第10話 手分けして球場の客席見回り~ヒノデ夫人のお小言
「それにしても暗いよなあ」
ストンウェルは手のひらに入るくらいのライトで、足元を照らす。
本当に夜の野球場は暗い、とダイスは改めて思う。
月の明かりはあるだろうが、それは外に出てからの話だ。
灯りの無い通路は、自分の足がちゃんと地についているかを疑う程に、暗い。
「おおおおっと。おいダイス、お前よく、転ばずに帰ってきたね」
少しばかり身体のバランスを崩したらしい。ストンウェルは変に感心する。さすがにそう言われてしまうと、実は一度転んでいるのだ、ということはダイスは言えなかった。何となく悔しい。
「皆さん、大丈夫ですかね」
「まあ、大丈夫だろ」
あっさりとストンウェルは言い放った。
「ずいぶんと、あっさりですね」
「慣れてるしなあ」
「慣れ……」
「去年もうん、色々あったしなあ」
「色々……」
こんなことが、「色々」あった、というのか。ダイスは次の言葉を失う。だが何も言わずに居るのも、何となく場が持たないような気がする。
「結局マーティさん、一人で行っちゃいましたね」
「そーだよな。ああ残念」
「残念、ですか?」
「俺も奴と組みたかったの」
俺「も」とストンウェルは言った。それは自分が彼と組みたかったことを見透かされている様な気がして、ダイスはやや憮然とする。
と同時に、何故自分がこの人と組まなくてはならないのか、ということに、意味もなく、理不尽なものを感じてしまう。
―――あれから、皆で手分けして、球場の客席をざっと見回ろう、ということになった。
七人を四つに分けて、NW・SW・SE・SWと大きく書かれた文字から文字の間を回る。そして七人だと一人余るから、自分がおみそになる、と言い出したのが、マーティだった。
「まあ奴が一番この類のことには手慣れてるし……なあ」
「手慣れてるんですか?」
「まーな。うん、俺達の中では奴が一番詳しいしな」
「そうなんですか……」
ダイスはふと自分が気落ちしていることに気付いた。理由は明白だった。この類のことにマーティが一番詳しい、ということを、皆が知っていて、自分が知らない。
自分一人がみそっかすになった様な気分だったのだ。
無論、前を行くストンウェルが、そんな彼の気持ちを聞いたら、言うだろう。一年キャリアが違うんだよ、と。
ただ彼はまだ若かった。倍近い時間を生きている男と、比べてはいけない。
「……で、ストンウェルさん」
「何だ?」
「本当に『爆弾』あったら、どうするんですか?」
「まあなあ……」
のそのそ、と彼は座席の間に頭を突っ込んで、携帯ライトで照らしながら答える。
「まあ何かあればあったでよし。無かったら無かったで―――」
無かったで? ダイスは先輩投手を見た。
「その時はその時だ」
*
そうこうして、あちこちを見回っていたのだが、不意に、「SW」から集合の合図があった。
何だろう、と慌てて二人も「SW」方面へと向かった。
そこには、何となく複雑な表情をした五人と、もう一人、スーツを常用している様な、痩せぎすの、いかめしい顔をした男が居た。
「何か…… 見つかったんですか?」
ダイスは息を切らして問いかける。いきなり止まってはいけないのは、判るのだが。
「……えーと」
どう言っていいのかな、と言いたげに、マーティは髪を掻き上げた。
「君等が言いにくいなら、私が言ってやろうか?」
あれ、とダイスはふと何か、引っ掛かるのを感じた。
「いえ、こちらから…… えーと、皆、こちらの方は、うちが今日明日明後日対戦の、エンタ・ジャガーズのオーナーで」
「ワールディ・ジャガーだ。ふん、寄せ集めチームだとは聞いていたが、敵球場でこそこそとするあたり、やっぱりな」
何を、と思わず跳ね上がりそうになったテディベァルをトマソンが押さえる。なるほどこういう時にこのコンビは合っている、とついダイスは感心する。
「申し訳ございません。少し、この球場について、もう少しよく知りたかったので…… 何せ、この球場は珍しい形をしてらっしゃいますので、我々もつい……」
ミュリエルは礼儀正しく、「先生」流の丁寧さで謝罪する。
「そんな、珍しいか」
「興味深いです」
なるほど、とジャガー氏は後ろ手を組むと、もういい、という仕草をした。
「ただし、そっちのオーナーには、一言言わせてもらうぞ」
仕方ないな、と彼等は顔を見合わせた。
*
『全くあなた方ねえ……』
通信端末の向こうで、ブランカ・ヒノデ・クロシャール夫人はため息を一つつき、額を押さえた。
その拍子に、結い上げた栗色の髪が一房、ぽろんと落ちていた。
彼等の「アルク・サンライズ」のオーナー。レーゲンボーゲン星系でもトップクラスの食品産業である、「クロシャール」社のトップでもあるこの女性は、まず簡単には驚かない、とダイスは聞いていた。
ちなみに、この女性のセカンドネームである「ヒノデ」が、チーム名の「サンライズ」の由来だという。ミュリエルによると、失われた言葉ではそう言うのだ、とのこと。
「クロシャールという優雅な響きよりは、スポーツ向きではないですかね。でもクロシャール、だって確か酒飲みでふらふらしている何か、だったような気がするんですが……」
「先生」はついでにそう付け加えた。
「……でも、そう簡単には驚かないって、どのくらいですか?」
朝食の席で彼は先輩達に問いかけてみる。
「んー…… いや、普段も普段だけどなー……」
ストンウェルはやや困った様にホットミルクを口にしながら、天井に視線を飛ばした。
「俺達が入団するきっかけになった『テスト試合』ってあったろ、ダイちゃん」
マーティは大きな口を開けて、厚切りトーストを口にする。はい、とダイスはうなづいた。
「あの時にちょっとしたトラブルがあってな」
ちょっとした、かい、とストンウェルは小さくつぶやく。
「小さい、でいいんだよ。とにかくその時に、観客がパニック起こしそうになっちゃったの」
「げげ」
ダイスは驚く。それは彼の目にしたマスコミでは伝えていないことだった。
「その時に、あのひとは、何か、一般席で見てたんだと。そこからグラウンドに出て来て、『今まであなた方と一緒に自由席で見ていた私が大丈夫な程度には、安全は保障されております』と言い切ったんだよ。……そんな保障、実は何処にもなかったのにね」
「で、そのままあのお方は、ずーっとその観客席で試合を最後まで見たんだと」
ストンウェルが続ける。
「ま、確かに、トップに何かあってはいけないのは確かだからな。彼女が一般自由席に混じる、と自分で動いた段階で、周囲もそれに対応した、ということもあったんだろうなあ……でもな、ダイちゃん、俺からしてみれば、あれは絶対はったりだったと思うよ」
「へ?」
実に楽しそうに言うマーティに、ダイスはふと不思議に思った。すると隣に座る特権をもって、盟友の肩をがっちり掴みながら、ストンウェルは言う。
「だってなー、その騒ぎって、あんたが巻き起こしたんだもんなー、マーティ」
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