4-2
「愛花、一つ教えてくれないか」
「やだ」
その一言だけで、愛花も同じことを考えていたことがわかる。
俺だって本当はこんな話をしたいわけじゃない。
もっとどうでもいい、明日には忘れていそうな言葉だけを口にしていたかった。
だけど、現実はそれを許してくれそうにない。
「異世界では魔法を使って天気をコントロールしていたよな」
魔法について教えてもらっているとき、俺は愛花の目を通して実際に見た。
異世界では天気を予報するのではなく、操ることで町に恵みをもたらしている。
「それも、お城の人が魔法を使って管理しているって言ってたはずだ」
俺が知っているかぎり、城につとめている魔法使いは一人だけだ。
そしてその人物は愛花の研究に興味を持っていた。
「あのトンネル、出口はパンダの公園にした。でも入り口はどこに設定したんだ? もしかして自分の部屋じゃないのか」
「覚えてないよ」
「これは大事なことだ。もしそうなら、人が訪ねてきた来たときにこの世界へとつながるトンネルを発見するんじゃないのか? そしてそれがどういうものなのか、カルハとかいう魔法使いには想像がつくんじゃないのか?」
たとえば、愛花が異世界で発明品を作ったこと。
たとえば、広場でこれまでに存在しなかった音楽を歌って踊り始めたこと。
そのことは誰かから不審に思われてしまう可能性もはらんでいる。
俺たちはそういうことを意識していなかった。
カルハという男はマナさんの研究について以前から気にかけていた、と愛花は言っていたはずだ。
そんな彼であれば、愛花の変貌とマナさんの研究を結びつけてもおかしくない。
発明品も音楽も、そして人格さえ別世界から得たものなのではないかと想像することができたはずだ。
そして愛花の部屋を訪ねてトンネルを見つけた。
以前も様子を見に来たと言って愛花の部屋を訪ねていたのだから、同じことが起きても不思議ではない。
そのトンネルを通って、カルハがこちらの世界に来たとすればこの急な天候の変化にも説明がつけられる。
「知らないってば!」
愛花は逃げるように外へ飛び出してしまう。
吹き付ける雨風の中、その背中を見失ってしまえば追いつくことはできなくなる。
ためらうことなく後に続き、雨の中で愛花の細い腕を掴んだ。
「この天気はどう考えてもおかしい。カルハが魔法で引き起こしているんだとしたら、放ってはおけないだろう」
どうしてカルハがそんなことをしているのか、その動機までは想像ができない。
声も聞いたことがない相手だ。
性格なんて想像もつかない。
けど愛花は何度となくあいつと接しているはずだ。
元の世界へ戻るよう、説得することはできるかもしれない。
とにかく、どうにかして収集をつける必要がある。
「どうでもいいよ、あんなの」
愛花は投げやりな口調で応える。
「ほうっておいたら、そのうち誰かがなんとかするって」
「俺たちのせいで起きていることなんだ」
「そんなに責めないでよ」
「責めてるわけじゃない」
できるだけ穏やかな口調を保とうとする。
だが吹き付ける雨音にかき消されないように声を出すと、どうしても怒鳴り声に近くなってしまう。
愛花は俺の手を振り払い、こちらをにらみつけた。
「そもそもゲンちゃんが望んだんでしょ? だからあたしはここに戻ってきた。それなのに全部あたしが悪いみたいに言うの? それってずるいよ」
目の前で起きていることなのに、なぜか呆然としてしまう。
そういえば今まで愛花とケンカしたことって、どれくらいあったんだろうか。
回数が少ないせいか、すぐには思い出せない。
「あたしは、元の世界に帰りたかっただけ。それっていけないこと?」
「そんなことはない」
「だったらいいでしょ。あたしはもう嫌なの! 魔法も、異世界も! これが誰のせいかなんて知らない!」
嫌なものを拒絶するように、愛花は何度も首を横に振る。
その姿を見て、俺はようやく自分が犯した最大の失敗に気がついた。
愛花に現実世界への未練を植え付けたのは俺だ。
その気持ちを刺激し続けたのも俺だ。
本来ならば愛花と俺はあの事故で理不尽に別れていた。
俺たちはそのことをどうにかして受け入れるべきだったのだろう。
どれだけつらくとも、そうするべきだった。
でも視界がつながり、声でやりとりすることができてしまった。
そのせいで俺たちはまだ理不尽を受け入れることができていない。
だから愛花はいつまでも異世界を受け入れることができない。
俺も自分の現実を受け入れることができないでいる。
「二人で逃げようよ」
感情の波が落ち着いたのか、愛花は朗らかな声を出す。
まるで幼い頃に戻ったみたいだ。
「あたしの魔法でどこか遠くに行こう。あたし、ゲンちゃんと一緒ならどこでも楽しく生きていけるから」
その提案は魅力的だった。
一瞬で様々な想像が脳裏をよぎる。
愛花と異国で暮らす自分の姿だ。
