第7話 とある令嬢の奮闘記 1



 貴族の朝は遅い。

 日の昇る前から起き出して働く平民と違い、貴族の子弟が起き出すのは太陽が空にだいぶ昇ってからだ。

 けれど、王都にあるクンツェンドルフ伯爵家の館では、その常識は覆る。数年ぶりに訪れた伯爵令嬢が日の出前から鍛錬を行うからである。

 その伯爵令嬢――ベルタ・エラ・クンツェンドルフは、毎朝欠かさず行っている鍛錬の後、軽く湯あみをしてから彼女にとっての戦場に繰り出した。

 厨房である。


「……ベルタ様。流石に、伯爵令嬢が毎日厨房に入るというのは、ちょっとどうかと」


 お付きの侍女の声に、ベルタは鮮やかな包丁さばきで茹で卵をみじん切りにしながら反論した。


「何を言うのです! 殿方を射止める為にはまず胃袋を掴まなくてはならないと言ったのは貴方ではありませんか!」

「言いましたけど、サンドイッチ作戦は別に料理人に任せても良いのでは?」

「いいえ! 世の中には料理の腕一つで殿方を射止めた方もいるというではありませんか! ジーケルト様を完膚なきまでに魅了するためにも、私自身が料理の修行をしないわけにはまいりません! あの方の胃袋は私が掴むのです!」


 気合の入ったベルタの声に、侍女はなんとも言えない眼差しを料理長へと向けた。

 料理長は「仕方ありません」と肩を竦める。


「騎士団にその人ありと謳われる血鬼ジーケルト様が相手となれば、確かにお嬢様の仰る通り、万全を期して臨むべきでしょうから」

「……いえ、あの、騎士様の腕前と、お嬢様の料理の腕前は関係無いような……?」

「確かに騎士団の料理は肉主体の薄味でさほど美味というわけではありませんが、だからといって慢心してはいけません。もしジーケルト様を慕う町娘が美味しい手料理で誘惑したらどうします? 幼い時から家庭で料理をし続けていた娘の素朴で家庭的な料理の味に、ぐらりと揺れない男がいるとは思えません!」

「そうです! 料理長の言う通りです!」


 マスクにエプロンに頭巾という戦闘服を着こんでいるベルタが、みじん切り茹で卵をマヨネーズと混ぜながら大きく頷く。


「私も領地の遠征につぐ遠征で野戦料理の腕だけは鍛えることが出来ましたが、それ以外の料理となるとかなりの戦力不足です! 得意料理が魔狼の姿焼きでは恥ずかしいではないですか!」

「それは確かに」

「だからこそ日々料理の腕を磨かなくてはいけないのです! ……とりあえずはお近づきになるためのサンドイッチから」


 混ぜ終わったマヨ卵を慎重に薄く切ったパン生地に挟んでいくベルタに、侍女はちょっと遠い目になる。

 幼い頃から剣にばかり夢中だったお嬢様が、ようやく人並みの初恋をしたというのは喜ばしい限りだ。だが、その相手が『血塗れ騎士』『怨霊騎士』『殲滅鬼』とおどろおどろしい異名ばかりをもつ騎士なのがベルタらしい。個人的には包容力のある落ち着いた騎士と恋仲になってほしかったが、そういった御仁がクンツェンドルフ伯爵領に馴染まないことも理解している。

 王国一過酷な辺境、と呼ばれるあの伯爵領にとって、貴族とは民を敵から守る剣であり盾だ。望まれるのはどんな戦地からでも生還する屈強な人間なので、王国騎士アンゼルム・ジーケルトは伯爵家にとって非常に好物件なのだ。領地の伯爵もベルタの恋を全力で応援している。毎日のように進展状況報告を求む伝書バトが飛来するほどだ。少し落ち着けと侍女は言いたい。


