第6話~ペーパームーン

「そうですよね、僕も本当は翻訳物はあまり読まないんですけど、あの作品は何故か心に残っていて、押し付けたみたいで悪いことをしたかなって思ってたんです」


「そんなことありません、自分の心に向き合って前に進もうとするサンチャゴには惹かれました」


 気がつくと閉店時間の8時を過ぎていた、閉店出来ずに困らせているのではないかと思い店主の山本さんに言った。


「閉店ギリギリに来てすみませんでした、私、帰りますのでお店を閉めてください」


「晩御飯食べましたか?」


 私はなるべく自炊はしようと思っているが、さすがに帰りが遅い時はコンビニやスーパーの見切り品で簡単に済ませる。


「まだなんです、今日も少し残業してきたので、買い物をして帰ろうかと思っているところです」


「それなら僕に付き合ってくれませんか?ちょっと歩きますけど、美味しい洋食屋があるんです」


「もちろんです、私はこの街に越して来てまだ半年位なので、どんなお店があるのかも知らないですし是非御一緒させてください」


 誰かと食事をするのは何ヶ月ぶりだろう、もちろんお昼休みに同僚や後輩たちと会社の近くの店に行くことはある、だけど短い休み時間だし、ほとんどコンビニで買って来たものですましている。


 閉店作業をする山本さんを待つために外へ出ていた。


 昼間の太陽はアスファルトを照らしている。そのせいで生暖かい風は吹いていた。

夏の夜は好きだった、少しだけ夜更かしを許された夏休みを思い出して懐かしいとさえ感じる。

昨日の夜は1人で夜の道を歩いた。

 特に買う用事もないのに散歩がてらにコンビニへ行くことさえ出来る程に私の心は安らいでいるのだろうか。


「お待たせしました、行きましょう」

 相変わらず閉まりにくそうなシャッターの鍵をかけ終えた彼が柔らかな笑顔で私の方に向いた。


 私より若いこの男性はどんな恋をしてきたのだろうか?

 ふと心に降りてきた思いに気付かぬかぬように返事をした。


「はい、お願いします今日は星も綺麗ですし夜の散歩には最適ですね」


 空を見上げた彼は

「ほんとだ、空を見上げるなんて久しぶりだから新鮮です」


「この所お天気が続いているからいつも綺麗ですよ、私は毎日空を見上げながら家に帰ってます」


「それ、危ないです!転んだらどうするんですか、まぁスマホに夢中で歩くよりはマシですけどね」


 そう言いながら笑った。


 柊堂を出てから何分位歩いたのだろう、知らない道を歩いていると少しだけ旅行気分になれる、私にはたくさん知らない街があることを、嬉しいと感じていた。


 違う道を歩いてみてもいいんだ、きっとそれでいいんだ、和哉と別れてからの私はその場所から歩けずにいた、いや歩かなかったのだ。


「もうすぐ着きますよ、今日は何を食べようかな、えっと川島さんでしたっけ、下の名前は?」


「奏です、川島奏」


 その店の扉を開きながら


「いい名前ですね」と言う彼の言葉に心がふわりと揺れた。


 【洋食屋ペーパームーン】

 小さなお店だけど、木の香りのする素敵なレストランだった。


「何を食べますか、この店はどれも美味しいですよ、でもいちばんのおすすめはビーフシチューです、お肉がとろけるほど美味しいですよ、僕はこの店に来ると2回に1回は食べるほどです」


「じゃあそれにします、このところ残業続きでコンビニで買ったものばかりだから嬉しいです、たまには料理もしますけど、近頃サボりがちで……」


「僕なんかほとんど毎日コンビニか牛丼屋ですよ、家ではたまにカップラーメン作るくらいです、料理ができる男はモテるらしいですけど、僕はきっと恋愛偏差値低いです」と笑いながらメニューを閉じた。


 食事と一緒に注文した飲み物が先にテーブルに運ばれて来た、炭焼きコーヒーのアイスコーヒーを2人ともブラックで飲んだ。


 深煎りしたコーヒーの香りが口の中に広がった。


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