見たこともないような景色と、食べたこともない食事と、聞いたこともない音楽。
本来なら、どこかの未来で現実になっていたかもしれない可能性だ。
たしかにそうだ。
俺は愛花と一緒なら、どんなことも、どんなものも、楽しんで生きていけるのだろう。
それは幸せなことだ。
そんな夢物語を信じられることができれば、本当に幸せだった。
「なぁ愛花」
だけど冷たい雨に濡れて、俺は冷静になってしまっている。
そのせいで愛花の無邪気な提案を受け入れることができない。
「さっきアイスを食べたよな」
「いきなりなんの話?」
困惑する愛花を無視して、俺は話を続ける。
「あのアイスはさ、最初に考えた人がいて、研究した人がいて、工場で作る人とか、全国に運ぶ人とか、売ってくれる店員さんがいるから俺たちのところに届くんだ」
「そんなの知ってるよ」
「そういう経験をしている人は他にもいてさ。アイスを作っている人たちは、また別のなにかを作ってる人によって満たされてる。そういう風に世界は回ってる」
「なにが言いたいの?」
本当はこんなこと言いたくなかった。
気づかないままでいられたなら、きっと愛花と一緒に逃げただろう。
家族も友達も、受けた恩も責任もすべて忘れられた。
でも気づいてしまったからにはどうしようもない。
これもまた一つの理不尽だ。
「俺たちだけが無事でも、幸せにはなれないよ。俺たち二人だけの世界じゃ無理だ」
「そんなことない!」
愛花は反射的に答えただけだ。
本当は気づいていると思う。
「現に、俺たちには音楽の一つだって発明できなかったじゃないか」
蓄音機も、アイドルソングも、たくさんの人と長い年月によって積み上がったものの上澄みをすくっただけだ。
俺たち自身が作り上げたわけじゃない。
すべてこの理不尽な現実世界があったからだ。
きっとゼロからなにかを生み出すことなんてできない。
俺がどれだけ目を閉じて、耳を塞いでも、周囲や歴史に影響されて生きているのだろう。
でもだからこそ様々なことができる。
「ここは俺たちだけの世界じゃない。親がいる、友達がいる、見知らぬ他人もいる。大人も子どもも、善人も悪人も、まったく違う人が大勢生きている世界だ。俺はそのことを、もう無視できないんだよ」
俺や愛花のわがままで危機を招いておいて、放ってはおけない。
愛花も俺も悪いことはしていないと今でも信じている。
それでもひどい事態が起こってしまうのがこの世界だ。
それを不満に思ったところで、俺はこの現実でしか生きられない。
愛しい人と二人きりでここではないどこかへ逃げたってそこに楽園はない。
それがわかってしまった。
「世界を救おう」
自分たちで危機に陥れておいて、それを救うというのは笑えない冗談だ。
だけどあえて大げさにそう表現するしかなかった。
「手伝ってくれないか?」
愛花は目を見開いて、こちらを見つめていた。
その表情が驚いているのか、悲しんでいるのか、怒っているのか、顔を合わせていてもわからない。
愛花の表情は昔と違っている。
俺たちはもう多くの点で昔と違っているのだろう。
「仕方ないなぁ」
だけど、そう言って笑った愛花の表情だけは昔と同じように見えた。
「本当に、ゲンちゃんはあたしがいないとダメなんだから」
「助かるよ」
愛花は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、俺にはそれが事実だった。
俺の返事が面白かったのか愛花はもう一度だけ笑って、それからすぐに表情を引き締める。
ここからはこの事態の収集することに向き合わなければならない。
「カルハさんは魔法で嵐を呼び寄せたんだと思う。それを散らす魔法さえ使えば、この嵐は収まる」
「愛花はその魔法を使えないのか?」
「天気を操る魔法は危険だからお城の中でもごく一部の魔法使いしか知らないんだよ」
「ならカルハを説得して、なんとかやめてもらうしかないな」
「無理だろうね。ゲンちゃんと同じくらい頭が固いから。だから魔導書を奪うのがいいと思う。カルハさんの魔導書には天気を操る術式が書いてあるからそれさえあればあたしにも使える」
「わかった。じゃあ魔導書を奪えばいいんだな」
「うん。カルハさんの居場所はあたしが調べるよ」
愛花は内ポケットから自分の魔導書を取り出す。
「なら俺が相手の注意を引きつけるよ」
「え、どうやって?」
「特別なことはしなくてもいい。そっくりさんを見れば、誰だって驚くに決まってる。愛花はその隙をついて、魔法でやつの魔導書を奪ってくれ」
「わかった。でもカルハさん、そんなに簡単に驚いてくれるかな?」
「俺が驚いたんだから大丈夫だって」
愛花は疑わしそうな顔をしていたが、俺には自信があった。
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