サンド・メイカー
エド
サンド・メイカー
現実の吸血鬼というのは実に面倒だ。
太陽の光は心地よいらしいし、十字架を見ても一切ひるまない。ニンニクだってバクバク食うし、招かれなくても他人の部屋へとズカズカ入る。流れる川やらプールなんかもエンジョイ出来るし、鏡を眺めてメイクも落とせる。小説やらアニメやら漫画やらで出てきた弱点なんざ、ほぼ全てが嘘っぱちだ。そのくせ不老不死だとか仲間を増やせるだとか、そういう恐ろしいところは一致してるから腹が立つ。
とはいえ、殺せないわけではない。条件こそ限られているが、既に殺害方法は確立されている。そして〝それ〟を実行するために、まさに今アタシらは走り回っているのだ。
『ごめんニコラ、しくじったわ。逃げられた。でも右肩は貫いたから、しばらくは血痕で追えるわよ。そっちは今どこ? 何号室にいるの?』
小型の無線越しに現状を報告してきたバディに、アタシは「804号室を調べ終えたとこだ! ベッドでサカってたカップルが一組! 外れも外れだクソッタレ!」と返事をする。心配になったので続けざまに「噛まれちゃいねぇな!?」と叫ぶと、琴のような透明感をまとう声で「問題ないわ。ありがとう」と答えてくれた。
『好きよ、ニコラ。そうやって第一に誰かを心配出来るあなたが大好き』
「そりゃどうも。ところで、血痕で追えるっつったな?」
「ええ」
「残念だが、無理だな」
心地の良い声色に癒やされる時間を与えられることもなく、アタシは眉間に皺を寄せて大きく舌打ちをする羽目になった。
何故なのか。答えは極めて単純だ。
「野郎、跳ぶぞ!」
『……くっ!』
アタシの視界に、808号室の扉を破砕して飛び出してきた吸血鬼――プロレスラーかと見紛うほどに恵まれた筋肉を纏った男だ――が入り込み、あまつさえ廊下の窓へとタックルをかましたからだ。
高所用なのでそれなりに分厚く作られているはずのガラスが、撮影用のそれよろしく枠ごと派手に割られる。そしてそのまま、アタシの予想通りに吸血鬼は落下していった。傷が塞がるまでの時間稼ぎをも兼ねているんだろう。
だが〝たかがその程度〟ならアタシらでも出来る。
「コゼット!」
「ええ!」
アタシはバディであるコゼット・ルヴィエの名を叫ぶと、最も近場にあった分厚いガラス窓を〝一蹴りで〟粉砕した。そして両手に納まっている自動拳銃の残弾数を脳内で数え直す。そうしている間にコゼットは、170cm近くはある自身の背丈とそう変わりない長さの槍を手に、先程吸血鬼が破壊したばかりの窓から迷いなく飛び降りた。腰まで伸びた金の髪が風で波打つのは美しいが、見惚れている場合ではない。
負けじとアタシも、床を蹴って空に飛び込んだ。
果たして着地を成功させたアタシらを待っていたのは、スレンダーな女の首へと自慢の牙を突き立てる吸血鬼であった。下半身にテントを作りながら食事を楽しんでいる様は実に下品だ。そして満足したのか牙を抜くと踵を返し、突然の出来事を前に混乱してしまった群衆の中へと逃げ込もうとする。
ならば、とアタシは〝血を吸われた女がおもむろに立ち上がる〟様子を一瞥し、コゼットに「任せていいか?」と尋ねる。コゼットが無言で頷いたので、アタシは再び地を蹴って高く高く跳躍した。
常人ではまず再現不可能であろう滞空時間を生み出し、やがてアタシは着地する。
眼前では、追い続けた吸血鬼が目を丸くしている。それだけではない。どこか尻込みしているように見える。否、そうとしか見えない。あり得ない方法であっという間に追いつかれたことが、そこまでショックだったのだろうか? だとすれば、かなり嬉しい。
「じゃあな」
左手の自動拳銃を、相手の眉間に向ける。
これはまずいと思ったか、再び相手は回れ右をしようと動き出したが、もう遅い。
吸血鬼に存在する唯一の弱点部位である眉間へと、アタシは渾身の早撃ちをかましてやった。結果は当然大成功。両目の間を抉られた吸血鬼は叫び声を上げ、泥酔した人間よろしくふらふらと身体を揺らすと……やがて灰のように細やかな砂と化した。
「よかった。終わったのね……尻拭いをさせてごめんなさい」