 ベルタは自分の容姿に自信が無いようだし、確かに王都にいる貴族令嬢のような華やかで派手派手しい容貌はしていないが、素朴で可憐な風情に心惹かれる男は多い。さらには生まれ持った武器『巨乳』も備わっている。いざとなれば一服盛って既成事実を作ってしまいなさい、と伯爵夫人に持たされた媚薬もあることだし、肉体戦で勝利を収めることだって出来ると思う――とそこまで考えて、侍女は自分の思考も伯爵家に染まっていることに気づいて頭を振った。伯爵家の一員にとって、『一般的な思考』は難しい。


「では、今日は初日と同じくベルタ様も騎士団の詰所に行かれるのですか?」


 ちなみに昨日は王都での挨拶回りのせいで侍女だけが騎士団に向かった。ベルタの怨念ほとばしる姿が恐ろしかった。


「もちろんです! 今日はジーケルト様のお姿を目に焼き付けるのです! ……ああ、初日にあの方が飛んで来られた時のうれしさといったらありませんでした……!」

「……どう考えても誰かに吹き飛ばされていたと思うのですが……」

「ジーケルト様を吹き飛ばせるだなんてとんでもない猛者ですね! いずれ仇は私が討ちますわ!!」

「……ベルタ様、鬼気溢れるお顔になっております。ご注意を……」

「あらいけない。笑顔笑顔」


 料理中の為に自分の顔を揉み解せないベルタに請われて、侍女は丁寧にベルタの表情筋を解してやった。


「密偵の話では、サトゥルノ侯爵が王都貧民街で暗殺されたとのことです。よほどの手練れらしく、近くにつめていた護衛達の目の前で、その姿を誰にも見られることなく暗殺してみせたとか」

「サトゥルノ侯爵というと、人狩りで有名な侯爵ですね。場所が貧民街ということはまた悍ましい趣味を行おうとしたということでしょう。暗殺者も良い仕事をしますね!」

「……ベルタ様。他ではそんな本音を零されませんように」

「もちろんですわ! ……けれど、ジーケルト様を吹き飛ばした御仁といい、時期的に二人もの手練れが王都に集まった、と考えるより、同一人物と考えるべきでしょうか? その場合、何故ジーケルト様が狙われたのか分からないのですが」

「密偵が集めて来た噂によれば、狙いはベルタ様で、ジーケルト様はそれを防いだとのことです」

「じ、ジーケルト様が私のために……!?」


 途端に天高く舞い上がる乙女なベルタに、侍女は心を鬼にして力づくで引きずり下ろす。


「そのため、ジーケルト様は陛下に呼び出されてしまったとの報告を受けています。なんでも、貴族の一部が下手人を捕らえることも殺すことも出来なかったジーケルト様に罪をきせようとしたとか」

「……おのれ陛下と非力貴族どもめ……その首引っこ抜いてやるぞ……ッ」

「落ち着いてください、ベルタ様。無能貴族共はともかく陛下は冤罪です。ジーケルト様を呼び出したのも貴族達のガス抜きをしてジーケルト様を守るためだったようですし」

「陛下の御名を早とちりで貶めたことに深い謝罪を申し上げます」

「そうですね。暴走しそうな貴族が街に放たれるのを防いで、王都に来た旅人達を守るために第三と第四騎士団は王都中を奔走しているそうですし、陛下はとても良い方です」

「お待ちください。ということは、ジーケルト様も王都を走り回っておいでなのですか?」

「そのようです。実際、昨日は騎士団に行ってもほぼもぬけの殻でした」

「…………ッ!!」


 ベルタが声も無く崩れ落ちた。騎士団に行けばジーケルトと会えるかもしれないと思っていた分、ショックが大きかったようだ。


「……で、では、王都中をくまなく探せばジーケルト様に会えるということですね!」


 あ。復活した。


「そうですね。騎士団に詰めている状態では、わざわざ呼び出すか偶然で無い限りお会いすることが出来ませんが、街に放流――もとい、散開してる状態であれば、情報を集めて追いかければ偶然を装うことは無理でも会うことは可能かと」

