直観力と論理力を考えてみた。

今日は直感力と論理力について考えてみたいと思います。

さて、では最初に簡単な問題を出します。

パッと考えて、5秒以内に答えを出して下さい。


ここにバットとボールが1個づつあります。価格は合計で11,000円です。

尚、バットの価格はボールより10,000円高いです。

それでは、バットとボールの価格はそれぞれいくらでしょう?


ここでパッ考えて、ああバットは10,000円、ボールは1,000円と

思いませんでしたか?これが直感的な答えの出し方です。

文面ではバットはボールよりも10,000円高いとあるのですから、

ボールの価格が1,000円だとすると、バットの価格は11,000円になり、

これだと合計価格が12,000円になって、理屈が合いません。

正解はバットが10,500円、ボールが500円ですね。


この様に人間の脳は、あらゆる事象に対して、直感が働いて

瞬間的に答えを出すという機能を持っています。

何故この様な機能があるかと言えば、危機回避の為に必須の能力だからです。

数百万年前に現れた人類は、長い旧石器時代の間、狩猟で生活をしていました。

狩猟に行って、近くの茂みが急にガサガサしたら、

【危険だ!】と感じてまずは急いで距離を取る。

だって相手はウサギかもしれないし、虎の様な猛獣かもしれません。

いちいち確認していたら、それこそ命がいくつあっても足りませんよね。


この直感というのは、長い経験則も参考にするという凄さも持っています。

将棋の羽生9段は著作の中で【私の経験では、将棋における直感は9割が正しい】と

述べています。パッと将棋の盤面を見て、

最初に見えた手が一番の最善手である事が多いというわけです。

持ち時間で考えているのは、こうした直感で見えた手が、論理的に正しいのか?

検証に充てているのだそうです。

長い経験で培ってきた能力が、直感にも反映していると言う事ですね。

この様な経験は皆さんにもあるのではないでしょうか?

数学の問題を短時間で解くのにも、こうした直感は大事だったりします。


さて、この直感の対極にあるのが、論理的に考えるという思考です。

何でもかんでも直感的に正しいと思った内容で進めてしまうと、

時に大きなミスが起こります。

金融商品とか不動産とかの投資商売でだまされるケースは、内容を詳しく理解も

しないで、【なんとなく良さそうだ】とか、【儲かっている人が一杯居そうだ】、

とか、直感で決めている場合がほとんどです。

大体、あの様な営業的パンフレットは、拡販用に作られていますから、

都合の悪い事はまず書かれていないし、どうしても書かなくてはならない場合は、

眼につかない所に小さな文字でこっそり書いてあるのが普通です。


健康用のサプリメントなんかもそうですね。こういう商品の多くは

色々な有名人が登場して、【私はこれで健康になりました!】なんて

大きな声でPRしていますが、大抵隅の方に

【個人の感想です。効果を保証するもではありません】と書かれているはずです。

医薬品として認められる為には、動物実験、人体を使ったかなりの数の

臨床試験を行い、その投与によって、一定以上の割合で確実な改善効果が見られ、

致命的な副作用が少なく、またその効果が具現化する理由を論理的に

説明出来なくてはなりません。

あるサプリを飲んで、癌が直った人がいるかもしれない。

けれど10,000人が飲んでひとりとかふたりにしか効果がない物は

薬とは言いません。こういうサプリ系の話は、ごく小さな話を

100倍くらい盛ったりしている訳です。


歴史上で見ても、直感で事を進めて失敗しているケースは非常に多くあります。

特に酷いのは宗教上のケースですね。

中世ヨーロッパでは、【猫】を悪魔の使いとして忌み嫌っており、

見つけ次第殺していた事を皆さんご存知でしょうか?

猫のあの不思議な瞳の輝きや容姿から、魔女とか悪魔を直感的に

連想したのでしょうが、猫を殺しまくった為にネズミが大繁殖し、

結果、ヨーロッパはペストの惨禍に幾度となく見舞われます。

最悪の時は人口の4割以上が失われたそうですから、目も当てられません。

これなどは、直感的に正しいと考えた事が大きく間違っていた例だと言えます。

だって、猫が悪魔の使いだなんて、いったい何の論理に基づいているのですか?


日本でも天災が続いたり、お城の工事で事故が続いて上手く行かなかったり

した時、【人柱】を立てるという習慣がある所がありました。

人の命を神に捧げて、その怒りを収めるという発想だったみたいですが、

何故人の命を捧げると神の怒りが収まるのか、

それを論理的に証明する事など出来ないはずです。

こういう時、「何馬鹿言ってるんだ、そんな理屈があるか!いい加減にしろよ!」

という人がいるかいないか、またその人の事を、「その通りだ!」

と肯定出来るかどうかが、国家や企業、その他多くの社会集団の成功

の鍵になる様に思います。

企業のトップの会長や社長が碌に考えもせず、直感で判断を下している様な

ケースは今でも多々あるはずです。何せ人間、論理的に熟慮するより、

直感で考えた方が楽ですから。「俺がこう思うのだから、これでいいんだ!」

なんてやっていたら、いつか足を掬われます。


最後に論理的に考えるべき時に注意すべき事を書きましょう。

まずひとつ目は、モチベーションが低い時や疲れが酷い時には、

重要な判断は避ける事。

仕事で疲れ切っている時に、金融商品や不動産商品の細かい内容を聞いても

理解出来ないし、安直に判断してしまいがちです。

重要な判断は精神/身体ともに活力があり、疲れていない時にする様にしましょう。


また、自分が良く知らなかったり、理解が及ばない様なものは即決を避け、

周囲に相談するなり、ネットで文献を当たってみるなどしてみましょう。

重要な判断をする時、利害関係のない客観的な意見や判断を聞いてみる事は

非常に有意義です。


それからあとは思い込みの排除です。

例えばA社というメーカーの車とB社というメーカー車があったとする。

客観的な第三者機関の評価で、A社の車の方に高い評価結果が出たとします。

しかし、B社の車のファンであるあなたにはそれが認められない。

そんなはずはないと、色々な情報を集めて、

結果B社の車が良いのだと判断するとします。

しかしこういう情報の集め方は、B社の車を高評価する為の情報集めである為、

バイアスが掛かって公平な物にはなりません。

だって、B社の車を高く評価する為の情報収集と、A社の車が不利になる

情報ばかり集めたとして、それが公平な評価に繋がるでしょうか?

誰と結婚しようかと迷っている時など、

こういう評価をしてしまいがちかもしれませんね。


直感力も論理力も、それぞれ生きる上で重要な力である事に変わりありません。

でも人間というのは、直感で考えた方が楽なので、

ついつい論理を軽視しがちになり易い生き物なのです。

将棋で勝つには、直感で得た答えが正しいのか、論理的な検証が必要です。

そしてそれは他の勝負や決断にも当てはまります。

そして本当に賢い人というのは、この使い分けが上手く出来る

人なのではないかと私は思うのです…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る