第105話 ヤシマの剣


 この街に来てからあまりのんびりと出歩いた事が無かった三日月は、少し不思議な感覚に捉われていた。

 ジャスミンがハルシオンを追って家出した数日、主に店の番をしている事が多かった。店に必要な物をシュルルが買い物に出ている間、誰かが店に居なければならなかった。それを不満に思った事は無い。

 店に火をかけに来た冒険者の集団を撃退した時も、これと言って。


 元々は剣の師匠であるせんせいを探しに、この人間が多かろう街へ付いて来た三日月だったが、正直な気持ち、人間の多さに辟易していた。

 余りにも多過ぎるので、どう探せば良いものか。

 腰に剣を下げた、壮年の男。誰かに特徴を伝えようにも、他に思い浮かばなく、試しに聞いてみようにも、それだけでは5万と居てどうし様も無いのだ。


 見れば判ると思っていた自分に、呆れかえるばかり。


 今、人ごみの中を、手を引かれて歩いている。

 むせ返る様な、人の匂い。海の匂い。


「へへへ。しっかり握ってな」


 余りに多い人の流れに、お互いを見失わない様にと、街中の案内をするハックが握って来たのだ。

 ガサガサした、大きな掌。厚みもあって、せんせいのそれよりも、もっと大きい。


「どこへ行くで御座るか~?」


「ん~? まあ、楽しみにしてなって」


 そう言って、引っ張り易い様にと、握り直す。三日月も、大して知らない街なので、はぐれたら大変と、慣れぬ手繋ぎを色々試す。


 実際、誰かと手を繋ぐという行為は、姉妹やせんせい以外とした事が無かった。

 幼い頃は、じゃれ合ってそういう事も多かった記憶がなんとなくあるが、互いに縄張りを決めて離れて暮らす様になってからは、行き倒れてたせんせいを拾ってから最初の内だけだったかも知れない。

 剣の稽古をつけて貰う様になると、その関係性も変わってしまったからに相違ない。


 という訳で、数年ぶりの手繋ぎだ。

 何とも子供らしい行為に思えて気恥ずかしかったが、悪くは無い。



 半日ほど街中を回って、ハックに連れられて入った店で、奥の1室。4人がけの丸テーブルへ座った。

 話がし易い様にとその左側に座ったが、剣を抜く右の手にハックの左手が重ねられ、ぽんぽんと軽く叩かれてからは、何かと他愛も無い話を交わしながら、指を触り合って遊んでいた。


 昨日と違って、愛嬌のある笑顔で、ひっきりなしに話しかけてくれるので、自分でもいつもより多く言葉を重ねてた様な。


「お? 待ってました~」


 目を大きく見開き、会話を中断したハックが手招きする。女給が酒と料理を運んで来たらしい。

 湯気がもうもうと立ち昇るバカでかい2枚貝の山盛りに、頭から丸ごと食べられる小魚を焼いたもの。これも山盛りだ。

 海の魚や貝は、まだ良く判らないので聞いてみると。


「これは何と言う貝で御座る?」


「しぇからしか~! 食えりゃ何でも良いんだよ!」


 店の喧騒に負けない大声で、愛嬌たっぷりのウィンク。

 ハックも詳しくは知らないらしい。

 青い身、黄色い身。殻の色もまちまち。海の濃い香りがする。


「「乾杯~!!」」


 互いの顔程もある大きなジョッキに、なみなみと注がれた泡立つエール。

 ツーンと酸味のありそうな芳香に、自分が思った以上に空腹であったのだと気付かされる。腹に注ぎ込んだぬるいそれは、まるで底が抜けた様にぐいぐい入って行くのだ。


「うめ~!」

「そんなに!?」

「おうさ! くえくえ!」


 そう言ってガラガラ鷲掴みにした貝から、ぷっくりとした身を摘み出すと、湯気の立ち昇るそれをもう楽しそうに差し出して来るものだから、三日月は泡の髭が生えた口を大きく開き、それを無邪気に招き入れた。


 途端に口の中へ熱い旨味の奔流がむちゅるっと広がり、鼻に抜けて悦と成す。

 何と言う喜び。

 どうだと言わんばかりのハックは、にやにや顔で自分の指をなめなめ。どうやら見たいものを見たらしい。

 これは負けてられぬと三日月も、貝の身を摘まんではやり返そうとハックの顔に近づける。軽い酔いも手伝って、結構大胆な事をしてると頭の片隅に想いながらも、その口の中へと押し込むと、噛み付かれない様にゆっくりと指を抜いた。

 どうよとばかりに、口をもぐもぐさせるハックと、互いに目を真ん丸にして見つめ合いながら、自分の指を舐めた。


「ぷっ」

「ぷはっ」


 どうやらにらめっこは負けらしい。


「「あ、あは! あははははは!!」」

「何だよ、その顔!」「変な顔で御座るよ!」


 ひとしきり笑い合った後に、今度は互いに摘まんだ貝の身を食べさせ合う。

 次は小さな焼き魚だ。

 海の魚は塩っ気が利いてて、骨も柔らかで頭からもりもり食えた。


「こんなにいっぱい美味い物があるのに、何で肉屋なんで御座ろう?」


「あ~ん? そりゃ船乗りが、陸の味を恋しがるからだろ?」


「おお~!? ハック、頭い~!」


「だろ? ふへへ~……」


 そう言われると妙に納得。

 杯も2杯3杯と重ね、腹も膨れ、酔いも結構回った頃に、互いの顔を引っ付けあってああだこうだと訳の分からない事をぐだぐだ話していたら、不意にハックの声のトーンが少し暗く、重くなった。


「だがよ……そのせんせえってのにゃ、会わねぇ方が良いんじゃねぇかって思うんだよ」

「な~んで~で御座る~?」


「そりゃ、おめえ、そいつぁ~ヤシマ言葉って奴だからよ。

 8つの島って書いて、ヤシマ……

 海の南西にあるってぇ~、海賊共の……根城だぁ~……」


「海賊ぅ~? せんせえは悪い海賊じゃないでえ~御座るよぉ~……」


 てろ~んとした目で、天井を見上げる。人の好さそうな面差しが思い出され、海賊と言う単語とどうにも結びつかない。


「海賊はヤシマだけじゃねえさぁ~……

 ここいらの海賊ギルドとも敵対してるらしいしよぉ~……」


「じゃあ、悪い海賊じゃないで御座るよ~……」


「そいつら、かなりやべえらしいんよ。お前ぇの使うみてえな片刃の剣を使ってな、島毎に別々の、やべえ流派があるってぇ~話よ……」


「流派……流派知らな~い……せんせえ、言って無かったしぃ~……」


「……ぐ……」

「お~い寝るなぁ~。寝ると死なすで御座る~」

「ん? ね、寝て無いぜ……ぐ……ぐぅ~……」

「寝るにゃぁ~……寝たら死なすぅ~……ぐ……ぐう~……」


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