四章 世界に二人だけだとしたら
4-1
九月はまだ続いている。
そして日曜日は始まったばかりだ。
愛花と再会を果たした俺は腕時計を見る。
時間はまだ午前六時を過ぎたところだった。
「愛花、まずはなにがしたい?」
抱きついたままの愛花を身体から離しながら尋ねる。
せっかく会えたわけだから、顔を合わせて話がしたかった。
「といっても、この時間だと行ける場所も限られてるけどな」
「じゃあコンビニでアイス買って!」
「そう言うと思ってたよ」
戻ってきた愛花の姿は以前と変わらない。
身長も声も、事故に遭う以前と同じだ。
明確な変化は目の色くらいだろう。
たしかに聞いていたとおり、左右で瞳の色が違った。
片方だけ瞳が黄色になっている。
服装は自分で用意したのか、こっちの世界の洋服に近い。
ドレスや鎧姿の愛花を見てみたかった気もするが、こっちの世界を移動することを思えば無理だろう。
仮装と言い張るにもハロウィンはまだ先だ。
俺は眼帯の上から空洞になった左目を撫でる。
とりあえず義眼を使ったトンネル作戦は成功したということだろう。
これからのことはあまり考えていなかった。
とにかく二つの世界をどうつなげるか、ということに集中していたせいだろう。
愛花はこちらにとどまるつもりなのか、それとも異世界との行き来を続けるのか。
それは後から話し合って決めればいい。
焦らなくとも時間はある。
今はとりあえず久しぶりにこの世界へ戻ってきた愛花の要望に応えるのが大事だ。
手始めにコンビニを目指して歩き出す。
その道中、ふとした疑問が浮かんでくる。
「そういえばさっきのトンネルだけど、開けっぱなしで良かったのか?」
愛花と再会した衝撃で忘れていたが、公園の砂場はまだ風景が歪んだままだった気がする。
「大丈夫じゃないかな。あの公園なら目立たないし。それにトンネルの操作はまだ不確実な部分が多いんだよね」
「たしかに開閉自由とはいかないもんな。下手にさわらないほうがいいかも」
「というか、こっちから安全に閉じる方法ってわかんないんだよね。異世界側から魔法を使ってつなげたでしょ? だから閉じるのも異世界側で魔法を使うのが安全かなって」
「それはそうだな」
「たとえばゲンちゃんの義眼を壊したらトンネルは閉じると思うけど、異世界側は開きっぱなしになるから、なにが起こるのかわかんないし」
「うむうむ」
よくわからなくなってきたが相槌は打っておく。
「あのトンネルの出入り口はここと別の世界をつなげるためのもので、開発したのはマナさんだって説明したよね。でも、どの世界とつながるかはわからないの。今回はゲンちゃんの義眼をたぐり寄せるようなイメージでつなげたけど、普通はつながらない」
「ほうほう」
「マナさんはこの魔法で入口だけを開いたはず。そのときに予想していなかった世界とつながって事故が起こった。その衝撃で入口は閉じちゃったけど、その寸前にあたしやゲンちゃんの一部が迷い込んだんじゃないかなーってあたしは考えてる」
「なるほどなー」
愛花の中では理屈が通っているのかもしれないが、聞いている側としてはちんぷんかんぷんだ。
ここまでがんばってきたが、どうしても相槌が適当になってしまう。
「とにかくあのトンネルは迂闊にさわらないのが一番。もしも閉じるとしたら、異世界側から閉じないとダメってこと」
俺が理解していないのが伝わったのか、愛花は簡潔に話をまとめた。
「そういえばこっちでも魔法って使えるのか?」
「どうだろう。見たいの?」
「できれば、ぜひ」
「しょうがないなぁ」
愛花は上着の内ポケットから本を取り出す。
大きさも厚みも文庫本くらいのものだった。
そのページをぺらぺらとめくったあと、愛花はあるページに手のひらをのせる。
すると目の前にマッチで灯したような小さな火が浮かんだ。
「おぉ、すげぇ」
「全然。これくらいならライターを使ったほうが便利だよ」
