第115話 返事が無い まるで屍の様だ

 古めかしい倉庫街に幾つものすすり泣きがわだかまる。それらを、無情の風が沖合へと押し流す。


 悪徳の支配する街、公都ブラックサン。


 薄布1枚に身を包む少年少女が、互いに身を寄せ合う様に、あおぼつかない足取りで路上に現れるや、1台の荷馬車がゆっくりと近付く。


 御者台の上で手綱を持つエスパーダは、そんな彼らを薄目で眺め、口の端を愉快そうに歪める。魔国じゃ見慣れた風景だ。弱い奴は食い物にされる。空気の様に良くある事。


「よお。大変だったみたいじゃな~い? 乗んなさいな」


 偽善に満ちた造り笑顔。自分でも良くやると想える猫撫で声。


 一瞬、子供らに付き添うジャスミンがうえっと言う顔をするものだから、ますます自嘲してしまう。


「上手く行ったんじゃないのさ~?」


「まあね~……」


 気の無い返事。そうは答えるものの、救出された子供たちを見れば、何かが壊れてしまってる事が手に取る様に判る。


 間に合った、が、遅かった。


 昨日、目にした様な、底抜けの明るさは失われてしまっていた。


 まぁ、どこも大して変わらない。弱い奴にしわ寄せがいく。


「ほら、あんたも後ろに乗ってあげなさいな~」


「判ってるわよ! いこ、ハル君」


「ああ。さあ、みんな荷台で申し訳ないが、乗った乗った」


 歯がゆいのだろう。ジャスミンの不機嫌さは。

 もっと早く動いていれば? どの道、変わらない。もしもは無い。

 救えるだけ救った。それで良いじゃな~い?


 更に目を細め、強い日差しの向こう、最後に出て来たローブの男と、シュルルを眺めた。

 並んで歩く。さりげなく、シュルルの背に男の手が添えられているのが判る。それに甘える様、肩に寄り掛かるとは、見せつけてくれるじゃな~い。



「あんたは、どうするのさぁ~!?」


 遠く、御者台の上からエスパーダが声を掛けて来た。

 見れば予定通りに子供達を荷馬車の荷台に乗せている。ジャスミンも荷台に乗って、一緒にいてあげるみたい。


「私も荷台に~!」


 そう声を掛けると、エスパーダは了承したと頷いて見せた。

 後は、とローブを目深に被った彼に。


「じゃあ、貴方はどうされますか?」


「そうだね。僕はこのまま、隊へ戻ろう」


 向き合うと、自然に手を取り合って見つめ合った。

 ゼニマールの優しい眼差しに、瞳の奥までも覗かれている様で、胸の高鳴りで息苦しくなってしまい、シュルルはそっとその胸へ身を寄せた。


 自分の身体が、まるで冷え切ったかの様に、冷たく硬く思え、少しでも温もりを感じたかった。

 こうしているだけで、頬に、うなじに、彼の熱を感じ、すうっと心が落ち着いてゆく。


「こうなる事も、判っていたの?」


「まさか。僕に判るのは、運命の流れだけさ。でもね。君が動く事で、多くの運命が変わる。あの子らも然り。この僕もね。それは決して悪い流れじゃない」


 不意にぐっと抱き締められ、シュルルもその背に回した腕にゆっくりと力を込めた。

 離れ際に唇を重ね、しばし切なくも見つめ合うと、ゼニマールはふっと笑みを浮かべ、シュルルの髪を優しく撫で、慰めてくれた。


「今回の事は、あの子達にとって災難だったが、どの道いつかは切らなきゃならない縁だったんだ。君は何も気にするな。良いね?」


「……ええ……今はあの子達が」


 シュルルは、ちらりと荷馬車を。その荷台に乗せられて行く子供らの様子を窺がい見た。

 皆、魂が抜かれた様に呆然としている様に見えた。肉体的にもだが、精神的に大きなショックを受けているに違いない。

 幼い時分に母の元を追放された時の事を思い出さずには居られなかった。


「そうだ……自分のするべき事を、出来る事をしておいで」


「私に出来る事……そうね! じゃあ、また……」


「ああ。待ってるさ」


 絡めた指を名残惜し気にほどき、互いの頬にキスをすると、シュルルとゼニマールは別れた。



 荷馬車に戻ると、荷台に不機嫌そうなジャスミンが。ちょっと声を押し殺す様に。

 多分、大きな声を出すと、怯える子がいるんでしょうね。


「も~、遅いよ~」


「ごめんごめん。私も後ろで良い?」


「良いけど……みんな~、ちょっとこっちに寄って~」


 そう呼びかけると、死んだ魚の様な目をした子供たちが、辛うじて反応する。

 そんな子供たちの傍に、シュルルはその身を寄せた。


「はい、ありがとうね~」


「……」


 返事が無い。まるで屍の様だ。


「エスちゃん、お願い」


「おうさ。それじゃあ~、お店で良いわよね?」


「うん……院だと落ち着けないだろうから……ねえ、ハル君。前に見せて貰った貴族のお屋敷って、今は誰も住んで無いのよね?」


 すると、御者台でエスパーダと並んで座ってるハルシオンも振り返り、静かに頷いた。


「はい。鍵もお預かりしてますから、入れます」


「この子達は、そこへ一旦避難させてあげても構わないかしら?」


「部屋数もありますし、ほんの少しの間なら大丈夫です。例え見つかっても、何とでも出来ますよ」


 そう言っては、暖かな微笑みで、自分の黒鞄をぽんと叩いて見せるハルシオン。

 これにシュルルは深く頭を下げた。


「ありがとう御座います。お願いしても良いかしら?」


「はい」


「う~ん、ハル君マジ有能」


 こんな状況だから、いつもの調子は出ないが、ジャスミンが心底嬉しそうに見つめると、ハルシオンも小さくウィンク。そして小さく頷いて前を見た。


「それじゃあ、僕がご案内しますから、エスパーダさん。宜しくお願いします」


「ああ、任された。見直したぜ~、あんた。ひょろっとしてて頼り無い奴って思ってたけど、なかなかどうして……」


「いやあ、大した事はしてませんよ」


「ご謙遜ご謙遜。じゃ、なるべく静かにいくわよ~」


 調子良く誉めそやし、エスパーダが軽く手綱を入れると、ゆっくりと馬車は動き出した。

 がくんがくんと振動する中、シュルルは見送るゼニマールへ目線を泳がせてから、子供らに改めて向き直る。


「さあ、みんなお姉さんと手を繋ぎましょう。奥の子は、隣の子とね」


 そう言って、傍らの子、2人の小さな手に触れて少し待つ。やがて、みんなが数珠繋ぎに。そこでシュルルは、眠りの思念を送り込んだ。

 カクンと崩れる子供達に驚くジャスミン。


「な、何をしたの!?」


「少しの間、寝かせてあげましょう」


 眠りと同時に、子供らの心を弛緩させたシュルル。悪戯に、人の心を操作するのは邪悪な魔法使いであるとの教えもあるが、酷い目に遭い、苦痛に心を歪ませてしまっているこの子らにとって、普通の眠りすらも安息にならない事は判っていた。そう感じていた。故に、真綿でくるむ様に、心の衝動を麻痺させたのだ。


「今はお休み……」


 そう言ってシュルルは、尻尾の上に横たわる子供らの頭を、先程彼に撫でられた様に、優しく優しく撫でてあげて回った。

 乱れた髪が、少しでも整う様にと……


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