赤トンボよ、永遠に!

今日は旧日本海軍で、【赤トンボ】と言われた飛行機の、最後の戦いについて書いてみたいと思います。機体全体が明るいオレンジ色に塗装されていた事から、赤トンボと呼ばれたこの飛行機は、正式には93式中間練習機と呼ばれ、昭和9年(1934年)に海軍に正式採用されました。パイロットの卵を訓練する為の練習機ですね。太平洋戦争の頃に海軍のパイロットだった人達は、必ずこの練習機のお世話になったはずです。


パイロットの卵を育成する為の飛行機なので、攻撃能力は殆ど付与されておらず、武装は射撃訓練用の口径7.7ミリの機銃が、機体前部と後部に1丁づつあるだけです。機体は複葉で木製布張り、防御力は皆無、エンジン出力は僅か340馬力で、最高速度は200キロをやや超える程度でしたが、堅実な設計と身軽な事から運動性は非常に優れ、練度が高いパイロットなら、曲芸飛行も可能でした。


1945年(昭和20年)5月、元々石垣島近辺で偵察、哨戒を行っていた部隊から選抜された搭乗員に対し、この【赤トンボ】での特攻命令が下ります。通常の戦闘機や攻撃機ではなく、練習機の赤トンボを使っての特攻攻撃は初めての試みでした。当時の燃料事情から、アルコールでも飛行可能な赤トンボに特攻の白羽の矢が立ったと言われていますが、選ばれた搭乗員は、当初この様な飛行機で特攻する事に酷く落胆したと言われています。「龍虎隊」と名付けられ、特攻用に濃緑色に再塗装されたこの【赤トンボ】特攻隊は、まず1945年5月20日に「第1龍虎隊」の8機、続いて6月9日には「第2龍虎隊」の8機が台湾から出撃します。しかし、赤トンボにはかなりの過積載となる250㎏爆弾を無理やり搭載した事、天候や飛行距離の問題で、全機が宮古島、石垣島、与那国島に不時着、攻撃は失敗に終わりました。


練習機の赤トンボに250kgの爆弾を搭載して長距離飛行させるのは、やはり無理があると判断した海軍は、残存する龍虎隊を沖縄のすぐ傍の宮古島に前進させ、敵との距離を詰めると共に、一番最初から隊員であった三村弘上飛曹を指揮官として任命、猛訓練を命じます。こうして1945年7月29日、終戦まで残り2週間程となったその日、「第3龍虎隊」と命名された三村隊長以下、残存8機は出撃の日を迎えます。重い250㎏爆弾を抱えた赤トンボが無事に離陸出来るか、皆が不安そうに見上げる中、パンクで離陸に失敗した1機を除き、残る7機は無事に飛び立ちました。しかし、沖縄方面の敵に向かう途中、三村隊長と吉田一飛曹の機体は、エンジントラブルに見舞われて引き返します(※吉田一飛曹はこの帰還時に不時着し負傷、第3龍虎隊ただ一人の生存者になります)。


宮古島を飛び立った残る5機の第3龍虎隊は、僅か340馬力のエンジンを限界まで駆使しつつ、時速150キロ程の速度で、海面スレスレの低空を這う様に飛びながら米艦隊に接近します。250㎏爆弾は、本来この3倍以上の馬力のある急降下爆撃機が搭載する爆弾ですから、この様な状態になるのも無理はありません。


しかしこの時、米海軍の警戒用レーダーピケット艦に予想外の事が起こります。ピケット艦のレーダーは、龍虎隊をかすかに捉えたのですが、余りの遅さと、かなりの低空を飛んでいた為、まさかこれが特攻機だと即座に判断できなかったのです。木製布張り製の赤トンボは、レーダーに反応しにくかったのですね。


これが特攻機だと米側が気付いた時には、第三龍虎隊は米艦隊まで距離僅か20キロ、時間にして約10分と言う所まで迫っていました。米側は慌てて迎撃態勢を整えますが、急な出来事に上手く対応できません。

そうこうしている内に、とても特攻機とは思えない奇異な外観の複葉機が、海面スレスレを這う様に迫って来るのが視認出来ました。呆気に取られていた米軍各艦艇は猛然と対空射撃を開始しますが、余りに低い高度の為、味方艦に流れ弾が命中する可能性があり、思うように有効な弾幕が張れません。しかも、彼らは更に信じられない光景を目にします。明らかに弾丸が命中しているのに、その弾丸は機体をブスブスと突き抜けてダメージを与えていない…いくら弾を食らっても、特攻機はそのままゆっくり近づいて来るではありませんか。


最初の1機は、駆逐艦キャラハンの右舷側に体当たりします。この機は船より僅かに速い位の速度のまま突入、直後に抱えていた250㎏爆弾が甲板を突き抜け艦内で大爆発、必死の消火活動も虚しく、弾薬庫に引火し、キャラハンはそのまま轟沈しました。あっという間の出来事で、47名の乗員が脱出できず戦死しました。


また別の1機は、駆逐艦プリチットに向かい、この機は多数被弾しているにも拘らず、平然と接近して来ました。木製布張りの機体には近接信管を使用した砲弾も反応せず、ダメージが中々与えられません。そのまま突入するかに見えましたが、ようやく海面に墜落、しかし直前に本機より切り離された250㎏爆弾は同艦に命中、艦は大破し航行不能に陥ります。


更に翌日、機体修理を完了した第3龍虎隊の三村隊長と佐原一飛曹の2機が出撃、その内の1機は、米駆逐艦キャッシュヤングに突入、同艦を大爆発させ大破、残る1機も対潜哨戒任務中の米輸送駆逐艦ホラス・A・バス に超低空飛行で接近、発見されると同時に同艦の船楼に突入、それをなぎ倒し、1名の戦死者と15名の負傷者を生じさせました。


2日に渡る「第3龍虎隊」の攻撃は、僅か7機の木製布張り複葉練習機が、アメリカ海軍の最新鋭駆逐艦1隻を撃沈、2隻を大破、1隻を小破させ、戦死傷者200名以上という凄まじい損害を与えました。赤トンボは木製布張りでレーダーに殆ど反応しない上、近接信管のVT信管も感知し辛いという、現代のステルス機と同様の威力を発揮しており、この事はアメリカ海軍を驚愕、震撼させる事になります。

それもそのはず、この時赤トンボは、まだ実戦に殆ど使用されていない事から、日本国内に少なくとも数千機残存すると予測されたからです。


一方、第3龍虎隊の成功は、三村隊長以下7名の隊員達の、「我、祖国の御盾とならん」という鬼神の様な敢闘精神と、厳しい訓練を重ねた事による、優れた技量により達成されたものである事を忘れてはなりません。苦しい時には、護衛する戦闘機もなく、貧弱な木製布張り複葉練習機に重い過積載の爆弾を抱え、シャワーの様に濃密な対空砲火の中へ果然と突入していった第3龍虎隊…彼らの事を思い出して欲しいと思うのです。


赤トンボ、帝国日本海軍第3龍虎隊よ、永遠に!


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