「馬鹿。何のためのコンビ制だと思ってんだ……それより、お前も無傷ってことは……」
「ええ。済ませたわ……あの女性には気の毒だったけれど」
「何年経っても被害0は難しいな。たまにゃ気持ちよく終わらせたいもんだが」
雲一つ無い青空を見上げたアタシは拳銃をホルスターにしまうと、短い黒髪を軽くかきむしりながら呟く。
しばしそうしていると、コゼットが「報告に戻りましょうか」と静かに言ったので、気持ちを切り替えて本部に戻ることにした。
◇ ◇ ◇
吸血鬼が地球に跋扈するようになったのは、数十年前のことだ。
ある日、ヨーロッパのどこかに一つの小型隕石が飛来し、大地と熱いキスをぶちかました。ドデカいクレーターが生まれるほどの、強烈なやつをだ。
そしてタチの悪いことに、その隕石にはとてつもなく小さなワーム状の地球外生命体が貼り付いており、奴らは隕石の謎を解析していた研究者達へと牙を剥いたのである。運良く無傷で済んだ研究者曰く、奴らは突如として肉眼で観測出来るほどのサイズのものへと変貌し、防護服を突き破って彼らの身体へと侵入したそうだ。
続いて、その第一波を免れた者達に対し、侵入された研究者――そのほとんどが、かつては温和な性格であったそうだ――が攻撃行動を開始した。具体的に言うと、腕や首筋など……とにかく人間の肉体に噛み付いたのだ。そのために他人の防護服を引き裂き、時には邪魔な机などを拳一つで破砕する姿は人間が成せるそれの範疇ではなく、間違いなく怪物の領域へとどっぷり浸かっていた。
更に凶悪的だったのは……噛み付かれた人間が、最初に寄生された研究者と全く同じ行動に走ったところだ。そうして研究所で作業をしていたほとんどの人間は怪物と化し、野に解き放たれたわけだが……ここまで話が進めば後は誰でも〝その後〟を想像出来るだろう。
お察しの通り、怪物は爆発的に数を増やした。
そして数を増やすための行動から、いつしか怪物は吸血鬼と呼ばれだした。
人類は未曾有の危機に陥った。
だが、だからこそ立ち上がった人間が存在した。
おかげで今日もアタシらは生きている。
絶望で埋め尽くされかけている、この世界で。
◇ ◇ ◇
ロータス&アレクセイ・ファウンデーション。
工業分野とバイオ分野において多大な功績を生み出した企業が手を組むことで誕生したそれは、今や世界中に支社を展開する世界企業となっている。話によると、遙か東のニッポンにもかなりの数の支社が存在するというから驚きだ。
何故そこまで大きくなったのか。それは先の通り、工業分野とバイオ分野においては右に出るものはいない二つの企業が合併し、強固になったからなのだが……理由はもう一つ存在する。
それは……この企業の真の狙いが、地球上から吸血鬼を一掃することだからだ。
工業部門は〝吸血鬼を即座に処分するために〟と武器や兵器を作り、バイオ部門は〝多くの吸血鬼に対して同等以上に戦える人材を生み出すために〟と人体改造を行っている。それと吸血鬼に更なる弱点があるのではないかと研究も続けている。
つまりアタシらはいわゆる改造人間だとか強化人間だとかいう存在であり、その上で吸血鬼を殺すためだけの武器を振るっているからこそ、吸血鬼と互角に戦えているわけだ
ちなみに、倫理的にどうなんだ……という〝お気持ち表明〟は過去にバンバン送られてきたそうだが、そうした意見を送っていた団体などがいざ吸血鬼に襲われると、あっという間になりを潜めたらしい。人間とは解りやすいもんである。
「コゼットよぉ……マジで思い出せねぇか?」
「色々考えたけど、全く身に覚えがないわね。強いて言えば……窓?」
「あれは仕方ねぇやつだろ」
「ごもっとも。だけど他に思いつかないんだもの」
そんなトンデモな企業の本社へと赴いたアタシとコゼットは今、エレベーターの中で顎に手を当てつつ過去の記憶を漁っている真っ最中であった。
というのも、上司のオッサンに今回の吸血鬼処分の結果報告をしたところ、いきなり手書きもメモを手渡されて「この部屋で待ってるからすぐに来ること。いいな?」と命じられたのである。しかも険しい表情で言われたものだから、これにはアタシもコゼットも目を丸くするしかなく、しばらくしてから〝始末書モノの何かが今頃になって出てきたのでは〟と二人して思考を巡らせ始めたのだ。
