2-7

 翌朝。


 起きたら午前十時を過ぎていた。

 昨日夜更かしをしすぎたせいだろう。


 目覚まし時計は知らぬ間に止まっていた。


 もしかしたら両親が起こしてくれたのかもしれないが、最終的に俺は目覚めなかったのだろう。

 もう出勤してしまったようで、家には俺一人きりになっている。


 今から焦っても仕方がない。

 そもそも今さら欠席が一日や二日増えたところで大きな問題はないだろう。

 勝手に休日という風に定めることにする。


 昨日もその前も愛花のために俺は活動してきた。

 そしてそれはまだ終わっていない。

 今日もまた少し休んで、愛花と方策を練る必要がある。


 遅めの朝食を取り、あらためて寝直す。


 片目になってからよく眠るようになった。

 やはり片目がないと目が疲れやすいのだろうか。それとも俺が怠惰になっただけなのだろうか。


 昼過ぎに再び目覚めた俺は、愛花と連絡を取ることにした。

 売り込みの調子を尋ねなくてはならない。


 眠るときとは少し違う。

 右目を閉じて集中する。


 事故に遭った頃はコントロールできなかったが、今はもう異世界と視界をつなげることにも慣れてきた。

 もはや異世界で驚くようなこともないだろう。


 ぱっと左目の視界が開ける。


 すると、目の前に俺がいた。



「うおっ!」



 悪夢のような光景に思わずのけぞった。



「わ、どうしたの?」



 俺の声に愛花が反応する。


 気を取り直して再び異世界へ目を向けるが、やはり俺がいた。

 仰々しいローブをまとって、辛気くさい表情をしている。


 口は動いているが声は聞こえない。

 これはいつものことだ。

 むしろ自分の声で話す他人を見ずに済んで良かったと考えるべきだろう。



「いや、大丈夫……なんでもない」


「そう? じゃあちょっとだけ待っててね」



 愛花は小声でそう言うと、目の前にいるローブ付きの俺に向き直る。

 さっきと同じ失敗を繰り返さないために、俺は右目を開けて現実世界へと退避した。


 自分の顔を客観的に見てしまった衝撃で、動悸が収まらない。


 仮に俺が自分のことが大好きだったとしても、他人として話して動く自分の姿は受け入れられなかっただろう。

 多分この世でもっとも生理的に嫌悪感を覚える相手だ。


 深呼吸を繰り返す。


 そうしてショックから立ち直った後、再び愛花と視界をつなげた。


 来客は帰ったらしく、左目に見える景色はいつもの愛花の部屋だ。



「話の邪魔して悪かったな」


「ううん。こっちこそ驚かせちゃってごめんね、ゲンちゃん」


「いや、それは別にいいけど、さっきのは?」


「あのゲンちゃんにそっくりな人はカルハさん。お城で働いている魔法使いの人で高貴な生まれなんだよ。いわゆる貴族みたいなのかな」


「へぇ」



 異世界の俺は意外と出世しているらしい。

 ますます俺が現実世界にとどまってしまったことが悔しく感じられる。



「そのエリートがどうして愛花のところに? まさか異世界でも幼馴染だったとか言わないよな」


「そうじゃないよ。カルハさんは前々からマナさんの研究を気にしてたみたい」


「そういえば、前に俺のそっくりさんが一回お見舞いに来たって言ってたな」


「うん。退院したって人から聞いたみたいで、近くに来る用事があったからついでに様子を見に来てくれたんだって」


「ずいぶんいい人なんだな」


「うん。カルハさんの話を聞いてるかぎり、マナさんは学校での成績も良くて賢い人だったみたい。でも妙な研究に没頭していて、最近は周りから浮いてたらしいよ」



 どうやら異世界にいたマナさんと愛花の共通点は少なそうだ。



「マナさんの研究ってそんなに変なのか?」


「あたしもよくわかんない。資料は部屋に残ってるから今度読んでみようかな」


「それもなにかの役に立つかもな」



 異世界についての情報は集めておいて損はない。



「それで売り込みの成果は? 俺のそっくりさんは蓄音機を買ってくれたか?」


「それが……興味は持ってくれたんだけど、音楽を聴く習慣がないからって断られちゃった」


「つまらんやつめ」


「ゲンちゃんにしては辛辣なコメントだね」


「そうか?」



