短編
十巴
くらやみ
刺さった。刺さり切った。確実に背中まで到達していた。下腹部を一直線に貫いた刃物は愛用の包丁。これで何度も料理を作ってあげたというのに。
「あなたのことが大好きだったのに……あなたの気持ちは私と同じだと思ってた……なのに浮気だなんて!そんなこと、あなたはしないと信じてたのに……」
泣きじゃくる彼女は今も変わらず愛らしい。女子高上がりのお嬢様にはこの仕打ちは厳しかったか。俺の方が料理が得意なことは知りながらも、必死に作ってくれたオムライス。俺の好みに慣れるために必死で辛い料理を食べていた彼女の汗ばむ体。すべてが懐かしく思い出された。
「ごめんね。でも、俺にとっては君が大切だったんだ。今まで出会った人とは違う、君だけの魅力は他の何にも代えがたかった。君の朗らかな表情、優しそうな瞳、何でも許してくれる寛大な心。君は魅力的なんだ」
甘い言葉をささやきながらも包丁が引き抜かれた場所から血がとめどなくあふれ出てくる。
「どうせ浮気相手の子にもそんなことを言ってたんでしょ……?浮気されたとわかってるのにそんな言葉を信じるほど私はバカじゃないの。もうあなたのことは何一つ信じられない……」
「ははっ……そうかい。もう信じてくれなくて構わない……兄さんも死んで、天涯孤独の身なんだ……こんな不誠実な遺伝子はもう耐える…
血がカーペットに染み込んでいく。目をかろうじて開けていてももはやぼやけて何も見えない。
「愛って……どんなものだと思う……?かわいいと好きの違いは……?俺は……好きってことは相手の内面まで好きってことだと思うんだ……だから……もし世界中の全員が君と同じ顔になっても……あの日……俺が選んでいたのは絶対に君なんだ……君と一緒にいたかったんだ……こんな結末を迎えてしまったけれど……一緒にいてくれてありがとう……俺は絶対に君のことを忘れないよ……」
「やめてよ……そんなことを言われたら……私……あなたを恨んでいいのかわからなくなっちゃう……この後、私はきっと逮捕される……この先の私の人生が台無しになったのは、あなたが私
の人生をかけなければならないほどの大悪人だったってことにさせてよ……」
「あぁ……たしかに俺は大悪人だ……君のような純粋な人をこんなにも傷つけて……これから先も苦しめ続けることになってしまう……だから……もう悔いはないんだ……俺のような人間は死んで当然なんだよ……」
それを聞いて、彼女の目から涙がぽろぽろとこぼれはじめた。
「ごめんなさい……私……とっても大切なことに気づいてなかったのかもしれない。私が……あなたを好きで、あなたが私を愛してくれているってこと。私はなんてことをしてしまったのかしら!!あなたが死ぬのが悲しい。まだ間に合うよね。今すぐ救急車を呼ぶわ!!」
彼女の声はもはや俺には届いていなかった。もう気力だけで意識をどうにか保っている。走馬灯が駆け抜けた。今までの幸せな日々が。
「恵美と行った水族館……イルカショーを楽しんでたら二人でびしょ濡れになったなぁ……」
「えぇ、そうね。待ってて。今すぐ救急車が来てくれるから!それまで頑張って!」
「かれんといった遊園地……ジェットコースターなんか苦手って言ったのに無理やり乗せやがって……」
彼女は受話器を置いた。
「かれん……?それ誰よ……?浮気相手はみなみって子じゃなかったの!!??」
彼女が何か叫ぶのだけがなんとなく聞こえる。俺はお構いなしに思い出にふけった。
「みのりとは一緒にパフェを食べに行ったなぁ……そうだ。ななの作ってくれた鍋。美味しかったしまた食べたいなぁ……かおりはお酒が好きだから鍋を二人で食べながら酒も飲みたかった……」
彼女らのことを思い出すとだんだん元気が出てきた。そうだ。俺にはまだやりたいことがたくさんあるんだ。意識がはっきりしてくる。もう一度、生きる気力が湧いてくる。