だが会話の内容通り、当てはまるような出来事は思い出せなかった。そうしている内に階数を示す数値は次々と変化していき、タイムオーバーを告げるようにエレベーターの扉が開く。もしも理不尽なことで怒られる羽目になったなら、コゼットと一緒に食堂で大盛りパフェでも食っちまおう。そんなことを考えながら、アタシは指定された部屋の扉をノックした。
「どうぞ」
件のオッサンが扉越しに返事をした。何かの面接にでも来た気分だ。
アタシはコゼットと顔を合わせると、一度だけ頷いて扉を開いた。
「ニコラ・イングラムです。失礼します」
「コゼット・ルヴィエです。失礼します」
すると、
「ニコラ! コゼット! 入社六周年&コンビ継続六周年、おめでとう!」
「おめでとう! 今年も生きて迎えられたわね! 本当に、良かった……」
「さぁさぁ、毎年おなじみの花束にケーキだ!」
オッサンだけなく様々な人々が、アタシらを満面の笑みで迎え入れた。
何が何だかよく分からなかったため、アタシは「……あん?」と柄の悪い声を出してしまう。一方で頭の回転が早いコゼットはすぐさま現状を理解したらしく、開花の瞬間を思わせるほどにぱあっと明るい表情を浮かべた。
「あ、あぁ! あぁ! そういうことかよ! クッソ、マジでビビったぁ! 去年までは前もって教えてくれてたじゃねぇか! 急すぎんだよ、何もかもがよぉ!」
「はっはっはっ! 遂に五年を超えたってことで、今回はサプライズにしてやろうと思ってな! どうだニコラ、コゼット! 絶対何か怒られると思っただろう!」
「思ったわよ! ニコラと一緒にずうっと考えてたもの! でも、ふふっ! こういうのもとってもいいわ! 本当にありがとう!」
「来年はちゃんと言えよな!」
そしてようやく理解が追いついたアタシも、上司に椿を飛ばす。
いいや、オッサンにだけじゃない。いつもアタシらの武器を手入れしてくれている整備班の人間や、身体に異常がないかを事細かにチェックしてくれる医療班の人間、そして脳や心の調子を整えてくれるカウンセラーの人間、その他諸々の社員も集まってくれているので、もういっそのことと全員に叫んだ。するとアタシのリアクションが相当ツボに入ったのか、全員が腹を抱えて笑い出す。そのおかげでようやくアタシは怒られずに済んだこと、そして〝この一年もまた無事に過ぎ去ったのだ〟ということを実感した。
それはそれとして、バラバラに鳴らされたクラッカーがうるせぇ。息を合わせろ。
「ま、でも……その……サンキューな」
「何を言ってる。礼を言うのはこちらだ。お前達が生き続けていてくれて嬉しい。ありがとうな」
六周年か……と胸中で呟きながら、アタシは黒髪をガシガシと撫でるオッサンの手を受け入れる。
六年。そう、六年だ。いくら最先端の機械工学やバイオ技術を駆使しようとも、実戦へと投入されて二年三年も経たずに返り討ちに遭い、人としての生を終わらせられてしまう奴らも決して少なくないのだ。そんな中でコゼットと共に六年もの歳月を共に出来ているというのは、非常に恵まれた話だろう。
などと考えていると、カウンセリング担当の姐さんがアタシに大きなタブレットを渡してきた。どういうことかと尋ねてみると「これ、二人にあげるわ。ニコラちゃん達がここに来たばかりの頃から撮りためた画像や動画を入れてるから、見返してみなさいな」という答えが返ってきた。コゼットが「仕事に使う端末じゃないの?」と当然の心配をするが、曰くタブレットを新調し、データは全てそちらに移したから大丈夫とのことらしい。
「当然、画像と動画も新しい方にコピー済みだからそこのところも一切問題なし。辛気くさい話で申し訳ないけど、五年以上ずっと一緒にいられるペアは珍しいから……見られるときに何度も見返して欲しいなって。余計なお世話だったらごめんなさいね」
「いや……姐さん、ありがとう」
「私からも……ありがとう」
