Re:peat
伊島糸雨
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聞くところによると、母は呪われていたそうだ。
村の祭事の折に純潔を保ったまま身籠って、隣人はおろか家族からも忌避され、罵られ、やがて追放されたという。
その地には古くから、人を喰らう異形の神の逸話があって、そいつは時に人間の赤子として世に生まれるとか。そして成長してからは、人の肉を食うようになる。そんなのは誰だって嫌なはずだ。母だって、嫌だったに違いなかった。
村人が母を殺さなかったのは、情けによるものだろうか。得体の知れないモノを抱えている女への、せめてもの温情……。可能性はあるけれど、恐れによって手を出せなかった、という方が近い気はする。神の祟りなんてロクなもんじゃないと、私も思う。
母は強い人だった。行くあてもない母は、さまよった挙句コンクリートの廃墟の街にたどり着く。やがて月は満ちて、私たちが産まれた。劣悪な環境の中、たった一人で、肉体も精神も擦り切れたまま。そしてどういうわけか、私たちを育ててみせた。十年の間も、私たちが自然に生きられるように、手を尽くしていた。
私たちは栄養状態が良くないにもかかわらず、健康優良児同様の成長を見せた。何も食べない日が続いても気にならなかった。母ばかりが消耗し、衰え……私たちが十歳と二ヶ月を迎えた頃に、風邪を拗らせて死んだ。何歳だったかはわからない。私たちは実の母の名前すら知らなかった。
母は私たちを人間社会で生きられるようにと教育したけれど、同時に、私たちが通常の人間とも異なる構造をしていることも言い含めていた。教わった通りに死体を片付け、埋葬し、幼木と花で墓を作った私たちは、生まれて初めてその廃墟を後にした。
後年、図書館で調べて知ったところでは、その街は、かつて炭鉱を中心に栄えもしたものの、ある時起きた残虐な事件によってすべて打ち捨てられたのだという。
その事件の犯人を、今の私は知っている。
言語や文化的な知識を持ちながらも、野人同然の生活をしていた私たちは、歩き回った末に教会を中心にした小規模な街で保護された。孤児は孤児でも特殊ということで、私たちは孤児院ではなく教会で生活することになった。私たちの性質は悪魔的だったけれど、その中ではうまく隠して、人間的でいることができた。こっそりと、誰も巻き込むことなく私たちだけで循環させるのは、次第に慣れていったのもあって、さほど難しいことでもなかった。
十五歳までをそこで過ごして、街にも馴染んできた頃、私たちは都市部の学校に通うことを勧められた。母の言いつけ通り、真面目にこつこつ日々を重ねていたおかげで、私たちはたくさんの知識を吸収して、助け合いながら色々なことを覚えていった。そういう姿とか、特別に受けさせてもらった幾つかのテストの成績とかで、私たちは評価されていたようだった。
特に断る理由もなかった。私たちは二人でいられればそれでよかったし、平穏がある程度保障された以上は次に進むのもやぶさかではなかった。自分たちがより生きやすいようにと努力を重ねるのは、私たちにとって必要不可欠だったからだ。
幾らかの援助を貰って、私たちは都市部での生活を始めた。最初に鉄道に乗った時の昂揚は、なかなかに忘れがたい。それは互いに共有した感情で、窓を開けて顔に風を浴びては笑った。
それなりに人間らしく生きられている、という安堵があった。
未知の場所での生活も、時が経てばじき慣れる。治安の悪い場所、お金持ちが住む場所、学生の溜まり場、他色々。知識として蓄積したものを使いながら、これから先を思考する。私たちは二人じゃないとダメだ。ごはんのこととかも、考えないといけない。
穏やかに平和に暮らせればそれでよかった。けれど、そういう暮らしを手に入れるのが、一筋縄ではいかないこともわかっていた。だから必死になって日常を回した。食費を削りながら、私たちで循環していく。
私たちは二人でいないとダメなのに、衝突することもあった。図書館で本を読んだり、時には音楽を買ったりする中で、色々な疑問が出てきたのは確かだった。母が生まれたと言っていた村の伝承や、自分たちが十歳まで過ごした廃墟のことも調べた。ぶつかるのは決まって、私たちは何なのか、という話だった。あのまま教会にいればよかった、と後悔することもあった。でも、もう遅いと諦める。私たちには先しかなかったからだ。
病気が見つかったのは、二十歳の時だ。
医者に見せるわけにもいかず、家にこもるのが続いた。そうこうするうちに、体調はどんどん崩れていって、その時私は母の死に際を思い出した。まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。もう先のことなんて考える余裕もなく、私たちは教会のある街に帰ることにした。
鉄道の中で、換気のために窓を開けても、誰も笑いはしなかった。
二人でいなきゃダメだ、とずっと考えていた。
街の人は私たちを温かく迎えてくれた。彼らは私たちを何も知らなかったからだ。
暖炉の火が揺らめく部屋で、ベッドと椅子の上に分かれた私たちは、一つの約束をした。私たちが私たちであって、最後まで異形の神の断片でいるための契約だと言われて、私は頷く他なかった。人間であろうと努力した。けれど、結局のところ私たちの性質がそれを許さないのだと。私以上に強く思うのは、当然のことだった。
生まれたその時から、苦しみを押し付けつづけたという罪悪感があった。どうしようもなかったというのが理由として成立したとしても、どうしてなんだと思わずにはいられなかった。鏡写しの、痛みに歪んだ顔を見るたびに、私も痛くてたまらなかった。
そこに来て、私は初めて母を恨んだ。母から聞いた村人の臆病を呪った。伝承の神を罵った。
ここで生まれなかったら、もっと別のやり方があったかもしれなかった。私たちが私たちであるための証明を、こんな形でしなくてもよかったかもしれないと。
最後の三日間を、私たちは母の墓の近くで過ごした。不自然な位置に生えた木でどうにか場所がわかって、その木にもたれて色々な話をした。先しかないはずだった私たちは、過去に縋るしかないのだと知った。
楽しい明日はないかもしれない。あったかもしれない日々はもう訪れない。だから、楽しかった昨日を、あったと言える確かな日々を、思い返していたかった。
それでも三日目の夜には、次はどんな風に生きたいか、なんて、小説の読みすぎみたいな内容になって。
私はやっぱり、二人で一緒じゃなきゃダメだよ、と言った。
朝露が手の甲を濡らすので目を覚ました。
四日目の朝、繋いだ手は冷たくなっていた。
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