが。

「実は、時の流れで忘れてるだけじゃなくて?」

『呆けてはおらんぞ』

 はい、すみません。


 俺たちは大広間の反対側に移動した。ここは天井の穴から日光が差し込むので、苔に覆われた緑のベッドになっている。腰を下ろすとなかなか快適だ。

 その苔の上に身体を丸くしてうずくまる古竜は、そのまま眠ってしまうかに見えた。しかし、その目は爛々と輝き、エレを……おそらくはその体内の青魔核を凝視している。


「では、この魔核変換について知っていそうな人なり人外について、何か心当たりがありませんか?」

 質問を変えてみた。

『知識を得るならアカシックレコードじゃの』

 お、おう。そう来たか。天地開闢以来の全ての情報が蓄積されている場所。オカルトなんかの定番だな。


 なんだか、悩み事を相談したら「では神に祈りなさい」だけ言われたような気分。


 いや待てよ? この世界の神と言ったら。

「それって、イデア界そのものですか?」


 この物質世界、ソーマ界は、イデア界に記述された通りに存在する。なら、イデア界の記述そのものがアカシックレコードだ。

『うむ。今のヒト族はそう呼ぶのじゃな』

「しかし、そんなものを読み取るにはどうしたら?」

 文字通り、雲をつかむような感じだ。今風に言えばクラウドだな。


『我ら竜がヒトと盟約を結んだ時代、知っているはずのない知識を語る者がヒト族におった。その者の知恵と知識を我らは認め、この盟約を結んだのじゃった』

 遠い昔にならいたのか。ヒト族なら、もう生きているはずがないな。


 おっと、もう一つあったんだ。

「そう、その盟約を復活させたいのですが。外の竜たちにはもう話してあります。あとは、あなたの了解さえあれば」

『ほほう』

 ……何か今、古竜の双眸が抜け目なくキラリーンと光ったのですけど。

『ならば、いにしえの作法に則り、盟約の指輪で誓いの儀式をせねばな』

 誓いの儀式ですか。生贄に処女を何百人、とかでないと良いんだが。

 俺の仲間には女性は二人。男の娘は除外ね。そして、二人の内、一人は人魚だし。ミリアムに処女かどうか聞くなんて、恐ろしくて出来ません。


「えーと、必要なものはその指輪以外に何か?」

『人の生贄ならいらんぞ』

 うわ。心を読まれた?

『そのかわり、山羊と酒じゃな。谷の皆が満足する分を年に一回、馳走してもらおう。それに見合った分の、抜け落ちた竜鱗や髭なら提供しよう』

 谷全体となると、この間の倍くらいだろうか。買い付け費用がかなりになるが、それで手に入る竜鱗や髭の価格なんて天文学的だ。帝国全土から集めるのなら、農家の負担も軽減できるだろう。


「では早速、その指輪を」

『うむ。南の迷宮じゃ』

 ――めいきゅう? 今、迷宮とおっしゃいました?


『ここから海を渡った南の大陸に、ガジョーエンという都市がある』

 なんだか、結婚式とか華やかに行われそうな名前だな。

『迷宮の上に建てられた街じゃ。この迷宮の最深部、百二十層の宝物庫に、盟約の指輪が安置されておる』

「なんでまた迷宮の上に都市なんかを」

『知らぬのか? 迷宮は魔素と魔核をこの世界に供給するために魔神が作った設備じゃ』


 そうか。高価な魔核が取れるなら、宝の鉱脈みたいなものだからな。きっと、巨大な魔核産業なんてのも生まれてるんだろう。魔核廃棄物なんてのだけは、生じてほしくないけどね。


「しかし、いったい誰が指輪をそんなところに?」

『盟約を快く思わぬ魔神に決まっておろうが。あの指輪は創世の神が自ら御作りになったので、魔神といえども破壊は出来ぬのだ』

 なるほど。うーむ、ここに来れば一気に解決かと思ってたのに。甘かった。糖尿病患者の方、ごめんなさい。


「ところで、竜鱗などを材料とするエリクサーの製法なんですが」

『もちろん、知っておるぞ』

「それ、教えていただきたいんですが」

 古竜は呵々と笑って答えた。

『良いぞ、盟約の儀が終わればな』

 はい、そーですか。


 いにしえの竜は、意外なことに矍鑠かくしゃくとしたジーサマだった。豪傑と言っていいくらいだが、頑固で偏屈だ。

 ……洞窟に棲んでるからだ、なんて言わないようにしないと。


 俺はみんなを見回した。ガッカリはしてるけど、ウンザリはしていない顔だ。


「じゃぁ、旅の延長戦だな。俺たちの冒険は、まだ始まったばかりだ」

 思わず連載打ち切りのようなセリフだが、本当にまだ続くんだな、これが。

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