六年もの歳月が詰め込まれたタブレット。その〝重み〟を急に意識してしまったアタシは、コゼットに「持ってみるか?」と尋ねる。頷いたコゼットが両手で受け取ると、同じく感傷的になってしまったようで「重い……」とだけ呟くと、アタシとは違って恵まれている胸に抱きしめ、そのまましばし両目を閉じた。
「おーい、コゼット。あんまりじっとしてっと、食べもん全部食い尽くしちまうぞ」
「それは困るわ! フライングは無しでお願い!」
それからワイワイガヤガヤと、騒がしい宴が幕を開ける。
サプライズだったことにはキレ散らかしてしまったが、やっぱり皆で食って騒いで馬鹿笑いするのは楽しいもんだ……と、アタシは再認識するのであった。
◇ ◇ ◇
そしてその夜、寮に戻ったアタシらは姐さんから言われたように、過去の画像や動画を何度も見返した。
最も古いファイルは、アタシらがまだ10歳だった頃。
当時のアタシは今よりも目つきが悪く、同時に態度も悪かった。何かあればすぐに癇癪を起こすような、そんな性格だった。
当時の姐さん曰く、この頃のアタシは心が壊れていたらしい。
アタシがこの企業に転がり込んだ理由。それは、優しかった両親がアタシの眼前で吸血鬼に襲われ、同族へと変貌させられてしまい……駆けつけた処分班によって元凶ごと殺されてしまったからだ。吸血鬼によって変化した人間が元に戻ることはない。それは学校の授業でしっかり習っていたが、今よりも更にガキだった当時のアタシには到底受け入れられなかった。
そりゃ、心も壊れるという話だ。
そして保護されたアタシは、一切の躊躇もなく吸血鬼への復讐を決意した。結果的に両親をも殺した奴らと同じ立場になることに対しては、非常に複雑な思いを抱いていたが……カウンセラーの姐さんに心をほぐしてもらいながら、半ば強引に〝仕方がなかった〟と思うことで乗り切った。
そしてバイオテクノロジーの力によって強化人間となったアタシは……一週間程経った頃に、同じ歳の少女と共に暮らし、力を高め合うようにと命じられた。
その相手こそが、コゼット・ルヴィエだ。
彼女もまた吸血鬼によって人生を狂わされた人間だったが、アタシと比べるとかなり事情が複雑かつ酷い。
まずコゼットは、母親からほぼ毎日暴力を受けていた。幼い頃のコゼットは、他人とコミュニケーションを取ることが苦手であったり、学校に行く年齢になってもなおおねしょが止まらなかったりと、他の子供と比べて色々と成長が遅かったらしく……そのことを憎らしく思った母から、理不尽で行きすぎた体罰を受けていたのだ。
コゼット曰く、母の口癖は〝どうして他の子みたいに出来ないの〟だったそうだ。
父親は止めなかった。いや、正しく言えば止められなかった。身体が弱く病気がちだった父は、母にとって何の障害にもならなかったのである。
そしてある日、よりにもよってその母が吸血鬼へと変えられた。しかも彼女は弱々しかった夫を同族へと変化させ、学校から帰宅したコゼットに襲いかかる瞬間を今か今かと待ち受けていたのだ。やがてそうとも知らず家に戻ったコゼットはあっさりと捕まり、両親によって首筋を噛まれる寸前にまで追い詰められた。だがそこでようやく処分班が到着し……アタシと同様、奇跡的に命を拾ったというわけである。
ここに転がり込んだばかりのコゼットは、とにかく暗くて難のある性格だったが、そこはやはり大企業。アタシのときと同じくカウンセラーの姐さんが全力を出してくれたおかげで、今はアタシなんかよりも遙かに出来る凄い女になっている。
「結構な問題児だったよなぁ、アタシらって」
「ええ。本当に、その通り。でも……」
「ああ。マジで姐さんは凄ぇよ。尊敬する。あの人がいなけりゃ今でもアタシらは……」
「……でも私は、ニコラのおかげでもあるって思ってるわよ」
「は? なんでだよ」
そんな凄い女から唐突に褒められたため、アタシは面食らってしまった。
癇癪持ちの気が未だに残っているアタシが、そんな大層なことをしていただろうか。むしろこの企業に転がり込んできたばかりの頃は、きっとアタシのことをただのやかましい奴だと思っていただろうに。
少し恥ずかしいが、それでも好奇心が勝ったので改めて「何かしたか? アタシ」と問いかける。
「だってニコラは、私が何か失敗しても絶対に怒らないでいてくれたもの」