愛花が本から手を離すと、小さな火も消える。
魔法には両手が必要になるというのは聞いていたが、実際に見てみると不便そうなのは伝わってきた。
「じゃあもっと魔法っぽいことやろうぜ。空とか飛んでさ」
「乗り物なしで空を飛ぶのってジェットコースターより怖いよ。掴まるものも支えてくれるものもないんだから」
「うん、俺も勢いで言ったけどそんなに高いところは好きじゃない」
宇宙まで行ければまた別の感想になるんだろうけど。
そうこうしているうちに最寄りのコンビニへたどりついた。
「おー、自動ドア。おー、監視カメラ。おー、冷凍庫」
愛花はコンビニにあるものにいちいち感動したように大袈裟な声をあげる。
「都会に戻ってきたって感じがするよね。あ、バーコードもある。ペットボトルに、ナイロン袋」
次々と目についたものの名前を口にして、嬉しそうに笑う。
店員さんがレジカウンターから不審者を見るような視線を向けてきていた。
「アイス買うんだろ。どれがいいんだ?」
「じゃあ、あたしがどれを食べたいのか当ててみて」
「なんだよそれ」
呆れたフリをしつつ、アイスの袋を手に取る。
こんなクイズ、簡単すぎて考えるまでもない。
俺が手にとったのは、愛花が事故に遭う直前食べたがっていたものだ。
彼女の表現を借りるなら「あのパキッって二つに分けられるやつ」である。
「せいかーい!」
とにかく今日の愛花はテンションが高い。
そんな愛花を外で待たせ、相変わらず怪訝な顔をしている店員さんに代金を支払い、アイスを購入する。
そうして店の外ですぐに封を切った。
「これが食べたくて帰ってきたような気がする」
パキッと二つに分けたアイスの一方を食べながら幸せそうに愛花は微笑む。
「そりゃ良かった」
まだ暑さの残る九月とはいえ、早朝だとそれほど日差しは強くない。
そんな中で食べるアイスはいつもよりも余計に冷たい気がした。
「おいしかった」
「食べるのが早すぎる」
「ゲンちゃんが遅いの。それにしても不思議だね」
あっという間にアイスを食べ終わった愛花は、俺から食べかけのものを自然と奪いながら言う。
「ゲンちゃんに会ったらもっといっぱい話したいことがあったはずなのに、今はなんにも浮かばない。アイスと一緒に溶けちゃった気がする」
「俺も似たようなもんだ」
いつものようにこうして二人で時間を過ごせるだけで満足してしまっている。
そうだ、飯田さんに今回の成果について話してみるのもいいかもしれない。
異世界や魔法といった話をしたとき、飯田さんがどんな反応をするのかが気になった。
そんなことを考えたとき、ふと異変に気づく。
雨粒が落ちてきて、足元に染みを作る。
次に強風が吹く。
その風に運ばれて雨の勢いが強くなった。
あまりにも急な天気の変化だ。
いわゆるゲリラ豪雨というやつなんだろうか。
「中に戻るか」
隣にいる愛花に声をかける。
しかし愛花は空を見上げたまま動かない。
頬に当たる雨粒にも気がついていないように見える。
「愛花」
「あ、うん。そうだね。雨宿りしよう」
もう一度呼びかけると今度は返事があった。
しかし取り繕った明るさだ。それくらいはわかる。
だが話をするにしてもここでは問題がある。
再び客のいないコンビニへと戻り、あらためて外の様子を確認した。
先ほどまで晴れていたのがウソのように空は黒い雲に覆われている。
すでに雨は弾丸のように鋭く、コンビニの窓を叩いている。
遠雷が響き渡り、強い風は音を伴って電柱を揺らしはじめた。
外の景色そのものが不気味な黄色に変色して見えた。
ひどい嵐だ。
さすがにこれをただのゲリラ豪雨だと片付けるには無理がある。
そのことを指摘するのは、気が重い。
本当に嫌になるが、それでも避けては通れないのだろう。
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