第17話 ダイス君初登板。

「何だって?」

「ですから」

「聞こえとる聞こえとる」


 はああ、とトバリ監督は露骨に顔を歪めると、額に手を当て、大きなため息をついた。


「何だってまあ、お前等は、俺のシワだの白髪だのを増やすような真似をしてくれるんだ……」

「で、今は医務室に居る、と言うことですが……」

「どっちにして、ひねったなら、今日は奴は出せないな。踏ん張りが効かないし……」


 ううむ、と監督はうなると、椅子に背を投げ出し目をつぶり、腕を組んだ。

 数秒、そのまま考え込む。

 そしてぱち、と目を開けると。


「よしダイス。お前出ろ」

「は?」

「お前出ろ、と言ったんだ、ダイス」


 は、と彼は少しの間、どう答えていいものか迷った。

 無論、「その時」がいつか必ず来るとは思っていた。だが、初登板がこんな形で来るとは。


「俺が、ですか?」

「お前も先発要員だろうに? それに、お前以外、今のローテーションの中で、使える奴がいないだろう」


 つまりは、今の所の監督の考えるローテーションから、外れていた、ということなんだが。


「そうと決まったら、もっとちゃんと投げ込んで、肩を暖めておけ!」

「は、はい!」


 さすがに彼は、まだいまいち頼りない返事しかできなかった。

 だが迷っている暇はなかった。

 とにかく再び練習場に戻らないことには仕方ない。ダイスはは足早に、廊下を進んだ。

 と、ふとトイレの横を過ぎようとした時、自然の欲求も思い出した。そもそも、彼はトイレに行くはずだったのだ。ずいぶんと回り道になってしまったものだ、と苦笑する。

 古典的ビアホールの様な、胸の上くらいからしかない観音扉に彼は手を掛ける。その時。


「―――だったらいいんだよ」


 マーティの声が彼の耳に入って来た。

 誰と話しているのだろう?

 ダイスは扉に掛けた手を離し、耳をそばだてた。


「怒ってますか?」

「いいや」


 怒って?

 この声は、アプフィールドだ、とダイスは気付く。あの明るい営業社員の声だ。

 彼がマーティに何かしたのだろうか?


「誰のせいでも無いんだ。結局いつかは、離ればなれになることは、判ってた。目をつぶってただけだ。俺も奴も、良く知ってた。だから、あの時のことは、きっかけとしては、そう悪くないと思う。―――かなりの荒療治だったがな」

「なら良かった。奴と連絡は、取れるんでしょう? 元気ですか?」


 ああそう言えば、友達の友達、と言っていたな。ダイスは思い出す。


「何かね。奴が発つ時に、ずっと気付かなくて本当に悪かった、と言ってたんですよ。無論それは、俺は別に大したことじゃない。あなた同様、仕方ないことだった訳でしょう」

「まあな。あれ以上『仕方ない』ことはそうそうないね」


 どういうことだろう。ダイスは、胸の鼓動が激しくなる自分に気付く。


「でももう、過去だ。お互い、それはそれとして、昔も今も未来もちゃんと手に入れなくちゃならないんだよ。そのためには、離れてみるってのはいい方法だ、と俺も思う」

「そうなんですか」

「それでも、何年か、一緒にアルク中でドンパチやらかした仲間だからな」


 ドンパチ!? ひっ、と思わずダイスの顔が引きつった。


「口では何とでも言えるんですが、奴は昔から結構強情ですから…… だから余計に、俺のとこにはさっぱり知らせもよこさないんですよね。幼なじみとしては、なかなか切ない限りですがね。そういう意味では、一応居場所を知ってるあなたのことが羨ましい」

「だけどなあ、通信はOKでも、まだ会えない、とそのたびに言われるのも、切ないものだぜ?」

「そうなんですか?」

「ああ。一昨日、ここの情報を送ってもらったが…… その時もそうだった」

「元気で、やってるといいんですがね」

「全くだ」


 ははは、と力の無い笑いが、どちらともなく洩れた。

 なるほど、あの時のマーティが持ち出した詳細な球場の見取り図は、その「共通の友達」から送られたものなのか。ダイスは納得する。

 彼の中で、急激に、好奇心が膨らんで来た。

 彼等の誰にも、ストンウェルにすら、そうそう明かしはしないマーティ・ラビイの過去が、かいま見える。

 そう思ったら。


「おい! 誰かそこに居るのか?」


 その当事者の、大きな声が飛んだ。

 ダイスははっとして、反射的に身体を反らした。観音開きの扉は揺れてしまう。無意識に身体をくっつけていたらしい。

 彼は仕方なく、扉を開く。


「あれ、スロウプ君、さっきトイレに行ったんじゃなかったの?」

「だから、あなたのせいで、寄り道する羽目になったんじゃないですか、アプフィールドさん」


 少しばかり顔を赤らめて、ダイスはむきになる。立ち聞きがばれた分、ついそんな態度に出てしまうのだった。


「ああ、そうだった。伝言、ありがとうな」

「伝言?」


 マーティは何のことだ、という顔で二人を見た。どうやら彼にはその話は回っていないようだった。


「あ、マッシュがケガして、今日の先発ができない、ってことをちょうど会ったスロウプ君に、監督に伝えに行ってもらったんだよ」


 うちの選手をこき使うなよ、と彼は苦笑しながらアプフィールドをこづいた。


「……えー…… そしたら監督に、今日は俺が投げろ、って言われました」

「お、やったじゃないか!」


 つかつかとマーティはダイスに近づいた。

 何だ何だ、と思っていると、ぐい、と両肩を持ってマーティはゆさゆさとダイスを揺さぶった。

 わわわわわ、と彼が何も言えないでいると、じゃあな、とアプフィールドはその隙に、扉を開けて出て行った。

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