その返答に、アタシは「ああー……」と小さく呟いた。
「訓練中にずっと苦戦してても〝どうしてアタシみたいに出来ないんだ〟って訊かないでいてくれた。それだけで私は、私は……とっても、救われたの」
そう言ってタブレットを両手で持ち上げ、五周年記念のときの記念写真を眺めだしたコゼットに、アタシは「言うわけねぇだろ、そんなこと」と小さく笑った。
アタシはコゼットの母と違って、人間は皆平等に無力だってことを理解している。吸血鬼によって両親を失ったその日から、ただの人間というのはどうしようもなく何も出来ない生き物なのだと思い知らされたのだ。
だったら、コゼットが恐れていた言葉を口にするはずがない。当時のアタシだって、あの化け物共からすれば砂埃程度の障害未満の何かだったのだから……自分が言われて嫌なことを、大事なバディに吐き捨てるわけがないだろう。ましてや、早く実戦に投入にされるためにと身を削って修行を続けている少女に、そんなことが言えるものか。
「不思議と、ずっと言ってなかったわよね……ニコラ、本当に、本当にありがとう」
タブレットを机へと置き直したコゼットが、アタシを力強く抱きしめる。
そんな彼女の耳元で、アタシは「こちらこそ、だ」と呟く。
「癇癪持ちのガキだったアタシを、見捨てないでくれてありがとうな」
そしてこちらから強く抱きしめ返すと、
「コゼット。これからも頑張ろうな。そんで、一緒にしわくちゃのババアになるまで、生き抜いてやろうぜ」
訓練時代から……そして今日のように、バディとなってから一年が経過する度に繰り返してきた言葉を紡いだ。コゼットは「ええ。ずっと一緒にいましょうね」と静かに答え、更に「好きよ、ニコラ。大好き」と囁く。
なんだか恥ずかしさを覚えたアタシは抱擁を解くと、コゼットに「もう寝るぞ」と言ってベッドに潜り込んだ。するとコゼットは「……ええ」と答え、タブレットの電源と部屋の灯りを消し、同じく自分用のベッドへと潜り込むのだった。
◇ ◇ ◇
数日後、市街に女性型の吸血鬼が出現したということで、アタシとコゼットはいつものように出撃した。大型ショッピングモールの内部で突然市民に牙を剥いたらしく、現場は混乱の渦に巻き込まれている。
このままではパンデミック一直線だ。アタシはコゼットに「気張っていくぞ!」と叫び、戦場と化したショッピングモールを共に駆けた。当然、道中で発見した吸血鬼達――即ち、女吸血鬼に襲われた元人間達だ――を処分するのも忘れない。
そうやって何十体もの吸血鬼を処分した頃に、ようやく〝保護部隊〟が到着した。その名の通り、ガキの頃のアタシらを企業へと送ってくれた支援部隊だ。今回はまだ被害に遭っていない一般市民達を店内から避難させることに集中してくれている。おかげでパニックは少しずつ収まり始め……数十分ほど時間が経過した頃には、店内に残っているのは数体の吸血鬼とアタシらのみとなっていた。
眼前には、三体の被害者と……彼らを同族へと作り替えた女吸血鬼が立っている。
面倒なので、両手の自動拳銃を同時にぶっ放す。銃弾は見事に二体の眉間にヒットし、哀れな被害者達は真っ白い砂と化した。すると女吸血鬼は、煽るようにゆっくりと拍手をしながら「やるわねぇ。さすがにわたしもピンチかしらぁ?」と牙を見せつけるように笑った。
どう見ても本心ではない。この態度を見る限り、相手はかなりの場数を踏んだやり手の吸血鬼なのだろう。そうでなくてはショッピングモールなどという〝場所を特定されやすいランドマーク〟なんぞで暴れ出したりするものか。
などと推理していると、残る一体の被害者が真横に向かって走り出した。一瞬だけ表情を確認したが、何やら怯えている様子だった。恐らくは力量の差を思い知り、同族を増やすためにと店外に姿を消すつもりなのだろう。舌打ちをしながら銃口を向けるが、この位置からでは眉間を狙うことはまず不可能だ。一体どうするべきか。
「私が行くわ、ニコラ」
無い知恵を絞って必死に考えていると、銀の刃が煌めく美しい槍を構えたコゼットが言った。アタシは「出来ればこいつは二人で叩きたいんだが……」と共闘を願うが、彼女は「あれを仕留めたら、すぐに戻るわ。大丈夫、ニコラならそれまで生き延びられるから」と信頼度100%の言葉が返ってくる。
