第2話~彼の名前は山本航太朗

 夜と朝の間のような変な時間に目が覚めて、何度も寝返り打っても眠れそうになかった。

 眠ることを諦めて身体を起こしてベッドに腰掛けた。


 窓を開けて空を眺めた、明けたばかりの空はまだ夜の名残を残していて春とは名ばかりの冷たい風を運んで来た。


 自分の身体を抱きしめるように冷たいサッシの窓に鍵をかけた。

 この部屋には朝の光があまり入らない、私はまたあの人の夢をみてたみたいで、朝から泣いている。


 知らない街で待ち合わせたはずのあの人を待ちながら夕日が沈むのを眺めている。

 悲しい心のまま目覚めるのが辛く夜が怖くなる。そんな日々が続いていることに自分自身の心が光を避けているのだと思う。


 そんな日々を少しだけ癒してくれたのはたくさんの文庫本だった。

 読んでる時間だけはその主人公になれるし、それが悲しい物語だとしても泣かずにいられる。


 電気ケトルのスイッチを入れてテレビを見ると幸せそうなカップルが映し出されていた。


 静かにチャンネルを変えて天気予報の画面に目をやると、午後から雨の予想だ、雨は嫌いだ、いい思い出なんてひとつもない。

 あの人が出て行ったのも雨の日だった。


 鏡の中の私は泣いているように見える、その心を隠す為に化粧をする、女って便利だなと思う。

 笑えていなくても頬に紅をのせるだけで、少しだけ明るくなれるし口紅を塗るだけで幸せそうに見える。

 この仮面を私たち女はみんな持つことが出来る、それは魔法のようだ、その仮面があるから何とか生きて来れたのだと思ってしまう。


 テーブルに置いた本をそっと手にする。

 アルケミスト~夢を旅した少年、パウロ・コエーリョ


柊堂ひいらぎどう」その本屋に初めて入ったのは、この街へ引っ越した日のことだった。


 今はネットで古本も買えるし、大手の古本屋の店舗もたくさんある。

 昔ながらの古本屋はシャッターを下ろしているところばかりだから若い男性が店主だったとは思いもしなかった。

 背が高く長い足を持て余しているように、少し曲げていつも彼は本を読み続けている。



 どうしてそう思うのかはわからないけど、違う世界に住んでいるのではないかと思うくらいに儚げに見えた。


 仕事へ行く電車の中でその本を開いた。

 私は翻訳物の本を読むことはあまりない、訳した人の主観が入ることに違和感を感じるからだ。

 もちろん原語で読めるならば違うのかもしれないけれど、私には無理なことだ。

 でもその本を読み始めると遠い異国の地に歩く1人ぽっちの少年の姿が頭の中に現れた。


 *******

 夢が実現する可能性があるからこそ、人生はおもしろいのだ。


 少年は風の自由さをうらやましく思った。そして自分も同じ自由を手に入れることができるはずだと思った。自分をしばっているのは自分だけだった。


 *******

 この言葉の意味を彼は私に伝えたかったのだろうか?


その日の仕事帰りに柊堂に立ち寄った私は彼の名前を知った。

山本 航太朗こうたろう

26歳

私より3つ歳下だった。







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