俺は起き上がり、恵美と向き合った。
「二人で、他の奴らに負けないくらい思い出を作ろうな。俺たちはなんてったって仲が良いんだからさ」
恵美はあっけにとられたように口をぽかーんと開けた。数秒後、彼女は叫んだ。
「死にかけて記憶がめちゃくちゃになってるの!?あなた……いったい何股かけてたのよ!!!」
ばれているのならしょうがない。ここは誠実なところを見せて名誉挽回といくのが男だろう。
「十人。十人の女性と俺は関係を持ってたんだ。さっきも言っただろ?兄さんが亡くなったって。兄さんは九股かけて、九人目に刺されて死んだんだ。刺されて病院に運ばれてきた兄さんがさ、言ったんだよ。あぁ、二桁いきたかったなぁって。それを聞いて俺は絶対十股かけてやるって決めたんだよね。最初は幼馴染のみなみ。クールな感じなんだけど恥じらった時のかわいさは群を抜いてるよ。二人目はかれん。元ヤンキーでいまでも赤髪なんだけど、ヤンキーの男友達にサクラになってもらって絡まれているところを助けただけでメロメロになったちゃって。みのりは食べるのが大好きなちょっとぽっちゃりな子で、スイーツ食べ放題には何度行ったかわからない。ななは小学校からサッカー一筋のスポーツ少女。大家族の長女だから面倒見がよくて話も上手なんだ。かおりは大人の魅力って言うのかな、とにかくフェロモンがすごい。十股かけるって目標がなかったら無警戒に近づいちゃって弄ばれてただろうね。リアはイギリスから来た天然ブロンドの美少女。やっぱり慣れない国で不安な子は簡単に……」
「ねぇ……」
「ん?何?」
「じゃあ私はあなたにとって何なの……?」
恵美がくすんでしまった目で俺を見つめて言う。これだから自分の魅力に気づいていない女は困るのだ。
「そりゃもちろんお嬢様学校上がりの清楚な女の子に決まってるじゃないか。やっぱり誰も散らしていない花っていうのは最高だよね。しかも俺のコレクションにはいないタイプだもの。君じゃなきゃダメだったんだよねぇ」
「ふふっ」
「え?」
「死ねええええええええ!!!!!!」
突如立ち上がった彼女の右手には包丁。そのまま俺の左胸をブスリ。
「これはっ、十人分!!絶対殺す!!私のことを死んでも思い出さないように苦しみながら死ね!!」
左わき腹、左手、首。叫びと共に穴が増えていく。彼女らを抱きしめた腕はもう動かない。血と共に、恵美との思い出が抜け出していくような気がした。
あぁ、でもやっぱり恵美はかわいいなぁ。俺のコレクションに選ばれただけはあるよ。
「こっちを見るな!!!二度と見るな!!!」
包丁は左のこめかみ下から両目を一気に貫いた。
もう何も見えない。
はぁ、はぁ。
彼はぴたりとも動かなくなった。
死んだ。
楽しい思い出も、すべて私の持つキャラを手に入れるための彼のお芝居だった。
もう何もなくなったのだ。これまでの人生の彼以外の全てさえ価値のないものに思えた。
「きゃああああああ!!」
背後から悲鳴。赤髪の美少女が青ざめた顔で立っていた。
「あんたが殺したの?」
この子がかれんなんだね。正義感が強そうで優しそう。
「そう、許せなかったんだ。彼のこと」
「了解。わかったよ。じゃあ私のやることは一つだ。手加減なんてできないから」
彼女は台所から取り出したフライパンで私の頭を思いっきり殴った。
薄れゆく意識の中でかろうじて呟く。
「魔法が解けないままならよかったのに」
ある日のニュース。
ある男性宅で住んでいた男性と他女性が十名死亡。死体のそばからは男性と十人の性行為を撮影したアルバムが見つかった。
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