「そうですね! むしろ街で会う方が、下手人の索敵方法の模索なり人海戦術の提案なりお話が出来るかもしれませんものね!」


 普通の令嬢であれば仕事の邪魔にしかならないだろうが、ベルタなら大丈夫そうだと侍女も首肯する。ちなみに二人とも「偶然を装うのは無理」という事実は理解している。


「ところで、何故、私は下手人に狙われたのでしょう?」


 しばらくジーケルトに会った後で行う『会話』の内容を吟味してから、ベルタはジーケルトが吹き飛ばされた時のことを思い出して首を傾げた。


「確証が出ていないので、あくまで予想の範囲でしかないのですが、巷では『伯爵領に打撃を与える為』だったのではないか、とのことです。ベルタ様が怪我を負わされれば伯爵も激怒されるでしょうし、もし攫われるようなことがあったら人質となって脅される可能性があったのでは、と」

「ああ、下手人が隣国の工作員とかであれば可能性はありますね。自国民でそんな馬鹿はいないと思いますけれど」

「あの戦闘激戦区の伯爵領に手出ししても、旨味が無い以前にひたすら地獄が待っているだけですものね……ベルタ様もお強いですから、下手に浚ったりしたら本拠地が木っ端微塵になりそうですし」

「そこまで非常識な強さは持ち合わせていませんよ?」


 可愛らしい顔で小首を傾げてみせる令嬢に、侍女は微笑んで世迷い事をスルーした。


「もしベルタ様を狙ったのが隣国の工作員であれば、サトゥルノ侯爵が殺されたのは王都に波乱を巻き起こすためともとれます。現に第一騎士団は陛下の命令を無視して水面下で下手人探しを行おうと暴走していますし、第二騎士団も不穏な動きをしているようですし」

「陛下がジーケルト様達を街に放ってまで王都の治安維持の為に尽力されているというのに、第一騎士団は滅んでも良いのでは無いでしょうか?」

「ベルタ様。お顔が鬼になっています」

「まぁいけませんわ。笑顔笑顔」


 ぐにぐにと鬼の形相を解してもらって、ベルタは出来上がったサンドイッチをバスケットに詰めていく。未だに一度もジーケルトから「美味しかった」の一言ももらえていないが、いつか言ってもらえるようになろうとベルタは握りこぶしをつくった。まさかただの一切れもジーケルトが食べていないとは、さすがのベルタも思いもよらない。やはり肉料理の方が良いのだろうか、と密かに悩んでいるのは秘密だ。


「そういえば、ジーケルト様は昨日傭兵組合に顔をお出しになったとか。あそこの組合長は、ベルタ様も顔見知りでしたね」

「ああ、『アガフォノス』の隊長ですね。子供の頃はよく手合わせをしていただきました」


 王都でも著名な傭兵団長と一対一で渡り合っていた子供を思い出して、侍女はそっと思い出の蓋を閉めた。あの姿はとても恋しい相手には見せられない。『血塗れ騎士』と言われるジーケルトとは似合いの夫婦になりそうだが。


「……一度、傭兵組合に顔を出しておくべきでしょうか?」

「はい。今後、王都でどのような戦が行われるか分かりませんから、金で雇える手練れは雇っておくべきと愚考いたします」

「お父様にも連絡しましょう。王都が混乱すればその隙をついて隣国がまた余計なちょっかいをかけてくるかもしれません。……王都を混乱に陥れるのであれば、下手人が狙うのは次は何処かしら……?」

「隣国との境界の要であるクンツェンドルフ伯爵家のベルタ様を狙い、第一騎士団に影響の強かった侯爵を殺害……侯爵を殺害したことで王都の治安は目に見えない場所で悪化していますから、それを後押しする一手を打つか、暴走を止めている陛下の動きを乱すために、直接王城に手出しするかもしれません」

