第110話 ヤシマの剣は陰陽八家
人が集まると、それだけ匂いも違う。きっと、血の味も違うでしょう。
若い味、年老いた味、健康的な味、病的な味。そして小さい子の未熟な味。
汗は血より出でる代謝物。
余計なお世話と思いつつ、シュルルは目を細め、目の前の顔色の悪い男、自称ヤシマ浪人、ゲンバへと告げた。
「そのお薬、止めた方が宜しいと思いますよ」
僅かに鼻をつくその香り。初めての夜、目の前で殺された男の血の味を思い出させた。
吐く息からして、すえた病的なものを感じさせるそれは、少ししゃがれた感のある掠れ声からも、湯煙に溶け込む様、漂っていた。
「く、くくく……知った口を利くで御座るな……
女……シュルルと申したな?」
「はい」
そう言って、改めて湯舟へ身を沈めたゲンバは、皮肉な笑みを湯で洗い流す。
「これは止められん。我がヤシマ蛇蝎陰流は陰気の剣。
陰陽八家、内の陰なる気を高め、蛇の如く虚実を織りなし蠍の如き毒の一撃を生ずる剣。
く、くくくく……我が一族、幼き頃より毒と言う毒を喰らい、啜り、己が内の陰気を高めるが宿業。今更止められんわ」
それでは、長くは生きられないのでは、と口にしかけ、シュルルは口をつぐむ。
判り切った事なのだろうと。
それ故の享楽。
それ故の狂気。
迷惑この上ない話であるが、生き物の中では毒のある物を食べ、体内に毒を宿し、身を守る種もあるという。それ程に、過酷な環境を生き延びて来たのだろうと、納得するしかなかった。
この男にはそれが当然だったのだろう。
「そうですか。ならば、これ以上は申し上げる事もありませんわね。
この様な粗末な所で御座いますが、今日はどうぞ、ごゆるりとお過ごし下さいませ」
「おう。勝手にやらせて貰うで御座るよ。女将」
女将じゃないんだけどな~と思いながら一礼すると、取り合えず母屋へ戻ろうと腰を上げかけた期に合わせ、くいと腕を取られた。
ぐいと引き寄せられる感覚。
誰の目にも、湯舟へ引き込まれるシュルルの姿が。
次には、普通に立つシュルルと、湯舟でくつろぐゲンバの姿に。
「く、くくくく……」
「次にやったら、裸で放り出しますよ」
「やはり、やる」
「まったくもう!」
ぽかんと目をこする人々を残し、さっさと男湯から離れようとするシュルル。
一瞬の交錯。
思念の鬩ぎ合いは、虚実の衣を纏う様、虚を実に成そうと絡み付かんばかり、覆い尽くしにかかったが、やんわりと受け流されてしまった。
無論、ゲンバとしては児戯であるが、さぐりでもある。
先程対峙した折は、まがりなりにも3対1。浅く広く平らかに、その中での手応えであったが、それを改めて試したまでの事。
振袖の裾を、軽くめくった程度の。そんな悪戯心。
単なる魔法の腕輪の効果では、こうはいかない。
魔法のアイテムに、ただ守られているだけの者では無い。
明らかに、互いが魔力の主である事を印象付ける行為。
ただ、どちらが、どちらの干渉力が上か、という問題が残る。
そして、その力の源が、互いに違うという認識が明らかとなった。それは力で組み合ってみた上での印象。これが剣士同士ならば、死合えば良いだけの事なのだが……
「さて、どうしたものよ……くくくく……」
イヤらしく口元を歪めるゲンバは、再び壁より滴り落ちる打たせ湯に身を預けようとしたその時、どやどやと裏庭へ雪崩れ込む人の気配に、おや?と耳を傾けた。
「お願い、シュルル! もうどうしたら良いか、判らないの!」
それは、ハルシオンと共に現れたジャスミンと、その後に続く十人以上の子供らと老いた修道女だった。
「どうしたのよ、一体?」
「もう、まったくぜんぜん、ひどいはなしなんだよお~!」
「「「「「「「「「「WAAAAAAA!!!!」」」」」」」」」」」
ギースが口火を切ると、小さい子供達が一斉に喋り出して、全く全然訳の判らない話になってしまった。
「ちょ! ちょっと待って!! ストーップ!!!」
空の大皿持った両手を高々と掲げ、思いっきり顔をしかめたシュルルが、その場でくるくる回ると、流石に興奮した子供らも驚いて騒ぐのを止めてくれた。
「何そのポーズ。おっかし~」
「「「「「「「「「おっかし~」」」」」」」」
「なっ!?」
ジャスミンに合わせ、ちっびこ達も口を揃えて言うものだから、顔を真っ赤にして愕然とするシュルル。尻尾の先をペタンと降ろし、がっくりとうなだれた。
「ど~して? ど~して?」
「いや、そういうのはいらないから! 話を聞いてよ~!」
皿でへの字の口元を隠すシュルルに、孤児院での出来事を話して聞かせると。
「な~んだ」
「なっ!? な~んだじゃ無いでしょ~!!
ねぇ、ハル君!?」
「え? そうかい?」
傍らのハルシオンの一言に、ジャスミンは目を真ん丸にして驚いた。
半分、自分の耳も疑った。余りにも素っ気ないその一言に。
「だって、金貨の10や20じゃ済まないのよっ!?」
「ん~? お金の問題だと、今は手も尻尾も出ないなあ~」
「ですよね~? 例えあったとしても、それは止める所ですが」
「ええ~っ!?」
ケラケラと苦笑するシュルルに、うんうんと同意するハルシオン。
思わず聞き返すジャスミンと、その周りで動揺する人々。
流石に10人以上の奴隷を開放するなんて、無茶な話だと居合わせた人達にはほぼほぼ共通認識な訳だけれども。ゲンバは静かに耳をそばだて、ニヤリ成り行きを楽しんでいた。
そんな人達を目の前に、シュルルはにっこりと微笑み、ぐる~り見渡してからこくりと頷くと、ちらりハルシオンを見やった。
何やら面白い事があるぞとばかりに、青い瞳を輝かせ。
「取り合えず、どっちかの馬車が戻ってからね」
「そうですね」
静かに頷くハルシオンも、それまでとは打って変わった眼差しで。
そして、何の心配も無いよとばかりに、ジャスミンへ優しく微笑みかけるので、どういう訳か何とかなるという確信を得た。
「まぁ、その前にスープが出来てないとダメだけれど。
丁度良いわ。これだけ人手が集まってるんですもの。
余った食材で、次のベースを作っちゃいましょう!」
にこぽんと大皿片手に手を叩き、シュルルは母屋の裏手に積まれた根菜や葱等を運び込む様に、その場に居合わせた孤児院のみんなを促した。
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