 知らず知らずのうちにドッペルゲンガーへの当たりが強くなってしまっていたようだ。

 とはいえ生理的な嫌悪感は理屈ではいかんともしがたい。



「他の人は?」


「みんな、微妙な反応だったよ。お昼ごはんを食べに行ったレストランのマスターは、演奏者が来てくれるから必要ないって言ったし」


「まぁそうか」


「道で話しかけてくれたクラスメイトのそっくりさんたちは、楽器を楽譜通り演奏する魔法が使えるからいらないんだって」


「そんな魔法があるのか?」


「うん。楽譜通りに演奏するだけなら、ピアノでもトランペットでも魔法で動かせるんだよ」


「こっちでいうところのパソコンに音楽を打ち込むみたいなものなのかな」


「それでもやっぱり魔法を使わずに演奏する楽器のほうが温かみがあって好きだって人が多いみたいだけどね。断られた理由はまぁこんな感じかな」


「俺はもう一つ、蓄音機が受け入れてもらえない理由に気づいたぞ。街の人におすすめしているのが愛花なのが、うさんくさいと思われてるんだよ」


「それってあたしのせい?」


「いや、厳密にはマナさんのほうだ」



 話を聞くかぎり、マナさんはマッドサイエンティストと言って差し支えない人物だったようだ。

 周囲から嫌われていた様子はないが、理解されていたわけでもないのだろう。



「でもそれってどうしようもないよ」


「だよな」



 なにをするにしても、愛花は『マナ』という知らない人の過去を背負っている。


 俺たちが作ったものが蓄音機であろうとそうでなかろうと、うさんくさいと思われることは避けられなかった。


 それはもうどうしようもない。

 対処できないことはすでに問題ではない。


 俺たちにとっての問題は、蓄音機をどうやって普及させるかだけである。


 便利な魔法が普及しているこの異世界で、蓄音機の有用性はこの後電話へと進化することではない。

 きっと手紙や声を届ける魔法もあるはずだ。


 であればやはり、音楽と生活の距離が近づくという部分を推していくべきだろう。


 しかしここでも魔法が立ちはだかる。

 楽器さえ用意すれば楽譜通りの演奏なら魔法で再現できる。



「そういえば前に広場で演奏を聞いたって言ってたよな」


「買い物の道中に少しだけ」


「どんな音楽だった?」


「どんなって言われてもなぁ……クラシックみたいな、荘厳な雰囲気の音楽だったかな。あとはサーカスとかが演奏してそうな陽気な演奏も聞いたことあるよ」



 どちらも特別な場面に花を添えるような使い方だ。

 こっちの世界のように、音楽を携帯して手軽な形で聞くような形はない。


 ない、ということはそれ自体が解決策を示しているようなものではないだろうか。



「愛花、お前の一番好きなアイドルグループは?」


「それってもう解散しちゃったグループも含めていいの?」


「好きにしていい」


「えーっとね、じゃあね……うーん、やっぱり一番は決められないかなぁ」


「なんでもいいから一つ挙げてみろよ」


「じゃあ『モモモード』かな? ゲンちゃん、覚えてる? 三年前に解散しちゃったんだけど、二人組で――」


「細かい情報はまた今度教えてくれ。そのアイドルの曲、歌えるか?」


「もちろん全部歌えるよ」


「踊れるか?」


「まーちゃんパートも、くーちゃんパートも完璧」


「よし、じゃあみんなの前で歌って踊ってくれ」


「え、どういうこと?」


「普通に蓄音機を売ろうとしたからダメだったんだ。売るなら、やっぱり音楽の一つでも入っていないと手にとってくれない」



 映画に置き換えてみればよくわかる。


 なにも映っていないフィルムとカメラを持って、それがどれだけ素晴らしい発明なのかを説いて回っても仕方がない。

 実際に撮ってみせた映像をスクリーンで見せてこそ、映画の価値は人々に伝わった。


 世界初の映画上映では、蒸気機関車がスクリーンから飛び出してくるのではないかと驚いた観客が客席から逃げ惑った、という逸話を聞いたことがある。


 異世界で蓄音機を普及させるにはこれと同じことをすればいい。

 そのための土台は愛花の中に眠っている。


「異世界でアイドルをやろう」

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