第97話 色んな意味でハダンした

 月明かりの回廊は闇色と青白き静寂の世界。

 今、シュルルの目の前には揺れる炎の赤に染められた、色彩に富む暖かな世界が開かれていた。ハズだった……


 案内の兵士が、そっと脇に避け、少しぎこちない仕草でシュルルを中へと促す。

 覚悟の時。すうっと息を吸い、はっきりとした口調で中へと声をかけた。


「失礼致します。肉食推進ギルドの副ギルド長、シュルルで御座います」


「……入り給え……」


 一瞬の沈黙があり、まごう事無きあの方の響きに、サッと血の気の引く想い。ゆらり、世界が揺れたかに感じたが、案内してくれた若い兵士に軽く会釈し、ゆっくりと戸口へ進み出た。


 彼の執務室なのだろう。金に汚いと評判の第四大隊の大隊長の執務室は、思ったより大分質素な印象を受けた。

 壁には飾り気の無い書棚や物入。その横には、昼間見た鎧武具が立てかけてある。

 左右に扉があり、別の部屋へ繋がっている様だ。


 丁度真向かいの丸ガラスが鈍い光を反射している。

 4つの燭台からじりじりと白煙が昇り、室内に獣脂の如き香りを漂わせていた。

 一瞬、何の獣の脂だろうと、思考が逃げに走りたくなる。

 その炎に囲まれる様に、部屋の中央には武骨なテーブルが置かれ、6脚の大きくて丈夫なだけが取柄そうな椅子。

 色と欲に塗れた第四大隊の大隊長様。噂と実際は、随分と違うみたい。


 強面の顔がこちらを睨んでいる。

 やっぱり。友人を傷付けただろう相手には、当然の……

 不意に大きな隔たりがある事を実感し、じわり胸の締め付けを強く感じてしまう。

 それでも、話を始めなければと絞る様に言葉を綴った。。


「遅くなり申し訳ありませんわ。今日がお店の初日でしたので……」


「あ、ああ……凄い騒ぎだった様だな」


 妙に歯切れの悪い物言い。

 ちらり、一瞬目が合ったが、サッと逸らされてしまう。それだけで、己の口の端がくっと歪む感覚に焦がれた。


「お約束通り、す、全てお話しますわ……

 どこからお聞きになりたいのでしょうか?」


「ま、まあ。立ち話もなんだ。椅子に掛けるがいい」


 そう言いつつ、背中を向けるデカハナは、自分の執務机に向かった。


 なんてずんぐりむっくりした背中なんだろうと驚くものの、対面の重圧を逸らされたシュルルは、ホッと胸を撫で下ろし、静かに一番外側の椅子へと近付いた。


「何か飲み物を……ワインで良いかな?」


「えっ!? お、お気になさらないで下さい!」


「まぁ、そう言わずに……

 いつまでそうしているつもりだっ!!?」


 と振り向いた瞬間、デカハナは物凄い形相で怒鳴りつけた。


「ひっ!?」


 思わずシュルルも縮み上がったが、情けない悲鳴を上げたのは、戸口に居た若い兵士。


「も、申し訳ありませんでした~っ!!」


 バタン。慌てて扉を閉めてしまった。


 ふーふーと真っ赤な顔で肩を揺するデカハナは、次にギロリとシュルルを睨む。そして、更に目をくわわっと見開き、鼻を大きく鳴らした。


「ど……な……何だそれはぁっ!!?」


 派手な音を発て、滑り落ちたグラスが砕け散る音がわんと響いたが、それ以上に彼の怒声が胸に刺さった。

 それから。ああ、やっぱりなと思う。今頃、気付くなよとも。部屋に入る前に、何か言っててくれればとも……


 これでは逃げ場が無い。


 両手の指で、すっと襟元を正し、伏し目がちに。


「ここに来る前に、港でゼニマール様と、偶然。お会いしたのですわ……」


「何ぃ~!?」


「私が、ここに行く事をご存知でしたの。

 可笑しいですわよね? これが、貴方への挑戦状になるとかならないとか」


 そう言いつつも、シュルルは己の身を守るかの様に、そっと左腕で、ぶらり垂らした右腕を掴む。そして、ゆっくりと目の前の男を見つめた。


「わたくしには、何の事やら……さっぱり……」


 すうっとデカハナが鼻で息をするのが判る。

 その匂いで、何を判ずるのやら。自分の中が、徐々にからっぽのガランドウになって行く感覚。希望がしなび、喜びが遥かへと遠ざかって行くのを、血の巡りより感じてしまう。


 実質、今日初めて会った様なもの。

 何をそんな人に求めているの?


 ほら、ごらんなさいな。

 あんなに顔をどす黒くさせて。

 きっと……もう軽蔑されているに違いないわ……


 ……もう、終わりにしましょう……


「そんな事より。昼間の件をお話しますわ。

 私が何をし、これから何をしようとしているのかを」


 鉄を呑むかに、言葉を吐いた。


「……いい……」


「はい?」


「もういい……出ていってくれ……」


「そう……ですわね……」


 うつむき、こちらを見ようともしない巨躯を眺め、こみ上げるものにむせびそうになりながらも、そう絞り出すと、シュルルはその事を気取られぬ様、悠然とした足取りを見せつつ、扉へ向かった。


 どれくらい使い古されたのだろう、鉄のドアノブ。

 それに手をかけ、ぐっと押した。

 その瞬間まで、背中へ声が飛んで来ないものかと、期待しつつ。


 開かれたドアの向こう。聞き耳を立てる、あの若い兵士の驚く顔が。

 途端に、シュルルの中で、堰を切った様に溢れ出るものが止めどもなく……


 そして、弾ける様に走り出していた。


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