地球 -Terra-

天神大河

1

 それは、わたしが小学六年生になってから一週間ぐらい経った頃のことだ。




 その日の午後からの授業は、総合学習だった。テーマは「十年後のわたし」。先生から提示されたテーマに対し、クラスメイトのみんなが思い思いの夢や希望を口にする一方で、わたしはひとり退屈に思いながら外の景色だけを見て過ごしていた。




 わたしには、未来に向けた夢や希望はない。将来何かをやりたい、こんな自分になっていたい、という気持ちにならないのだ。それに、今はまだ考える必要もない。




 そう思いながら、今日の授業を終えたわたしは、放課後の家路をとぼとぼと歩いていた。小学校を出てすぐにある商店街を抜け、川沿いの小道にたどり着く。小道には、数メートル間隔でソメイヨシノが植樹されており、その枝葉のほとんどが青々とした若葉で埋め尽くされていた。小道から柵越しに川へと目を向けると、白っぽい桜の花びらが水面いっぱいにぷかぷかと浮かんでいた。




 もう、桜の季節も終わりか。あっという間だったな。よもぎ色をした川の水面を見つめながら、わたしは一人感傷に浸っていると、ふいにどこからか声が聞こえてきた。




 おーい、おーい。




 わたしは驚いて、きょろきょろと辺りを見回す。そうしているうちに、背丈の低い一本のソメイヨシノが目に留まった。複雑な形を描き出す樹の枝に、仔猫ほどの大きさをした何かが引っかかっている。そのことに気づくと同時に、先ほどの声が弱々しくこだまする。




 たすけて、たすけて。




 声は、その『何か』からはっきりと聞こえた。そして、眼前にいる『何か』はふつうの生き物ではないことを確信する。


 犬やネコとは異なる存在が、突然わたしの目の前に現れたのだ。わたしの心臓がばくばくと震える。どうしよう。逃げた方がいい? 誰か、大人の人を呼んだほうがいいのかな?




 形こそ違えど「ここからすぐにでも離れる」という気持ちがわたしの中で強くなっていく。けれど、わたしの身体はそれとは逆に、『何か』がいる樹へと歩を進めていた。


 考える前に、まず行動。困っている人は、迷わず助ける――いつだったか、学校での救命講習の時に、救命師さんが言った印象深い言葉を頭の中で反芻させながら、わたしは水色のランドセルを小石が敷き詰められた道の脇に置き、ゆっくりと樹の枝に手をかける。


 わたしの木登りの記憶は、二年生か三年生の頃を境に途絶えている。加えて、今のわたしの格好は膝ぐらいまでの丈のスカート。かつての経験を思い返しながら勘を呼び起こすのと、樹の下に誰かが来る前に早く終わらせたい焦燥感とがわたしの中でぶつかり合い、『何か』の救出作業は思いのほか難航した。


 どうにか目標地点まで到着したわたしは、右手で『何か』を掴む。猫の毛皮みたいなふわふわした感覚を手のひらで感じ取りながら、わたしは『何か』を怯えさせないように、なるべく優しい口調で話しかけた。




「待ってて、今助けるから」




 そう言って、わたしはゆっくりとソメイヨシノから下りていく。行きはよいよい、帰りは怖い。以前どこかで聞いた言葉を思い出しながら、わたしは慎重に一歩一歩を踏みしめつつ、両足を地面へと着けた。とりあえず『何か』の救出に成功したことに、思わず安堵の溜息が洩れる。




「ありがとう、きみ。おかげで助かったよ」




 わたしの手の中の『何か』が、快活な口調でそう告げた。それを受け、わたしはあらためて『何か』の姿をおそるおそる観察する。生後三、四ヶ月ぐらいの仔猫の大きさに、全身に生えた白く短い体毛。その背中には、可愛らしい小さな白い両翼が備わっていた。


 さらに顔へと、視線を移動する。黒いつぶらな瞳と、頭のてっぺんにある二つの丸い耳。背中の羽や大きさを考慮しなければ、どこからどう見てもハムスターのそれにしか見えなかった。




「あなたは、いったい」




 わたしは『何か』に向かって、漫然と思い浮かべていた疑問を投げかける。すると、『何か』はわたしへと顔を向け、にこりと微笑んだ。まるでマスコットキャラクターのような愛くるしさを湛えた笑顔に、わたしは思わず息を呑む。




「ぼくかい? ぼくの名前は『ステアローラム・ンノーラ』って言うんだ」


「ステア……ローム?」




 わたしが『何か』の名前をおぼつかない口調で反復すると、彼――性別についてはっきりとは分からなかったけど、一人称が「ぼく」だったから男の子だとわたしは思った――はすぐさま言葉を補足する。




「なんだったら『ステラ』でいいよ。ぼくの仲間も、そう呼んでるから」


「そ、そう」


「ところできみ、ぼくからも聞きたいことがあるんだけど、いいかな。ここはもしかして『地球』かい?」




 『ステラ』と名乗った何かは、きょろきょろと辺りを物珍しそうに見回しながら質問する。うん、そうだけど。わたしは、二つ返事でそう返す。


 すると、ステラはひときわ目を輝かせ、大きく感嘆の溜息を吐く。そのまま、彼は感慨深いと言わんばかりの口ぶりで呟いた。




「そうか……着いたんだ、待ち焦がれていた地球に。なんて美しいんだろう」




 わたしは、そんなステラの言動に半ばたじろぎながらも、彼の正体が何となく分かった気がした。それを確かめるべく、わたしはステラに話しかける。




「ねえ、ステラってさ。実は、宇宙人だったりするの?」




 わたしの問いかけに、彼は少し間を置いてから答えた。




「まあ、言ってしまえばその通りだね。ぼくは、ここよりとても遠い星からこの地球にやって来たのさ」




 屈託のない笑顔で話すステラに、わたしはあまり動じなかった。質問をした時点で半ばその答えが返ってくることは承知していたし、そう考えることで彼の外見などにも合点がいく。


 何よりもわたしは、小動物みたいな外見をしたステラが宇宙人だと聞いて、どういうわけだかほっとしたような気持ちになった。『宇宙人』という言葉で真っ先に連想するエイリアンのような不気味なイメージが払拭されたことや、わたしの目の前に突然特別な存在が現れたことへの優越感が強かったからかもしれない。




「そうなんだ。ところでさ、ステラ」


「どうしたんだい」




 わたしは、両手にステラを持ったまま、彼の顔をじっと覗き込む。そのまま、にこりと口角を吊り上げて、せいいっぱい明るい声で続けた。




「わたしは『ユーリ』っていうの。もし良かったら、わたしとお友達にならない?」


「トモダチ?」


「そう。ステラの、地球で出会った最初の友達。ねっ、どう?」


「地球での最初の友達、か。うん、悪くはないね」




 ステラもまた、わたしに向けて無垢な笑顔を向けてくれた。


 こうして、わたしとステラは友達になった。

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