仕方がないので「マジで早めに頼んだぞ」と答えたアタシは、頷いてすぐに走り出したコゼットを見送ってから、女吸血鬼を睨み付けた。
「うふふ。あの子が戻るまで、あなたは人のままでいられるかしらねぇ?」
相手の煽りに対し、アタシは言葉を交わす代わりに引き金を引いた。
だが眉間には当たらない。アタシの行動を読み切っていたのか、既に相手はこちらへと高く跳躍していたのだ。
突如として長く伸びたマニキュアまみれの爪が、アタシを切り裂こうと迫り来る。瞬時に後退することでどうにか避けたアタシは、続けて三度銃弾を放つ。一発目は爪によって切り裂かれ、二発目は避けられ、三発目はまたもや爪で防がれた。
特別製の弾丸を弾くとは、やってくれる。強化手術を受けていない人間ならば、大の大人でも一発撃てば肩が外れるほどの大口径拳銃を相手にしているというのに、よくもまぁ軽々と離れ業をやってのけてくれる。アタシは「ったく!」と吠えると、コゼットが向かっていった方角を一瞥した。
生前の被害者はかくれんぼが得意だったのか、未だにコゼットは戻ってこない。これほど入り組んだ建物の中ならば、さすがに変貌したばかりの吸血鬼が相手といえども苦労はするか。
「てめぇ、これまでどんだけ食ってきた? 爪を伸ばせたりするからにゃ、両手の指で足りる数なんてこたぁねぇよなぁ?」
「そうねぇ……どう表現したものかしらぁ……敢えて言うなら〝いっぱい〟?」
人の血を飲めば飲むほど、吸血鬼は力を増してゆく。
間違いない。この女は数えるのが億劫になるほど、血を吸ってきたのだろう。やはり一人では手が余る。コゼットがなかなか戻ってこないこの状況下では、一対一の勝負を挑むのは無謀と言って差し支えない。ならばとアタシは本部に連絡を行い、別のコンビを何組か送ってもらおうと企んだ。
が、その瞬間に相手の爪が伸びる。
刃物と化したそれによって破砕したのは、アタシの左耳に装着されていた通信装置だった。
「もっと楽しみましょうよぉ。あなた達みたいなかわいこちゃんを仲間にするのは久方ぶりなんだからぁ」
そして、まずいと思った直後に蹴りをぶちかまされた。
ギリギリで腹筋に力を入れたため、内臓へのダメージはそこそこのレベルで済んだものの、遙か後方まで吹き飛ばされた挙句にしばらく床をごろごろと転がるという無様な姿を晒してしまった。まだか、コゼット。両肩を上下させながら立ち上がったアタシは、内心で彼女の帰還を全力で懇願する。通信装置を破壊された今、頼みの綱は彼女のみだ。
幸いにして、敵はこちらをなぶることに快感を覚えている。恐らくはそこいらの吸血鬼とは違い、即座にアタシを同族へと仕立て上げることはしないだろう。とはいえ〝楽しみましょうよぉ〟という言葉から察するに、アタシを相手することに飽きてしまえばそれまでだろうが。
大きな咳を何度か繰り返したアタシは、この状況を忌々しく思うあまりに「ああ、クソが……じり貧じゃねぇか」と低い声で呟いてしまった。
こうなればもう、時間稼ぎも何もあったものではない。
早々に決着を付けなければ、アタシがコゼットの足を引っ張ることになるだろう。
銃口を向けたアタシは、再び眉間に狙いをつける。だが肩が上下するせいで、いつものようには上手くいかない。引き金を引いたものの、大口径の銃弾が破壊したのは、仇敵が立つ遙か後方にある旅行代理店の自動ドアだった。
そんな情けない姿を見せた途端、突如として相手の表情から笑みが消えた。恐らくはアタシの推理通り、飽きてしまったのだろう。何の前触れもなく「……もういいわぁ」と言い放ってきた女吸血鬼は、片手のみならず両手の爪を長い刃物へと変化させた。
「もう一人の方……あの髪の長い、コゼットちゃんと言ったかしらぁ? あちらの方に期待するわね。がさつな女の子よりも理知的な女の子の方が好みだしぃ」
「活発なのも……悪くはねぇと、思うがな……ッ」
「自己評価が高すぎよぉ」