「王城には守りの結界があるでしょう? 流石に難しいのではないかしら」

「守りの結界も、平時はそれほど強固でないと聞きます。あれは戦乱時の対空用防御結界だというお話ですから」

「戦乱の時代に設置された結界ですものね。強い結界は維持する為の力も相当なものだと聞きますし、平時にまで守りを強固にしているわけはありませんか……」

「伯爵領にある結界と同じようなものであれば、きっとそうですね」


 腹心でもある侍女の言葉に、ベルタは頷いた。


「では、一度傭兵組合に顔を出して後、王城の様子を伺ってからジーケルト様を探しましょう。国の一大事を後回しにしては王国騎士たるジーケルト様に合わせる顔がありません」

「では、お嬢様達がお出かけになっている間に、私共は伯爵様への連絡、民草の噂と第一騎士団の動向、ジーケルト様の所属する騎士団での料理やジーケルト様が好んでいる料理の情報を進めておきます」

「お願いいたします!」


 キリッとした顔の料理長達にお願いして、ベルタはバスケット片手に意気揚々と屋敷を後にした。





 ※ ※ ※






「……まさか、お姫さんまでうちに来るとは思わなかった」


 何故か唖然とした顔になった傭兵組合長こと傭兵団『アガフォノス』隊長マリアーノの言葉に、ベルタ達は首を傾げた。

 聞けば、すでに先日ジーケルトが『アガフォノス』を雇ったのだという。流石はジーケルト様です、とベルタが密かに握りこぶしで思ったのは、恋する乙女回路のせいだろう。

 だが、それよりもベルタを狂喜させる言葉があった。


「ジーケルト様が! あのジーケルト様が! 私と、手合わせを……!?」

「お、おぅ。無口すぎて分かりにくかったが、たぶん望んだのは確かだと思うぜ?」

「……ベルタ様の異名を本人に断りなくジーケルト様に漏らしたのは失態だと思いますが、それでそのお言葉を引き出したのはお手柄です、マリアーノ団長」

「お、おぉ。すまねぇな。手練れを聞かれて、つい真面目に答えちまってよ。まぁ、お姫さんの名前を出した途端速攻で食いついてきたから、『剣鬼』の異名だけは知ってたのかも知れねーな」


 実は食いついたのはベルタの名前の方なのだが、さしもの団長も気づけなかった。


「どうしましょう!? 手合わせとして私を求めてくださるだなんて!! い、衣装はどんな風が良いでしょう!? 対魔物装備? いえ、それとも殲滅装備? いえやはり、ここは決闘装備でしょうか!?」


 頬を染めて恋する乙女の風情で舞い上がるベルタに、やや遠い目になりながらマリアーノは侍女にこそこそと問いかけた。


「……なぁ、言ってることはわりと普通に戦闘脳なんだが、アレって、つまり、アレなわけか?」

「具体的な文言に欠けるお言葉ではありますが、把握は出来ます。お気づきの通り、アレです」

「マジか! サンドイッチの差し入れの時点で誰かにアレなんだろうとは思ったが、まさかのジーケルトか! ……いや、あいつのぶっ壊れ戦闘力を思えば『まさか』じゃ無ぇーな。やっぱり半年前の遠征がきっかけか?」


 ニヤニヤ顔になったマリア―ノに、侍女は真顔のままスッと片手を差し出してみせる。

 手で示すのが『金』マーク。


「……がめつくねぇか?」

「傭兵が情報料をケチってどうするのです。不要ならかまいません。私もベルタ様がジーケルト様に出会った時の怒涛の戦闘記録を一から十まで喋るのは疲れますから」

「その一連の記録で恋愛が発生することが王国七不思議なんだが、クンツェンドルフ伯爵家だからな……」


 チャリチャリーン。


「あれは今から半年前のこと――」


 受け取った金貨を素早く懐に仕舞い、侍女は滔々と語り出した。





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