第17話~私の部屋

 

 懐かしいもの

 愛しかったもの

 大切にしていた何か

 たくさんの叶わぬ願いがあった。

 そうやって生きてきたのだ。

 私はたくさんのものを捨てて、この街にやって来た。



 私の仕事はと言うと、お茶汲みや請求書や発注書などの簡単な事務の仕事。

 キャリアウーマンでもない、寿退社なんてできるはずもないのだ。


 そうやっていろんな小さな仕事を細々こなすことで、毎月なんとか家賃と生活費を払えている。


 このアパートは築年数が30年以上経っているから安くで借りることが出来た。


 新しく分譲マンションが建設されるらしい。これからどう生きて行けば良いのだろうか?


 航太朗くんはあの日言った

「良かったらうちに住みませんか?新しい部屋が見つかるまででもいいし、ずっといてくれてもいい」


 その言葉は嬉しかった、でもそうすると私はきっと心が壊れてしまう。


「とにかく、他の部屋を探してみます、ありがとう」

 そう伝えるのが精一杯だった。


 次の休みは3軒の不動産会社に行って見た。

 ワンルームですら今の給料の半分、光熱費や電話料金を払えば残るのはわずかだ。


 退去予定されている日まで残り2週間。


 その間に航太朗君とは数回しか会えていない。


 残業した日の帰り道、柊堂の前を通る、航太朗君の優しい笑顔を思いながら帰る道は寂しい。


 薄手のカーディガンだと寒いと思える、秋が近づいてきたのことを肌で感じながら歩いた。


 気がつくと明かりのついていない部屋の前に航太朗くんが立っていた。


「奏さん、ちょっと心配だったから来てみた」


 いつも、送って貰うことはあったけど私の部屋に航太朗くんを入れたことはない。


「あ、ごめん心配して来てくれたんだ、良かったらお茶でも」

 バッグからキーケースを出して扉を開けた。


「僕、女の人の一人暮らし部屋に入るの初めてだから緊張するな」

 そう笑う彼を見ると笑えて来た。


「あれ、僕なんか変なことを言った?」


「いや、なんか可愛いなと思って、ごめんなさい、どうぞ上がって、何もないけど」

私とは違うのだ、私は何人かの男性を部屋に招いている。

薄っぺらい恋をしていた、もちろんそれは誰でも良いわけではなかったし後悔もしていない。


 この部屋はベッドとテーブル、あとはテレビくらいで殺風景な部屋だと思う。

 帰って寝るだけの女らしい所なんてまったくない質素な部屋だ。


 以前住んでいた部屋にたくさんあったものは、もう必要のないものばかりだった、だから全て捨ててきた。


 小さな本棚には柊堂で買ったものやお気に入りの本だけが並んでいる。


 ベッドの脇には「アルケミスト」

 航太朗くんは、それを手に取り微笑んだ。


「気に入ってくれたんだ、きっと好きになってくれると思っていたよ」


 そのおかげで苦しんでるの……

 喉元まで出そうな言葉を飲み込んで


「コーヒー?緑茶どちらがいい?」

 そう言うのが精一杯だった。


「温かいお茶がいいな、コンビニで和菓子買って来たし」

 小さな袋の中にいちご大福が2つ入っていた。

 甘酸っぱいその味が好きだといつか話したことを覚えていてくれたのだと嬉しかった。


「部屋は見つかった?」


「ううんまだ、いい所は家賃が高くて」


 大福の包みを開けながら返事をすると航太朗くんは言った。


「2階にある僕の部屋に来てくれたらいいのに、僕は一階のじいちゃんの部屋にいつも寝てるから、ファティマもきっと喜ぶと思うし、ただ僕の部屋、物置部屋になってるからちょっと片付けないとだけど、ねぇ奏さんそうして」


 私と航太朗くんは、恋人同士ではない。

 そんな二人が一緒に住む、その事を想像してみる。


 好きな人と同じ屋根の下で生きることは楽しくてそしてきっとせつない。


私はそのせつなさを受け入れることにした。



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