アタシへの興味が消え失せたことを示すように、女吸血鬼が床を蹴って肉薄する。そして左腕を大きく振りかぶると、そのままアタシの腹を勢いよく穿った。だがそれだけでは終わらず、奴はそのまま走り続ける。結果、アタシはコンクリート製の壁へと背を打ち付けられた。
轟音が耳朶を叩き、壁にはクレーターが生まれる。アタシの口から大量の血があふれ出た。鉄臭くて気持ちが悪い。だがそれ以上に体中が痛い。腹の奥は煮えたぎるように熱く、今にも臓腑が溶け出してしまいそうだ。遂には大事な得物も手からこぼれ落ち、もはや一巻の終わりと言っても過言ではない状態である。
少なくとも……女吸血鬼には、そう見えただろう。
だから、アタシは、
「捕まえたァ……ッ」
引き抜こうとした相手の腕をガッシリと掴み、力なく取り落としたように見せかけた自動拳銃を拾い上げた。
ビンゴ。アタシの作戦は見事に成功した。こちらがどうしようもなく弱っているように見せかけてやれば、相手はすぐに飽きて〝遊ぶのをやめる〟からだ。バイオ部門の研究者達が明らかにした、破壊衝動や三大欲求などが異常に高いが故に情緒不安定気味であるという、吸血鬼特有の特徴を利用させてもらったというわけである。
正直、自分でもなかなかの愚策だとは思うが……それでも行動を起こさない理由はなかった。
「な、何よぉ!? この、生命力はぁ……っ!?」
「悪ィな……コゼットとは、一緒にババアになろうって決めてんだ……」
何せこちとらあいつとは、しつこいくらい約束を交わしているのだ。
だったら、こんなところで人間をやめさせられるわけにはいかねぇだろうがよ。
そっちから近づいてくれてありがとな……心中で感謝の言葉を述べたアタシは、仇敵の眉間へと何度も何度も銃弾をぶち込む。本当は一発決まればそれで充分だが、それくらいはさせてもらわないと、腹の奥に爪をぶち込まれた恨みは晴らせない。
そうして考えなしに打ち続け、拳銃がジャムった頃には女吸血鬼の生命活動は停止し、白い砂へと姿を変えた。
ざまぁみさらせ、アタシの勝ちだ。
「あぁー……ダルいな、畜生が……」
普通の人間なら十回は死んでいるであろう傷を負っていながらも、アタシは荒い呼吸を繰り返しながら独りごちる。こんな芸当を成し遂げられるのも、全てはバイオ部門の人間による身体改造手術のおかげだ。感謝感謝である。
とはいえ、さすがに今回はきつい。せめて腹からの出血は止められないものか。アタシは両手を真っ赤に染め上げながら、再び無い知恵を絞り出した。
「……ニコラ?」
そのときだった。コゼットの声を、アタシの鼓膜が捉えたのは。
戻ってきたということは、遂にあの吸血鬼を仕留めたのか。だったら土手っ腹に孔を開けられるなんていう嫌すぎるデメリットを抱いた策なんざ取るべきじゃなかったな。アタシは自分の早計さを反省し、いつコゼットに叱られてもいいようにと覚悟を決めた。
「悪ィ、コゼット……無茶、しちまった」
「そう」
「お前の無線……壊れちゃいねぇよな……? 医療班、呼んでくれねぇか? やっぱ強化されてても、痛ェもんは痛ェんだわ……」
「そう」
「……コゼット?」
何かが、噛み合っていない感じがした。
アタシの無茶を叱るどころか、何を言っても力なく言葉を繰り返すコゼットからは、いつもの理知的な雰囲気を感じることが出来ない。まさか血が出ていないだけで、こいつも無茶苦茶な怪我を負っているのだろうか? 心配になったアタシは、腹の痛みを無視して強引に立ち上がろうとした。
そして目と目が合った瞬間に、アタシは気付いてしまう。
何故か「生きてたのね」と笑みを浮かべたコゼットに、鋭利な牙が生えていたことに。
「コゼッ、ト……お前、まさか」
やられたのか? あんな生まれたての吸血鬼一匹に。
そう続けようとしたアタシだったが……血痕が一滴もついていない銀の槍を見た瞬間に、その言葉は飲み込むことにした。何故なら、無意味な問いかけだと気付いたからだ。
訓練時代を含めて、伊達に六年も一緒だったわけじゃない。コゼットの強さはアタシが一番よく知っている。だから分かる。コゼットは負けてなどいない。あんな雑魚に後れを取ったはずがない。しかしそれでも〝人間をやめさせられた証〟である牙を堂々とアタシに見せつけたということは、つまり……!
「わざと……噛まれやがったな……ッ!?」
「ええ。正解よ、ニコラ」
どういうことだ、とアタシは即座に問い詰めた。
コゼット、お前はアタシと一緒にしわくちゃのババアになるんだろう。吸血鬼共を砂に変えながら、最後まで人間として生き続けるんだろう。そう約束してたじゃねぇか。それなのに何だそのザマは。どうして、どうしてそんなザマになっちまったんだ。
体中が痛むせいで立ち上がれない。もしも立ち上がれたならば、その襟首を掴んでやったのに。両方の鼓膜が破れるほどに叫んでやったのに。自爆覚悟の策を取った自分の浅はかさを呪うばかりだ。
そんなアタシに、コゼットは語り始める。
「私ね、昔……お母さんのアルバムを見つけたことがあるの。現像された写真が沢山あったわ。私に暴力を振るうようになる、遙か前の……少女時代のお母さんの写真がね。少女だった頃のお母さんは、屈託のない笑顔を浮かべていたわ。とてもじゃないけれど、いずれ我が子に暴力を振るうような人間へと変貌するとは思えない……そんな笑みを」
槍を捨て、コゼットは言葉を続ける。
「それでね……気付いてしまったの。あのタブレットの画像を見ている内に、気付いてしまったのよ。歳を重ねていく内に、私の顔が〝若い頃のお母さんと瓜二つ〟になっていたことに……!」
こちらにゆっくりと歩を進めたコゼットは両手を伸ばし、アタシが着ているお気に入りのシャツを縦に裂いた。
首筋が、空気に晒される。
「このまま大人になったら、あの恐ろしかった人と同じ顔になってしまう! そしたらきっと、私は変わってしまうわ! これまでの笑顔が消えて、大切なものに理不尽な暴力を振るう人間へと変貌してしまう! だって私は、あの人の娘なんだもの! 何の前触れもなく暴力的になった人間の血を、引いてしまっているんだもの……!」
気付けばアタシは、無意識に「ふざけんな……」と呟いていた。
「コゼット……つまり、あれか? お前は、時が経てば、自分が……母親と同じ、最低の人間になっちまうと思ったから……」
「ええ。だから私は、大人になるのをやめることにしたの。老いることのない存在になれば、きっとあの人と同じようにはならなくなるから……!」
「大馬鹿、野郎……ッ!」
なんて、なんて自己評価の低い奴なんだ。
お前が……そんな風に変わっちまうわけがないだろうが。
「誰よりも痛みを知ってるお前が、そんな腐った人間になるはずないだろうが!」
「虐待を受けた過去を持つ親が、自分の子供に同じことをする……そういうケースは多いのよ、ニコラ。私達が思っている以上に、負の連鎖というのは止まらないの」
「例えそうだとしても……お前なら、コゼットなら……」
そんなことにはならない。
アタシはそう続けようとしたが、前触れもなくコゼットに唇を奪われたために、強引に発言を中断させられた。そうしてしばし静寂を作り出したコゼットは、深い深いキスを終わらせて涎の糸を引かせると、
「一緒にお婆ちゃんになる約束を、台無しにしてしまってごめんなさい……でもまだ、もう一つの約束は守れるわ。そう……〝ずっと一緒にいよう〟という約束は」
アタシの両肩を力強く握り、真っ直ぐ目を合わせて言った。
「ニコラ。二人で一緒になりましょう。共に永遠を過ごしましょう。ずうっとずうっと二人で暮らして、ずうっとずうっと愛し合いましょう……」
頬を赤らめたコゼットが、目を細めて舌なめずりをする。もはやコゼットは理知的な少女ではない。人を誑かす蠱惑的な淫魔にも似た何かへと変わってしまっていた。
周りの奴らが知る〝コゼットとニコラ〟のコンビはもういない。
もはやアタシらの関係は、水分を失った砂団子の様に崩れ去ってしまっている。
「ニコラ。私の愛する素敵なニコラ……どうか私を、あなただけのモノにして……」
かつてコゼットであった少女の口が、分厚いパンケーキを食べるときの様に大きく開かれた。既にアタシの首筋へと狙いを定めているのだろう。肩へと涎が垂らされた感触を覚える。
その瞬間、アタシは吸血鬼を処分する者として当然の行動をとった。
弾詰まりを起こしていない方の拳銃……その銃口を、相手の眉間へと押し当てたのだ。しかしそれでも相手の動きは止まらない。徐々に徐々に、焦らすようにゆっくりと口を近づけてくる。優しいニコラは私を撃てない……などと考えているのだろう。
六年も一緒に過ごし続けたのだから、アタシの残虐性や容赦の無さは理解しているだろうに。なのに、こともあろうに、こいつは。この吸血鬼は……コゼットというやつは……!
疲労と怒りで、拳銃を持つ手が震える。
それでも、眉間からは銃口は離さない。
このまま指を動かせば、全てが終わる。
終わってしまう。何もかもが。全てが。
「……畜生が」
いよいよ、牙の先端が首筋の皮に触れる。
人差し指を動かせと、アタシは己に強く命じた。
「アタシも……アタシも、お前が大好きだよ……コゼット……」
そしてアタシは、引き金を、引き金を……引き金を…………。
サンド・メイカー エド @E_D_O_narednik
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